紀元前九百二十九年、猶太の聖賢等は「標象(シンボル)の蛇」なる狡智に依って平和的に世界を征服する政策を考案した。蛇の頭は聖賢の世界政策を委任された猶太政府で其の胴體は猶太人民である。此の蛇は最も正確に違漏なき計畫に依って各國の胸部を貫いて進んで行く即ち蛇道に當った國は精神の墮落及び道德の敗頽を來し革命を惹起し、經濟的に崩壞して亡んで行くのである。而して蛇の頭がシオンに囘歸して首尾相接合する時は即ち全世界を擧げて、猶太王の君臨する時であると謂って居る。今や此の「標象の蛇」は彼の所謂天命の蛇道を我が帝國に向けてゐる。表紙の繪は即ち之を表はしたものである。
世界革命之裏面
包荒子著
二酉名著
猶太人の活躍振
(国立国会図書館デジタル化資料「世界革命之裏面」5枚目より)
序
猶太人に關する種々の事件や各種問題は歐洲に於ては昔からあるが、殊に世界大戰後は世界的脅威の重大問題として論議され發表さるる樣になった。尤も世界大戰に於て最大の利益を收めたのは猶太民族で、彼等は此の機に於て其の理想の大部を實現するを得た。今や歐洲諸國に於ては英帝國を初め各國とも猶太勢力に對しては如何ともすることの出來ない状態にある。露西亞や獨逸では其の國が滅亡し猶太人に天下を取られてから彼等に對し何の彼のと怨嗟の聲を擧げて居るが間に合はない。要するに悲鳴である。獨逸あたりでは戰前既に猶太人の恐るべきを知って居った知名の士も尠からずあったが、迂濶に口を開かふものなら、其の勢力を知って居る丈けそれ丈け恐ろしくって、手も足も出なかったそうである。露西亞人の中には猶太問題を大聲叱呼した人もあったが一般に呑氣で「何の猶太人が」と馬鹿にして居ったから、やられてしまった。
米國にては大戰後猶太の世界征服計畫たる「シオンの議定書」が米人の手に入り、又一九二〇年怪傑自動車王ヘンリー・フォードに依って猶太人活動の眞相が發表されてから、今迄沈默して居った猶太研究者が勇氣付けられ、猶太人の辯解に、更に辯駁を加へ米人の覺醒を促した。英國では二十年來猶太問題に沒頭して居った研究者の著書が公表された。勿論玆で云ふ猶太問題とは、猶太の藝術や科學を云ふのではない猶太の世界政策、其の實行、現在勢力及び活動等を指すのである。
日本にても最近猶太問題の研究書が二、三の人士に依って公表せられ、又新聞雜誌に論議され始めた。一般の日本人は猶太人はどんな相貌の人種だか見た事もない人が多いので、之は重大問題だと、只敬服して居る人もあるが、又中に物識りは常識論でそんな馬鹿なことがあるものか、猶太人程愛好すべき平和の民はないなどと、一言の下に冷笑し去る人もある。又中には猶太人が反抗し革命の先鋒者たるのは當り前だ、今迄壓迫された反動だ抔と平然たる人もある。
併し日米、日英、日佛、日露の關係が密接であり重要である丈それ丈日猶關係も重要である。夫は猶太人は此等列強に於ける最も重要な位置を占め、其の政府を左右し、國際問題に觸れ、財界を掌握し輿論を支配し、延いて我が國に及ぼす影響は甚大である許りでなく、彼等の鋭鋒は各種各樣の形をなして直接我が國に向けられて居るからである。從って其の研究は極めて緊要であって、斷じて一の常識論で輕々に取扱ふべき問題ではない。實に我が國に密接なる關係を有する最重要の問題である。
本書は私の口演の原稿であるが、之は英・米・獨・露の研究書及び私の露國に於ける實見から極めて一般的に且つ通俗的に説述した。私は「猶太人とは如何なる者か」と云ふことを、彼を知り己を知るの意味で、先づ第一に日本人一般に之を知ることが必要であると信ずる。又永年の懸案たる日露の問題も、國辱に國辱を重ねつゝある米國の排日問題も猶太問題を度外親しては決して肯綮に中ることは不可能であると私は斷言する。
從って諸君は本書を讀み、要すれぼ尚ほ進んで研究せられて對猶太の大策を案出せられたいのである。
甲子七月 包荒子識
共産黨對策の要訣此にあり
我が日本に於て國史に一大汚點を印じた日本共産黨事件なるもの發生し、一世は震駭され、國民は驚愕して、官民兩者の側から百方これが對策を講ずるに汲々たるものがあった。
先づ帝國議會では、昭和三年の特別議會に於て思想國難決議案なるものを可決し、内務省では全國に特別高等警察機關を增設し、文部省では思想善導機關を設け、各大學專門學校には學生主事を增設し、民間諸團體では、頻りに思想善導講演に努むる所があった。
けれどもこれ等の對策は、極めて姑息不徹底であった。これ等の對策は、最も大切なる根本の第一對策を逸して居るのである。それは日本共産黨なるものが如何なる目的を有し、如何なる組織を有し、如何なる戰術を以て活動する團體であるか、その眞相を明かにし、且つ日本國家國民にとり如何なる毒惡性を有するものであるかの點を、國民に明白に知らしめることである。之を國民に敎へ知らしめることをなさずして、たゞ所謂策なるものを講ずるとしてもそれは、唯だ國民の疑惑を招くに止まってその效甚だ薄いと謂はなければならない。
右は日本新聞社説の一節なるが恰も本書を江湖の士に薦むる所以と一致するを以て此に抄録す。
中表紙(扉)の説明
第一の扉にあるは彼の標象の蛇にして解説に表紙にあるを以て此處には之を省畧す
第二の白と水色なるは猶太の旗なり
第三の表紙は、猶太の旗に『ダビデ』の楯なる二個の三角形の組せたる猶太の紋を配したるはシオン團の旗にして、其の裏表紙の圖は歐洲の人民より愛國の念を取去るに努力し居るを表示せるものなり
第四の定規とコンパスとを組合せたるはマッソン團の印なり
第五のペンと黄金は思想及資本の侵畧法を以てする猶太の世界統一の武器を表はす
猶太問題の概念
一、猶太人とは何か
私は以前猶太人といへば單に歐洲の浮浪人であり、基督に對する反逆者であってたまたま偉らい人間も出て居るやうではあるが、それは曉天の星の如く極めて稀であって、概して數千年來の骨董的民族が餘命を保って居るに過ぎない位に考へて居った。併し此は單に私許りでなく、日本の大多數の人々はそう考へて居った事と思ふ。また現在猶太問題が一部の人士に論議さるる樣になっても、猶そういふ考へを持って居る人が尠なからずあるやうに思はれる。
元來我國僅々六十年前迄は鎖國状態にあった爲、異人種殊に歐米人種に對する智識に乏しく、英國人も、伊太利人も、佛蘭西人も異人として吾々に與ふる感覺は大差がない。正直な所特に經驗を有するものの外一見して其の人種別さへつき兼ぬる有樣である。從って永年其の國に國籍を置いて定住して居る猶太人を、區別し得ることは至難のことであって、兎に角日本の大部の人々は猶太人なるものの存在を知りつつも英國猶太人も、露西亞猶太人も單に英國人、露西亞人とのみ考へて來たのである。斯くも吾々日本人は今迄の樣に猶太人に對して無頓著でいいだろうか、又事實猶太人は吾々日本人と沒交渉であらうか、何うであらう? 若し國藉に依らず猶太人として少しく世界を見たならば、驚嘆すべきことを發見するだらう。
英國に於て以前首相ビーコンスフィルド卿(ベンジャミン・ジスレリー)が猶太人であったことは大抵の人々は知って居るが、現在世界で評判の英國勞働黨内閣の大藏大臣スノーデン、内務大臣ヘンダーソン、前勞働大臣モンド及アスキス、ロイド・ジョージ兩内閣の後見人にして現印度總督レヂング卿(サー・ルファス・ダニエル・アイザック)が猶太人であり、佛國に於ては大統領ミルラン前總理大臣兼陸軍大臣ハンルベ、大藏大臣クロック、獨逸に於ては大統領エーベルトを初め、皇帝に退位を要求した共和獨逸の中心人物シャデマン、過般暗殺された外相ラテュナーあり、無冠の帝王スチンネスがある。墺匈國に於てはボスニア、ヘルゼゴビナ二州合併の當事者即ち大戰の導火者たる有名な外務大臣エーレンタールが猶太人であった。次に露國に於てはトロッキー、ケーレンスキーを初め第三インターナショナル議長ジゥノウィエフ御馴染のヨッフエ等無數の猶太人がある。伊太利に於ては前外相ソンニノやシャンツェルがあり、大戰平和會議に於ては其の指導者ウィルソンの相談役バラヂを初め各國委員に多數の猶太人があった。之が爲めに佛蘭西人は驚いて平和會議を一名コーシア(猶太のお料理の意)會議と呼んだ程である。又國際聯盟の事務總長ドラモンド亦然りである。又東洋に於ても支那の政治顧問シンプソン初め日本の獨逸大使ゾルフ等大分有力者が居る。
斯く觀察して見ると、猶太人は世界各國に恰も盤上の碁石の樣に散在して、所謂世界の支配階級中の一大勢力を爲して居るとしか考へられない。而も猶太人は各國に分散して寄生生活を爲しつつも決して其の國に同化されては居ない。例へば露西亞に居住し露西亞人民でありつつ猶太人はやはり猶太人として住んで居るのだ。是は世界の政治的方面のことであるが、次に言論及思想界方面はどうであらう?
世界に於ける言論機關の九割は猶太人の掌中に歸して居るといふから、世界の輿論は彼等に依って左右せられつつあるのは勿論のことである。又露國はいふまでもなく佛・獨・英・米諸國に於ては猶太人の財的勢力の增加に伴って社會擾亂の危險思想亦增加するといひ、我東洋に於ては、既に對岸支那にマッソンの世界的大立物孫逸仙に依って、ソウェト露國を背景として共産主義の烽火は打ち擧られ、我日本に於てさへ二千年來の傳統的精神が猶太思想に四六時中浸潤されつつあるのだ。事實昨年九月大震災と共に日本上下を震駭し本年二月發表された日本共産黨事件と謂ひ、昨年十二月二十七日我が國史に一大汚點を止めた大不敬事件と謂ひ、其の思想の根源は猶太政策の放散する他民族崩潰思想に基いて居るのであって、彼等の唱道する所謂自由・平等・解放の新思想は、彼等の完備せる世界的宣傳機關に依って世界の四隅に行き亙るのであるからして、今や猶太人は世界の思想界の支配者であると自づから首肯せられる。
次に財界方面は如何であらう? 世界金融の中心市場であるところの倫敦取引所は既に猶太人の勢力下にあり、之と伯仲の間にある紐育取引所に於ても亦然りで、漸次蠶食を爲し最近に至り其處に一大勢力を形造るに至った。又世界大戰に於て猶太人の手に入った利得が實に二千億圓であって、現時世界黄金の二分の一は彼等の掌中にあるといふではないか、して見ると彼等は世界最大の財閥であるといはねばならぬ。
それから又佛蘭西革命の結果二十世紀の初めに於て、二十萬の佛蘭西猶太人の財産は四千萬の佛蘭西人の全財産の二倍強になったといって彼等は狂喜したといふことである。又戰前獨逸に於ける猶太人の財産は獨逸の全財産の百分の三に過ぎなかったが、革命後の今日、其の百分の七十五が彼等の掌中に歸したといふことである。
そうして見ると彼等は戰爭とか革命とかに非常に因縁があって、戰爭や革命のあった國は疲弊し借金で頸が廻らなくなるのであるが、其の間にあって獨り猶太人は大變成金になるのであって、戰爭や革命は彼等に取って少くも結構なものの一つである。事實に於て彼等は革命と大關係を有し、革命ある所必らず猶太人あり、猶太人ある所必らず王冠が落ちるといはれて居る。蓋し佛蘭西革命に於て一七九三年一月二十一日嘗て佛王であったルイ・フヒリップの體に手を下して死刑を全ふしたものは猶太靑年サムソンであり、一九一四年六月二十八日世界大戰亂に火を點じた、サラエウォに於ける墺國皇儲暗殺事件の當の下手人は、猶太人ガブリロ・プリンチップであり、エカテリンブルグに露國皇帝初め無邪氣な皇太子に至るまで一族十數名を鏖しにした過激派十六名中十一名は猶太人であったではないか。尚各國の革命政府の顔振れを見た丈で革命と猶太人との關係が首肯さるるのである。
尚此外猶太人にはマルクス、ラッサール、メンデルスゾーン、ハイネ、エヂソン、ワグネル、ワイズマン、アインシュタイン等世界的學者、藝術家、發明家等有名な人人が非常に多くあるが、以上の樣に觀察して見ると近頃日本の一部の文士とか博士とかいふ人々が論ずる如く猶太人は單に平和的の愛すべき民族といふことが出來やうか、又一部論者のいふ如く、單に憐れな同情すべき虐げられたる民族であらうか。兎に角猶太人は骨董的民族どころか實に容易ならぬ大變な民族であって、我々日本人にとっても非常な關係を有し、吾人が是非研究せねばならぬものであるといふことが解るのである。
某外國人は嘗て私に言った「世界に於ける猶太人とマッソン祕密結社のことを知らなければ首相になる資格も、外務大臣たる資格もない」と、更に私は曰ふ「猶太人の世界的勢力を閑却して社會萬般の世相を論ずるのは、羣盲の巨象を摩して之を評するに等しい」と。
古き四千年の昔に於て猶太人の祖先と同時代に榮えた民族イドム人、モアワ人、アムモニイト人、アッシリヤ人、フヰリスツァン人及アマレク人等は舊約全書に於て一寸とした思出となるの外跡形も殘って居ないが、併も猶太人のみは各國に散在して「國家内の國家」を組織しつつ、猶太民族として其の純粹を保ち、而して今や其の隱然たる勢力は實に恐るべきものである。
參考表
(一)獨逸革命政府に列したる猶太人
獨逸政府 | |
外務大臣 | ハーゼ |
同 次官 | カウツキイ |
新聞局長 | コーヘン |
司法大臣 | コーン |
同 次官 | ヘルツフェルド |
大藏大臣 | シノフェル |
同 次官 | ベルンシュタイン |
内務大臣 | プロエス |
同 次官 | プロエンド |
普魯西政府 | |
司法大臣 | ローゼンフェルド |
同 次官 | ハイネマン |
大藏大臣 | シモン |
内務大臣 | ヒルシュ |
農商務大臣 | ブラウン |
文部大臣 | ブッシュ |
右の外バイエルン大統領を初め聯邦語國の内閣に多數の猶太人あり
(二)露西亞を支配するは何人か (千九百二十二年調)
主なる國家機關 | 代表的役員總數 | 役員中の猶太人 |
---|
人民委員會 | 二二 | 一八 |
軍事委員會 | 四三 | 三五 |
内務省 | 六四 | 四五 |
外務省 | 一七 | 一二 |
大藏省 | 三〇 | 二六 |
司法省 | 一九 | 一八 |
文部省 | 五三 | 四六 |
新聞及雜誌記者 | 四二 | 四一 |
國民經濟會議 | 五五 | 四四 |
地方コムミサール | 三三 | 二一 |
赤十字代表者 | 八 | 八 |
社會救護委員會 | 六 | 六 |
職業委員會 | 八 | 八 |
舊制度國家事業
調査委員會 | 二七 | 五 |
都市復興委員 | 二二 | 二〇 |
第四回全露
勞兵代表者會議 | 三四 | 三三 |
第五回全露
勞兵代表者會議 | 六一 | 四二 |
SR社會國家
勞働中央委員會 | 一二 | 一〇 |
計 | 五四五 | 四四七 |
備考
{五百四十五名中露人は三十一名に過ぎず而して露猶兩人種以外六十七名に波・チエ・獨等の外人なり
(三)露國共産黨領袖一覽表
姓名 | 種族別 | 職務 | 革命前の經歴 |
ヨッフエ | 猶太人 | 前駐獨大使「プレスト」竝對「エストニア」及對波蘭媾和全權委員 | 新聞記者 |
ステクロフ | 猶太人 | 「イズウェスチヤ」紙主筆 | 同 |
カーメネフ | 猶太人 | 黨本部委員 莫斯科勞兵會長 | 同 |
コツプ | 猶太人 | 伯林駐在代表者 | 生粹ノ共産主義者亡命客 |
ガネーツキイ 本名「フェルステンベルグ」 | 猶太人 | 國立銀行理事タリシ事アリ 「リガ」駐在代表者 | 千九百十四乃至十七年「コツペンハーゲン」ニ於テ銀行業務ヲ營ム |
レインシュタイン | 猶太人 | 右同 外務部米國課勤務 | 歸化米國人 |
ジゥノーウィエフ 本名「アッフェルバウム」 | 猶太人 | 黨本部委員 第三「インターナショナル」議長 | 瑞西ニ亡命ス |
グリンケル | 猶太人 | 第三「インターナショナル」支部ニ於ケル活動家ノ一人 | 亡命客 |
リトウィノフ 本名「フィンケルシュタイン」 | 猶太人 | 外相代理「エストニヤ」駐在大使 | 瑞西亡命客 |
トロッキイ 本名「プロンシュタイン」 | 猶太人 | 黨本部委員 革命軍事會議長 | 紐育及巴里ニ於テ新聞記者タリシコトアリ |
ポトゥオイスキー | 猶太人 | 革命軍事會議々員 |
エムシァーノフ | 猶太人 | 交通相 |
メンジェンスキー | 猶太人 | 全露特別警務委員會役員 |
ルヰコフ | 露人 | 黨本部委員 前最高國民經濟會議々長 | 工場取締役 |
ラデーク | 猶太人 | 黨本部委員 第三「インターナショナル」本部役員 | 獨逸及瑞典ヘ亡命ス |
クラーシン | 露人 | 外國貿易相 | 「シイメンスシュッケルド」工場技師及取締役 |
チェチェリン | 露貴族 | 外相 | 外交官タリシ事アリ(二ヶ年間)亡命客 |
カリーニン | 露人 | 黨本部委員 全露執行委員會長 | 鐵工 |
レーニン 本名「ウリヤーノフ」 | 猶太人 | 黨本部委員 「プラウタ」紙主筆 | 經濟學專攻學生、獨逸及丁抹ニ亡命ス (露人ト謂フ説モアリ) |
スターリン 本名「ヂニガンウイリ」 | 「クルジヤ人」 | 黨本部委員 |
カラハン | 露人 | 外務次官、駐波蘭支那大使 | 元「メンシエウイ」派大學在學中「イルクーツク」ヘ追放サル |
ボクダーノフ | 露人 | 最高國民經濟會議長 |
シュミット | 「ラトゥイシゥ人」 | 元勞働相 |
世界赤化宣傳に重要使命を帶ふる共産黨は世界に於て約二百八十萬にして内勞農露國最多六十七萬を算す此六十七萬は實に勞農政府の機關にして他の一億三千萬の露人を支配するものとす
インターナシヨナル(國際共産黨)
第一インターナショナルの創立は西歴一八六四年(我が元治元年)であったが、一八六九年(我が明治二年)瑞西バーゼルで開かれた其の第四回大會に於てバクーニンとマルクスが意見の衝突から潰裂するに至った。
第二インターナショナルは一八八九年七月十四日佛蘭西革命百年祭の日、巴里に於て設立され、一九〇〇年の其の第五回大會には普通選擧、メーデーの示威運動、勞働問題等を決議したが一九一六年獨佛の國境に於ける會議の際レーニン等の過激派はインターナショナルは今や勞資協調に陷り懸けてゐる是れ本會の使命に反すと憤慨して穩健派を痛罵し、遂に一九一九年モスクワに創立總會を開きしもの左の第三インターナショナルである。
(四)國際共産黨系統圖
(国立国会図書館デジタル化資料「世界革命之裏面」24枚目より)
備考
一、第三インターナショナル第一回千九百十九年
二、同執行委員第一回千九百十九年
三、國際農民同盟昨年創立、各國に支部を置くことを決議す日本片山潜、林某參加す
四、共産靑年團は共産黨員の養成機關なり
五、露國共産黨首領第三『インテル』議長はジゥノウィエフなり
(五)第四囘大會の終りに於ける共産「インテル」加盟會員の數左の如し
國名又は黨名 | 人員 |
露國共産黨(小露、白露、近東及極東ヲ除ク) | 三二四、五二二 |
獨逸 | 二二六、二〇〇 |
佛國 | 七八、八二八 |
伊太利 | 二四、六三八 |
英吉利 | 五、一一六 |
米國共産黨 | 八、〇〇〇 |
米國勞働黨 | 二〇、〇〇〇 |
米國(黑人團體代表者) | 五〇〇 |
「チエック・スロワック」 | 一七〇、〇〇〇 |
波蘭共産黨(祕密結社) | 一〇、〇〇〇 |
諾威共産黨 | 六〇、〇〇〇 |
瑞典共産黨 | 一二、一四三 |
墺國共産黨 | 一六、〇〇〇 |
蒙古共産黨 | 一、五〇〇 |
支那共産黨 | 三〇〇 |
日本共産黨 | 一、〇五〇 |
二、猶太人は猶太人なり
日本の物知りがよくいふ、猶太人、猶太人と殊更に猶太人を引き出して云々する必要はない。彼等は各々獨逸なり米國なりに國籍を持って獨逸人となり、米國人となり夫々其の國家に忠勤を勵んで居るではないか、其の證據には露國で大戰に參加してゲオルギー勳章を貰った者が何人あるとか、獨逸では何人大戰に參加し誰々はカイゼルの股肱として獨逸の爲に最善の努力を盡したではないか・・・・と。然し之は日本の古の歸化人が今や全くの大和民族に同化したのと同一視するもので、全然其の在來の國民と區別すべきではないと云ふ理由にはならない。又實際日本の古の歸化人が日本に同化融合した樣に猶太人が各々國籍のある處に同化して居れば問題はない。縱令日本人が米國の軍人として出征したからといふて此の日本人を米國のアングロサクソン同樣に取扱ふことが出來やうか。若し日本移民が米國民に成り終りさへすれば排日問題など起らぬし又日本人は彼等に恐れらるる事もない。同化しないから問題が起るのである。猶太人も亦之と同樣である。一體露國を滅ぼし獨逸を亡ぼして之に代ったのは誰れか、物知りのいふ此の忠勇な猶太人ではないか。
或る學者は云ふ、『猶太人の基督敎徒の壓迫に對する反抗的活動寧ろ反撥的爆發が世界的の革命や現状破壞の急劇なる實行に向ふのは、實に基督敎徒の幾世紀間の仕打が此に到らしめたのである。然るに基督敎國とさへ言へば、正義人道の國であるかの如く心得、彼等の宣傳に附和雷同して、猶太人とさへ云へば惡いものの樣に云ふのは大なる誤りである』と。私も基督敎國を正義人道の國の如く崇拜阿附する者多きを深く悲むものであるが、さりとて猶太政策に我が國が浸蝕され、革命せられ破壞されんとするを默することは出來やうか。基督敎國の罪惡を以て猶太民族の罪惡は帳消しにならぬ。而も之は理窟でなくして實際問題である。
縱令猶太の基督敎國に對する反動が當然であっても、現實其の猶太の恐るべき影響が基督敎國ならぬ我が國にも來る以上、之を研究し、對策を講ずるの必要なる事は、我が國を窺ふ基督敎國に對すると同樣であらねばならぬ。增して學者の云ふ基督敎國の平和人道の叫び其のものが既に猶太計畫の一つなるに於てをやである。
猶太問題の研究は、猶太人が縱令英國に國籍を有し英國人となって居ても、猶太人はやはり猶太人として獨特の國民性、民族的傳統、民族的自負、宗敎及思想を以て居る。如何に彼等が英國の大宰相にならうが、米國の大富豪にならうが、英國人であり米國人であると共に彼等は猶太人であり猶太人としての理想を以って活動しつつあることに何等變りはない。若し世の物知りが考へる樣に猶太人が英國の貴族となり佛蘭西の大統領となった爲めに猶太人たる特徴が消失するものであるならば尠くも猶太人問題の研究は半減される。
元來猶太人は、猶太人以外の人々に對しては其の寄生的生活の都合上、猶太人とは決して人種上の區別ではなく、一の宗敎的差別の語に過ぎないと主張するけれども、猶太人が猶太人に向って説く所は全く之と反對である。
今基督敎國の反猶太宣傳に乘らない樣に猶太人は何處迄も猶太民族として、世界に存在し又存在せんと彼等の努力しつゝあると云ふ猶太人自身の證明を、左に列記しやう。
猶太民族主義の世界的指導者である所の米國高等法院判事ルイス・ディー・ブリンデイス氏は、次の樣に言ふて居る。
「猶太僧侶會議等に於て、猶太正敎に歸依する者に限り猶太人たること認むべきであるといふ提案が時々出されることがあるが、猶太人なる字義に對する定義を定むるには一部猶太人の間で爲し得るものではない。必らずや猶太人全般に依りて行はれなければならぬものである。而して猶太人問題と言ふが如き場合の猶太人なる意味は、苟も猶太人の血を受くるものは悉く之を含むべきものであって、宗敎を變更することに依って之れを免れることは不可能である。縱令如何なる學理と信條を以てするも、猶太人の本能と行爲とを有するものに對しては、他と區別するに「猶太」なる語を使用するを拒否することは出來ぬ。」
西部倫敦猶太敎會堂の牧帥モーリス・ジョセフは曰く
「イスラエル人は確かに一大國民である……何人と雖も猶太人を一國民と看做して居って、之を宗敎上の區分と誤認するものはない。猶太人の國民性を否定することは實に猶太人の存在を否定するものである」(一國民たる希來人)
西部倫敦猶太民族主義協會のアーサー・ディ・レウィス曰く
「……縱令猶太人にして基督敎の洗禮を受け全く基督敎徒に化しても、其の血統其の氣質及其の精神的特性は決して變ずるものではない。」
かの名聲赫々たる印象力の強大な猶太學者で且つ著作者であるところのレオン・シモンは、其の著「猶太國民性の研究」に於て宗敎と國民性に關する重要研究をして居るが彼は
「猶太人の宗敎は即ち國民性であって、又國民性は彼等の宗敎の主要部分である。」と云ふ提言を爲し次の如く述べて居る。
「猶太敎中には敎義を包含せずと云ふことは、屢々耳にする所である。然れ共此の言は眞ではない。而して救世主時代は、猶太人に取りては單に地上に平和を齎し人心を善ならしむることを意味するに止まらず、世界をして猶太人と其の神とを一樣に認めしむることを意味するものであった。換言すれば是れ猶太民族の永遠を語るものである。而して其の敎義たるや何人も之を受納し得べき單純なる敎會的のものではなく實に一國民の過去及將來に對する一の信念に外ならない。
如何となれば猶太敎は基督敎の如く個人の心靈を救ふの使命を有せず、實に全觀念は猶太國民の生存と結合せるものである」
グラエッヅ氏は猶太人中の一大歴史家で、其の記念著作は世間の標準たる權威あるものであるが、氏は曰く
「猶太人の歴史は彼等が其の國家を失ひたる後と雖も國民的性質を有し決して單なる信條又は敎會の歴史の如きものではない。吾人の歴史は單に文學的事件の年代記の如きものとは其の趣を異にする、……」
歴史上有名なる人物で、古よりの猶太計畫を具體化するに貢獻したモーゼス・ヘッス氏は曰く
「猶太の宗敎は何物よりも先づ猶太の愛國主義である、……」
「事實猶太敎は、一の國民性と同樣自然の基礎を有し、他の宗敎の如く單に其の信仰を變ずる事によりて此の基礎を捨ることが出來ない。猶太人は自己の人種に屬するが故に、從って又猶太敎に屬する。而して此の事は彼自身又は其の祖先が宗旨變更者たりしことは毫も關係せざる所である」
「猶太人は其欲すると欲せざるとに論なく悉く同國民として堅く結合して居る、……」
陳腐な人々の言葉は此の位にして次に一九二〇年米國猶太民族主義者協會から出版されたジェーシー・イー・サンプター氏の筆になるものの一部を紹介しやう。
「猶太人の國民的宗敎の名稱即ち猶太敎は其の國民的性質から生じて來たものである。縱令無宗敎の猶太人でも依然猶太人であって唯猶太人たる名稱を拒否する者のみが辛ふじて其の忠順を脱し得るに過ぎない」(「猶太民族主義案内」五頁)
高等法院判事ブランデイス曰く
「猶太人は三千年間多少他の血統の交あるは勿論であるが、迫害偏見等の結果、他人種が猶太人と混血したことは極めて少く、如何なる人種と雖も猶太人種程純粹なるものは他にはない。」
猶太人記者アーサー・ディレウィスは其著「一國民たる猶太人」中に述べて曰く
「猶太人は本來一國民にして他の國民にも優りて一國民たるの要素、即ち人種的要素を保持し其特質を有する。實に英國人が英人なる以上に猶太人は猶太人たるものである。」
其の外此の種の例は無數にあるが吾人の目的とする處は人種學の研究をするのではないから此の位でやめよう。
吾人の云はんと欲する所は、猶太人は單に宗敎上の一團であると云ふに止まらずして一國民であると自覺し自認して居る即ち其の國籍の如何を問はず猶太人は猶太人として進みつつありと云ふのである。
今猶太人の世界的勢力を研究するに當って彼をして今日あらしめた其の歴史と宗敎とを除外することは出來ない。それで先づ順序として此の二つを一通り觀察して逐次彼の現代の活動に入らうと思ふ。
三、猶太の歴史的觀察
(一)世界に流浪する迄
猶太人は、何う云ふ歴史を有する人民かと云ふに、セム人種であって、元メソポタミヤ地方に住んで牧畜を業とし唯一の上帝を崇拜する一神敎を固信して居った。然るに此の地方一帶の人民は偶像を崇拜する多神敎の信者であったからして、色々の壓迫を受けて自由に一神敎を信ずる事が出來なかった。そこで其の酋長アブラハムは怒って全族を率ゐユーフッラト河を渡り、漸次西方に向って遊牧して遂にカナンの地方即ちパレスタインに移住した。是が紀元前二〇〇〇年の頃即ち今から四〇〇〇年も昔のことであって、此の時代から猶太の歴史は流浪の歴史であり壓迫の歴史である。當時此のカナン地方の住民は、日月星辰を神とするバール敎の信者であったが爲、また彼等は往古傳來の一神敎を信仰する上に色々の障害を被って氷炭相容れず、爭鬪の絶える閑とてはなかった。
アブラハムからイザークを經てヤコブに至ったが、ヤコブは多くの子供等の中で特に末子ヨセフの賢明を愛したが爲、兄弟は彼を惡んで一日彼を井戸に投げ込んだ。然るに彼は幸にも旅人に救はれて埃及人に賣られ、埃及に漂泊することゝなったが、ヨセフの潑溂たる才能は遂に埃及王の認むるところとなり、次第に其の信任を厚くし遂に登用せられて宰相の椅子に着くに至った。其の後ヨセフは一旦歸國し、國人が多神敎徒の壓迫を受けて居るのを見て憤慨の念禁ずる能はず、紀元前一五五〇年の全族を率ゐて埃及に到り、遊牧王の許諾を得てニール河口のゴーゼンに移住することとなった。爾來約二百年間彼等は此地に定住して自由に一神敎を信仰しつつ平和な生活を續け、其の人口の如きも非常に增加して一時婦女子を除き六拾萬人の多きに達したと云ふことである。從って多神敎徒である埃及人は其の勢力を嫉み次第に猶太一神敎を壓迫する樣になった。
然るに埃及は第十八王朝の末葉から、西方亞細亞の蠻族と連年交戰して勝敗決せず、第十九王朝の始めラメス大王に至って交戰するの不利なるを悟り、蠻族王ケタジラと對等の媾和を約して、專ら退嬰策を保持するに至った。此に於て王はスエズ地峽の地に城壁を築いて外敵の侵略を防がうとし、其の勞役を附近に住んで居る猶太人に課したのである。然るに猶太人は信仰の上の束縛に對し竊に不快の念を抱いて居った際とて、憤懣やる方なく紀元前一三二〇年頃遂にモーゼは同族全部を率ゐて埃及を脱出した。其の後モーゼはスエズ地峽を經て紅海の右岸に出で、極めて迂囘した道路を辿ってアラビア地方を彷徨し、多年シナイ山麓に遊牧したる後、大擧將にカナンの目的地に到達せんとして不幸にも死去した。モーゼがシナイ山上其の信ずるエホバの神から十戒を受けたと云ふのは其の頃のことである。前に述べた通り當時の人民は皆多神敎を奉じ一神敎を信ずるものがなかった。それで彼等の信仰の基根たる此の一神敎が基督敎の源泉となったことは云ふまでもないことである。
扨てモーゼの死後其の子ヨシュアは、父の志を繼いで苟も武器を携へることの出來る六拾餘萬の人民を糾合し大擧カナン民族を征服し、紀元前一二五〇年頃カナンに復歸したが、外は蠻族の反抗止まず内は十二人族各割據獨立して國勢揚らず、而も國王と云ふものなく高僧神意を享けて政治を行ふに過ぎなかったからして、高僧サムエルは人意を容れてソールを國王とした。
ソールに次で英傑ダビデが王位に即いたが、イェルサレム市を占領して王城となし文武の諸政を勵み威風四隣を壓し、南は埃及より北はレバノン山脉に達し東はユーフラット河に至る廣大なる地方を併略した。
紀元前九九三年頃ダビデの子ソロモン王位を繼承した。王は父王の志を嗣ぎ熱心に政務を鞅掌し、大に商業を奬め貿易を励まして、アラビアよりアフリカ及印度に周航し以て國利の增進を圖り、宏壯華麗な石造の禮拜堂をイルサレム市に建立するに至ったが、彼の晩年に至り異敎徒の婦人を入れて其の宗敎を許し驕奢益々其の度を高め、爲めに國民の不滿の念を熾んならしめ、遂に紀元前九五三年王の死去と共に内亂勃發するに至った。玆に於て國内の政敎南北に分かれ、南は猶太國と稱して都をイェルサレムに奠め、北はイスラエル國といってサマリに都した。
然しイスラエル國はアッシリヤ人と戰って潰亂し猶太國は之に服從したが紀元前五八六年バビロニアの攻略するところとなり、流石イェサレムに榮華を誇ったソロモンの殿堂は燒かれ、猶太貴族は捕虜にされてユーフラット河畔に移されてしまった。後ペルシヤ蹶起してバビロン人は滅亡したが、紀元前五三六年ぺルシヤ王キロスは猶太人の歸國を許した爲め、彼等は猶太に歸って殿堂の再建に着手した。然るに紀元前三三二年マセドニアのアレキサンダー大王に攻略せられた。大王の死後トレミーの所領となり、又シリア人に征服されて其の壓抑を蒙り、紀元前一六六年に至って國人義憤を發して一時其の覊絆を脱するを得たが、紀元前六三年羅馬の將帥ボン
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凡て隣人の物を貪る勿れ、是等の言をエホバ、山に於て火の中雲の中より大なる聲を以て汝等の全會衆に告げ給ひしが、此の外には言ふ事をなさず、之を二枚の石の板に書して我に授け給へり。
と云ふのであって之に依って彼等は、其の信仰する一神敎の基礎を鞏固ならしめたのである。
二、タルムードの拔萃
是は猶太精神の全眞髓であるところのタルムード(猶太聖書)中の、主なる拔萃である。之で猶太人が如何なる精神を把持して居るかが能く窺はれる。
一、 | 神より生れたるは唯だ猶太人のみ、其の他の人類は惡魔の子なり。 |
一、 | 人間は動物より高等なるが如く、猶太人は人間より高等なり。若し此の世に猶太人なかりせば、如何なる幸福も、赫々たる太陽の光線も、風雨もなく、人類は到底生存し能はざるなり。 |
一、 | 永久に生存する價値あるものは、獨り猶太人のみにして、他の人類は驢馬にも如かず。 |
一、 | 猶太人は人類と名づくる權利あるも、不淨の神より生じたる非猶太人は豚(ゴイ)と命名せんのみ。 |
一、 | エホバ(上帝)は、非猶太人を憎み給ふ程、驢馬や犬の如きものを憎み給はず。 |
一、 | 非猶太人が善事を行ひ、慈善を施さば之れを罪と認め彼等を呪ふべし、之れ彼等は誇らんが爲に斯る行ひを爲すが故なり。 |
一、 | 我等は如何なる援助も非猶太人に乞ふべからず。我等の利益の爲には彼等に害を與ふべし。非猶太人は地上に在る幸福を占むる權利なし。何故ならば彼等唯だ動物なればなり。 動物を放逐し或は殺戮し得る如く、我等は非猶太人を逐ひ之を殺し、又彼等の財物を利用し得るものなり。即ち猶太人ならざる者の所有物は吾等の紛失したるものにして、實際の所有者は猶太人なるが故に、猶太人は先づ第一に之を所有せざるべからず。 |
一、 | 若し非猶太人が、猶太人より些細なる物を盗むときは、之を死刑に處するは當然なり。然れども猶太人は欲する儘に非猶太人の所有物を奪ふも自由なり。是れ「汝の隣人に惡を施すこと勿れ。」とあるも、特に「非猶太人に惡を施す勿れ」と明記しあらざればなり。若し非猶太人にして穴に墜つる者あるも、之を引き上ぐるに及ばず、其の穴に楷梯あらば之を取除けよ。若し傍らに石あらば、拾ひてこれを穴に投ぜよ。 |
一、 | 非猶太人の財産を管理することは猶太人の權利なり。同じく猶太人は非猶太人を殺生する權利を有す。「殺害する勿れ」とは、實は希來の子なる猶太人を指すものにして、非猶太人を意味するものにあらず、而して之を行ふには、責任上の危險尠なき時を好しとす。非猶太人を殺害するには、彼等の中最も高等なる者を選ぶべし。 |
一、 | 非猶太人の生命は我等の掌中にあり。特に彼等の黄金は我等の所有物なり。 |
一、 | 非猶太人を殺すに當り、基督敎徒中の地位高き者を選ぶべし。 |
一、 | 非猶太人の血を流す者はエホバの神に生贄を捧ぐる者なり。 |
一、 | 故意に猶太人を殺害せる非猶太人は恰も全世界を滅亡せしめたる如き罪あり |
これ以上は、何にも附け加へて説明する必要はない。
何故ならば、有らゆる解釋は猶太聖書タルムード中より引出した恐ろしき情景の意味を、唯だ弱むる許りだからである。
三、トーラの拔萃
トーラもタルムードと同樣に、モーゼがツナイ山上でエホバの神から受領したと稱せらるゝものである。
イェルサレムよ起き上れ
光を放て、汝の光諸方に及ばん
無窮の光榮は爾の上に留まらん
諸方の國民は爾の光に向て進まん
諸國の王も爾の光の輝く方に
其の時爾は雀躍して喜ばん
爾の鼓動は高まり心臟は高く打たん
海の富は悉く汝の方に向ひ
諸國民の金庫は爾の許に集められん
外國の若者は爾の城壁を築き
外國の王等は爾の僕とならむ
爾を迫害せし者の子孫は爾の前に屈伏し
爾を輕んぜしものは爾の足下に跪づかん
此のトーラも先のタルムードも共に頗る浩瀚な聖典で猶太人さへ實際幾冊あるか知らないものが多い、それで十二世紀の頃モイセーエフがタルムードを拔萃して十四冊よりなるミッシネー・トーラを作り又トーラから後にシユルチアン・アルチといふ縮抄した聖典が出來た。
以上の猶太聖訓を精神の糧として數千年來敎養せられた猶太民族は、果して如何なる理想を以て進みつつあるであらうか。葢し彼等の今日あるは決して偶然ではないのである。今より彼等の理想及び彼等の行動に關する實際問題に就て研究しやう。
五、二重國家の民族
紀元一三五年猶太人が羅馬の爲に其の故國を追はれ、他民族内に四散するや、猶太人は他民族に統御せらるるを欲せず、其の集團地毎に亡命王なるものが出來て他の國家内に國家を造って長老會政治即ち今の露國の樣なソウェート制の政治を行った。此の長老會政治は時々高級會議を開催するが其の光景は全然國際的であって四國會議、五國會議等猶太人の廣く世界に分散するに從って漸次擴大された。併し此の事は他の記録同樣他民族には近代迄全く窺知することが出來なかったのである。
最近倫敦で開かれたシオン會議は勿論公開はされなかったが、全世界に亙る猶太關係の幾多の事業が行はれた。其の參加國は實に三十七箇で三十七國會議とも稱すベきものであるとのことである。此の如き世界會議の目的が奈邊に存するであらうか。猶太人の結合統一にあるや勿論である。
而も此の猶太の團結は彼等の國家的及國際的幾多の祕密結社、例へば全世界イスラエル同盟、猶太民族主義同盟、ケヒラ結社、米國猶太委員會、ブナイ・ブリス獨立團、マッソン團、ブリス・アブラハム獨立團等に依って愈々強固となり、又是等の結社、組合等を通じて其の政策が着々成功しつつあるのである。
六、全世界猶太人同盟
猶太人關係の諸團隊は極めて多數且つ廣汎なものであって、實に各種名稱の結社や團躰があるが、其の名稱の如何を問はず國際的の色彩を有しないのはない。殊に全世界猶太人同盟は猶太政策の手形交換所ともいふべきもので、現在如何なる國の猶太團体も之に加盟して居らないものはない。此の全世界猶太人同盟が西暦紀元一八六〇年「眠れる者を醒す結社」といふ名稱で巴里に開かれた。此の同盟の代表者は勿論猶太人で、モーゼス・モンテ・フイオレといふものである。彼は伊太利リウォルノの生れで、英國に永住し英國女王の寵を受けて貴族に列せられたが、彼はマッソンの有力なる結社員で猶太主義の功勞者である。此のモンテ・フィオレと共に此の同盟の計畫者の一人で一八四八年佛蘭西二月革命の際には臨時政府員となり、當時は佛國の大臣であった同國マッソンの有力なる一領袖猶太人アドリフ・クレミエとが、此の大會に於て大雄辯を試み、同民族に警告を與へた。 此の演説は印刷に附して檄文とし、全世界の猶太人に配布されたが、今其の演説の大要を述べよう。先づアドリフ・クレミエは立って次の熱辯を振った。
吾人が創設せんと欲する同盟は、佛蘭西人同盟でもなく、英吉利人同盟でもなく又瑞西人・獨逸人等の同盟でもない、實に猶太人の全世界同盟である。猶太人の信仰する靈智の唯一神敎たる猶太敎が、吾人の權利と利益とに對して敵愾心を懷く外國及び是等の國民間に、其の光輝を發するやうになった後、初めて猶太人は基督敎及びマホメット敎徒の親友たり得るのである。
吾人は何事よりも先きに、猶太人であり、且つ猶太人として存在することを欲するものであって、猶太人の國粹の精華は一に猶太人の父の宗敎である。即ち吾人は如何なる政權をも認むることは出來ない。我が民族は常に外國に生活して居るのであるが、吾人に取っては異國人の、輕佻浮薄な慾望の爲に、浮身を窶すやうな馬鹿なことは出來ない。暫くの間は我が獨特の物質的及び道義的諸問題も危險状態にあることを免かれない。されば猶太人の敎訓を世界に徹底せしめなければならないのである。吾人の事業は實に偉大であると共に赫々たるものであって、其の成功は勿論保證せられて居る。
吾人を往古から仇敵視した加特力敎主義は既に滅び、イスラエル人の地上に投じた網は日月の經過と共に擴大し、我が聖書に記載された大なる豫言は着々と實現され、イェルサレムは諸國民の祈禱の宮殿となり、猶太一神敎の旌旗が彼岸に高く飜翻たる時が近づいたのである。即ち吾人は各國に於ける凡百の事情を利用しやう。我が民族の威力は宏大なるものである。吾々は此の威力を以て吾人の事業に適用すべく研究しやうではないか。吾人は何事か恐るる所がある。地球に存する一切の富をイスラエル人の子の所有とする日は、全く遠くはないのである・・・
實にクレミエは全世界猶太人大同盟の意義を明かにし、他民族の風俗習慣に同化すべからざるを説き、軈て世界は猶太人の世界となるべき抱負を述べ、舌端火を吐いて同民族を鼓舞激勵したのである。其のあとでモイセイ、モンテフィオレは起って、
吾人は何物よりも先きに、出版界の權能を猶太人の掌中に收めねばならぬ。
と冒頭に喝破し、
諸君が徒に貿易及び資本其の他の物を壟斷せんとしつつあるも、是等の努力たるや全く徒勞の業である。吾人が全世界の言論を、自由に操縱し得んが爲に、世界中の凡ての出版物を吾人の掌中に收めざる間は、吾人の統治權に對する理想は妄想として存在するに過ぎない……………
とモンテ・フィオレは言論の權威を以て輿諭を左右することを説得した。其の時クレミエは更に起立して出版物の威力、價値及利用に就て其の甚大なる抱負を述べた。
然り若しも黄金が世界の第一の力であるならば出版物は第二の力である。出版物の助力を缺いては、此處の大會に縷々述べられた各種の考案も、協議も、凡て何等の意味をなさないのである。出版物を我が掌中に收めた時初めて吾々は目的を達成することが出來る。吾人は須く日常の出版物を指導すべきである。
吾々は狡猾であり敏捷である。それであるから金錢を占有し之を我が目的に利用することが出來る。又輿論、巷間の文藝及び芝居を製造する爲め吾々に大政治新聞が必要である。此を利用して漸次基督敎徒を壓迫し且つ此の中に何を信じ、何を尊び、何を呪ふべきかを敎へ、又吾々はイスラエル人の悲しき叫びと、吾人を虐げる壓制に對する訴へとを繰り返へそう。
若し或る人々が吾人に反對しても、馬鹿な群衆は吾々の味方として吾人の爲めに起つであらう。
吾が掌中にある出版物を利用して、吾々は不正當なるものを正當とし、不名譽なることを名譽とすることが出來る。そして我が敵基督敎徒の今日迄尊敬した信仰を根本から破壞し、其の代り有らゆるものに對して公然戰を宣しやう。吾々は物事を有名なるものにすることも、之を侮辱してつまらぬものにすることも思ひの儘である。
又吾々は非猶太人の才能を損すことも、向上させることも出來る。非猶太人は常に拍手喝采されることを求めて居る。それで彼等を功名心に慣らすことは、吾々に取って利益であるから、我々は喝采に對しては寛大な態度を取って居る。斯ういふ有樣であるから、些細なる不成功に自ら欺かれたる阿呆者を落膽させる事は如何にも容易である。それには彼等の權威に對して御燒香したり拍手したりすることを止める事だけで澤山である。また成功力を勃興させる爲めに奴隷的に肯定的な服從に彼等を指導する事も容易である。
「非猶太人は見た所虎の樣だが、心は羊の樣で、誠に輕卒極まる人民である。」
彼等の着眼、胞負實に敬服に價すると共に我が日本にも猶太人の所謂「見た所虎の樣で心は羊の樣な」輕卒極まる人等が、日に增し多くなるは實に慨嘆の至りである。
元來猶太人の世界的画策は極めて祕密裡に行はれ、其の遂行方法は他より窺ひ知ることが出來なかった。然るに佛蘭西猶太人は同權論の達成後次第に猶太人の資金增加するに從ひ益々言論界の實權を握り意の如く佛蘭西人を煽動し不知不識の間に非猶太人を猶太人の主權に慣らす主義を採り、之と共に巴里の舞臺に於て彼等の大同盟を擧行して、全世界統治に關する方法を自由に研究したのである。此の大同盟後猶太人は歐洲諸國に向ひ、平和的手段で猶太人の主權の下に世界を平定せんとする企圖を公然發表したのである。
當時即ち一八六〇年頃猶太人の此の大計画は懷疑學者をして、痴人の夢を説くに等し、と一笑に附せしめたが、此は徒らに非猶太人の不明を蔽ふのみであった。之に反し猶太人は此の大演説に依り充分の期待と、非常の熱心とを喚起し、遂に一の立派な政綱を作り上げたのである。
七、ジョン・レードクリフ博士の大祕密發見
猶太人等は、クレミエ及モンテ・フィオレの草案を基礎として作成したる猶太世界政策の政綱を、絶對に秘密にして居つたが、遂に英人ジョン・レードクリフ博士に奪はれ、世界に其の尻尾を暴露するに至った。實にジョン・レードクリフ博士は一八七〇年其の著「セダン迄」の書物の中の「プラーグに於ける猶太人の墓地の夜」の章に於て此の驚愕すべき事實を世に發表したのである。
博士が此の祕密を握る迄如何に苦心したのであらうか。相手は一條や二條繩でゆく猶太人ではない。而も彼等は猶太人中の海千山千の老狐である。又場所は數千年前の謎を藏する世界的伏魔殿である。流石才能の優れた博士も手の下しやうが無かったのも無理はない。然るに神は彼を導き給ふたとでもいはふか、彼は偶然基督敎に改宗した一猶太人と知己となり、其の助力に依って密かに猶太人會に這入り込み、其の會議を立聽する事を得たのである。
是れ實に心ある非猶太人が、疑問として居ったところの猶太人の眞の祕密を窺ふを得た最初であって、猶太人は、博土の爲に其の伏魔殿の鍵を美事に奪はれてしまった。
レードクリフ博士の記事は、當時諸外國語に飜譯せられ、到る處大なる反響を與へ歐羅巴に於てもイスラエルに於ても非常な騷ぎを惹き起し、盛んに物議の火の手が上り初めたが、猶太人は早速此の火災を巧みに消し止めてしまった。此れと同時にレードタリフ博士は間もなく猶太人の手に依って、非猶太人の幸福の爲め敢なき最後を遂げたのである。
今、次の章に記述する政綱を、若しも吾々が一分間レードクリフ博士自身が作成したもので、猶太原書から出たものでないと假定したならば、彼レードクリフは驚く可き深遠なる智識と卓見とを有し、猶太精神と其の企圖を體得したものであるといふことになる。從って彼は基督敎徒の豫言者として出現した靈智の權化であることを認めねばならね。併し博士は豫言者でも靈智の權化でも勿論ない、熱心なる基督敎徒であり、大膽なる學者であったに過ぎない。又次に猶太人は此の政綱を猶太のものたる事を否定する事は出來ない。なぜならば彼等に依って日々印刷せらるる宣傳は此の政綱の各項目の實施であるからである。
八、猶太政綱プラーグの演説
レードクリフ博士に依って世界に暴露せられた「プラーグに於ける猶太人墓地の夜」一名「プラーグの演説」は一、非猶太人に對する猶太人の富強、二、猶太人を強大にする爲に非猶太人をして不行的に衰亡に導くの方法と手段とを、詳述されてある。
次に政綱の骨子を條を追ふて列擧しやう。
一、 | 黄金を所有する事、其の黄金は有らゆるものを購求することが出來る。 |
二、 | 印刷物を專有すること、其の手段に依って非猶太人を墮落させ、馬鹿と化し且つ騷亂を惹き起させる事が出來る。 |
三、 | 自由思想、懷疑説及基督敎破壞の目的を以てする破戒の觀念を非猶太人に接種する事。 |
四、 | 基督敎僧侶に對する戰爭を惹起する事及び僧侶に嘲笑誹謗並に疑惑を蒙らしむる事。 |
五、 | 基督敎徒の學校に於ける神學敎授を廢する事。 |
六、 | 寺院所有の財産を取り上ぐる運動を爲す事(寺院の所領を遲かれ早かれ國家の所有に移す事は、即ち猶太人の手に收めることで、吾々に對する報酬である)。 |
七、 | 家族主義を破壞する事。 |
八、 | 玉座の守護、愛國心養成學校たる陸軍を廢滅する事。 |
九、 | 陸軍嫌ひの人民中に軍備反對の念を益々煽動勃興せしむる事。 |
十、 | 非猶太人の爲め國債及私債を募集する事を容易ならしむる事、即ち此は彼等の爲め便利なる罠である。 |
十一、 | 取引所を盛んにする事、取引所は非猶太人を投機に引き入れ、財産を大資本家の手に移す好き手段である。 |
十二、 | 非猶太人の不動産を破壞し、凡ての土地をイスラエル人の手に移す事の必要なる事。 |
十三、 | 手工的職業を大資本の製造工場を以て換ゆる事。 |
十四、 | 猶太人は貿易及び投機業を確實に掌握せねばならぬ。農業及び村落經濟を己が掌中に握る爲、特に酒精、糓物類、油類、絹の貿易及び投機業を確實に保持する事。 |
十五、 | 猶太人の爲、有らゆる官職に就く道を開き、そして國家の立法者中に加はる事。 |
十六、 | 猶太人に反對する法律(吾等は我が祖先の法律を主張せん)を廢滅する事及び特に猶太人に利益を齎らす法律を制定する事。 |
十七、 | 猶太人は古來よりの仇敵たる基督敎徒の財産、健康及び生命を己が掌中に握る爲、醫者及代言人の職に就く事。 |
十八、 | 非猶太人中に勞働階級の發達を圖る事。 |
十九、 | 有らゆる不平、有らゆる革命を援助する事(如何となれば此は我が資本を增大し、而して吾々を目的に接近せしむるものである)。 |
二十、 | 全世界に波動しつつある社會運動を指導する事、及び猶太保守主義を堅固に維持する事。 |
以上の外其の結論に於て彼等の希望の具體化された事柄が記載されてある。即ち
一、 | 若しもイスラエル人が此處の猶太人會に採用された決議に從ふならば、數百年の後吾々の子孫は我が同盟創立者の墓に到り、イスラエルの民に與へられたる誓約は實行せられ實際に吾等は世界の王侯となったと報告するであらう。 |
二、 | 他の國民は漸次イスラエル人の奴隷となるであらう。此の目的を速に達成する爲には、自ら貧困者の運命の改善を課程として居るところの、社會運動者の味方と詐る事が必要である。實際に於て吾々は輿論の推移の支配及び掌握に努力することを爲さねばならぬ。 |
三、 | 民衆の盲目なる事及び彼等の空虚な、そして音許り高い雄辯を愛好する性癖と、吾々の人氣と信用とは、民衆を誘導する兩刀の武器である。 |
四、 | 吾々は目的を達成する爲め、可能なる程度に勞働階級を保護することが必要である。斯の如く行動すれば吾々は希望通り民衆を挑發する事が出來る。 |
五、 | 吾々は革命の爲に、武器として民衆を使用しやう、此等の災害ある毎に我が事業は長足に成功に近付き、我が全地上統御の目的は迅速に達成さるるのである。 |
以上一八六〇年の全世界猶太人同盟會議に議決した彼等の平和手段の世界大政策は、僅かに六十餘年を經過したる今日に於いて、果して如何に具體化されたであらうか、又此の間に如何なる事件が湧いたであらうか。外國の事はまだしも我か日本に於て、近年如何なる事件が發生し如何に變化しつつあるかが、今以上の條項を見、現在我が國の推移を眺めたならば如何に鈍感な人でも悚然たらざるを得ないではないか! 又一八六〇年代に於ける猶太民族の状態を現時の状態と比較するならば、此の政綱の條項は凡ての點に於て主張的に進歩的に、而かも徹底的に實行されて居ること、恰も音樂が其の樂譜に依って演出された樣であるまいか。一八六〇年から先づ佛蘭西を振り出しに革命の叛亂が勃興しだした。一八七一年には露西亞に起り、次に波斯、土耳古更に露西亞といふ具合に猶太人の計畫は着々實行せられ、全歐洲に革命が準備せられた。殊に歐洲の大戰亂は猶太人の成功の最大なるものであるが大戰後露西亞次で獨逸帝國斃され、又土耳古、ギリシャと逐次帝王は猶太人の武器であるところの民衆に依り玉座から追はれて行くのである。
九、シオンの議定書の由來
曩に述べた一八六〇年ジョン・レードクリフ博士に依って世に曝露された、猶太政綱は、其の後時代の推移と共に漸次增補せられ更に新しい政綱を生じた。是が有名な「シオンの議定書」である。プラーグの演説といひ此の議定書といひ共に猶太の賢者が卒かに考案したものではない、四千年來タルムードやトーラの猶太經典に依って培養された猶太精神と理想とが永年の寄生生活の環境よりする彼等の經驗に依って具體化されたものであることはいふ迄もない。プラーグの演説は、各方法に就いて一般的に率直且つ簡明に述べ、猶太人の到達しなければならない終局の目的を直接敎示してあったが、シオンの議定書の方は之を詳細に説明し而も事實で證據を與へ、且つ完全な經濟的、政治的の域に到達する爲に、猶太人が守らねばならぬ漸進的順序が示してある。
今議定書を一々分解的に研究し批判することは止めて、次章に全文を掲載することにした。之を讀んで見ると彼等が他民族を征服し其の理想を實現する爲に、其の攻擊方向を凡て國家の内面に向け、其の手段は頗る陰險卑劣である。即ち國家組織の缺點殊に人間の弱點を遺憾なく穿鑿研究して其の虚に附込み、對手の無自覺の中に民心を自分の思ふ壺に入れ國家を内部から崩潰しやうといふのである。もっとも國家なく諸國に分散寄生して居る彼等民族としては、其の理想を實現せんが爲に所謂『平和手段の征服法を採るのは止むを得ないところである』とは、彼等自ら其の政綱に告白して居る通りである。それで議定書を一讀して近年に於ける世界の變化して行く有樣を見ると、餘りに世の中が議定書の示す通りに推移し、着々其の計画が實現されて行くので誰しも驚異を感ぜずには居れまい。從って輕卒な人々が此は反猶太主義か反過激派の宣傳の爲に過去の事實を書いたものであろうなどゝ憶測を下すのも無理はない。仍って此の世界的謎である猶太世界政策の大原則がどうして世に公表さるゝに至ったか、是まで私の研究した此のシオンの議定書の由來を一通り紹介して見やう。
シオンの議定書は一八九七年八月瑞西のバーゼル市に開かれた第一シオン會議の議事録の全體ではなく摘録である。從って行文の連絡が意味は解るが斷續的である。此の議事録は二十四囘に亙る集會の議事を記述したもので、其の原本は後に至り佛蘭西に於けるシオン本部に保管されたものである。勿論此の議事録は猶太幹部以外には絶對に祕密にされてあったが、一九〇二年モスクワの法學者で當時の裁判官であった露國人セルゲイ・ニルスが、之を「小事の中の大事、反基督」なる書に依って其の摘録を世界に曝露するに至った。本書がニルスに依って發表さるゝ迄に猶太の祕密書類だけに色々面白い話がある。露書に依って見ると、一婦人が、此の議事を報告したマッソン祕密結社の一首領から、其の佛文で書かれた祕密報告の原稿を竊み、之を一露人に渡した、ニルスはそれを受取って露譯したといふことである。併し更に獨逸の著述家ゴット・フリイトの著書に依ると、シオンの議定書の由來は斯うである。
一八九七年瑞西のバーゼルに、シオンニストの會合があるといふことが新聞に出た。之を見た露國政府は、伯林にある時の露國諜報機關長ラトゥコフスキイに其の會議の内偵を命じた。ラトゥコフスキイは直に一名の間諜をバーゼルに派遣したのである。重大な祕密命令を受けた間諜は間もなくバーゼルに現はれ、シオン會議を内偵する爲、巧に猶太最高幹部の厚き信任を得て居る一猶太人を買收して、シオン會議の終了後此の猶太人が議事録を猶太の本源地とも目すべきフランクフルト・マム・マイン市にある「曉を告げる爲の結社に」傳達すべく同市に到る途中、間諜は豫め多くの筆記者を集めて之を待ち受け、一晩の中に佛文で書かれた議事録の内容を書取ってしまった。併し全文を寫し取ることが出來す摘録したのであった。其の後此の寫は露國の内務省に収められた。議定書を初めて露文に飜譯したセルゲイ・ニルスは、貴族團長スホーチンから之を受取ったのであるが、スホーチンは間もなく死んでしまった。當時世間の噂ではスホーチンは猶太人の齒醫者に毒殺されたとのことであった。
以上は露國政府の重要な位置にあった一露人の、ゴット・フリイドに語った證言である。議事録がニルスの手に入る迄の經路は兎に角として、ニルスは一九〇一年に佛文から露文に飜譯して、翌一九〇二年に至って第一版を公刊する運びになったが、其の發賣公告が出るや否や賣切れになってしまった。之は祕密の手が悉く買占めてしまい一般讀者の目に觸れないやうにしたのである。之と殆ど同時にモスコフスカヤ・ウエドモスティ紙は此の抄録を掲載した。更にニルスは一九〇五年にツァールスコエセロから第二版を出版し、又ジ・プトミーが「現代の禍根」の表題で同書を出版した。「現代の禍根」の終りには一九〇一年十二月九日佛文より飜譯す」とプトミーが署名して居る。プトミーは翌一九〇六、七年と續いて出版し、其の一九〇七年のものは「人生の敵」といふ表題で發行所は「ペテルグラードの盲啞院にて印刷第四版」と捺印されてある。併し此等の本の中で一般讀者の手に入ったものは一部で大部はニルスの第一版同樣の運命を繰返したとのことである。一九〇五年露國に革命騷ぎのあった時のことであるが、革命騷動の鎭壓後に、猶太人等は此の議定書を指して、革命があった爲に警察が作った反猶太の宣傳書であると盛んに宣傳したが、然し本の方は或は一九〇五年に於て一九〇二年出版などゝ勝手な年號を印刷し得るかもしれないが、モスコフスカヤ・ウェドモスティ紙連載の記事は、露國警察の宣傳書でないといふ動かすべからざる證據である。それからジ・プトミーの「人生の敵」の出版(一九〇七年)と前後して、カザンスキイ・テレグラフ紙は、「シオンスキイ・プロトコール」即ち「シオンの議定書」と題して露人に警告を發した。之が即ち現時通稱されて居る名稱の起源である。其の後一九一一年になってニルスの第三版が印刷され、一九一七年ニルス自身がモスクワ近郊のセルゲイ修道院で印刷分配した。墺國ウィヒツル博士の著を見ると斯ういふことが書いてある。此の議定書を方に書籍商に送附せんとして鐵道に積み込んだ時、武裝した一隊が現はれて、此の書籍全部を押收し、街上で燒棄してしまった。之と同時に當時政權を握った許りの猶太人でマツソン結社員たるケーレンスキイは、モスクワ、ペテルグラード及び其の他の書籍商の調査を命じ、議定書を殘らず押收してしまった。翌年一九一八年ノウォチェルカスクで發行されて居るが其の運命も亦前と同樣である。
斯ういふ風であるからして議定書の世の中にあるものは極めて稀れで、殊に大本の露西亞は猶太人の天下だから、今は一冊も發見する事は出來まい。
此のニルスの議定書の第二版が一冊英國に入り大英博物館に收藏された。其の書の上には一九〇六年八月一日の日附がしてあり、其の收藏番號は三九二六D二七號である。議定書が英國で譯されると世間の注意が甚大であったから、其の保全の爲め日本の印刷局に相當するエイア・エンド・スポティスウットから出版され、英國上下を震駭して喧々囂々たる議論が沸騰した。其の後本書は佛蘭西にも、墺國にも、伊太利にも入って幾多の波瀾を捲き起したが遂に獨逸に入って、一九一九年の夏獨逸ゴット・フリイド氏に依って獨逸語に飜譯せられ「シオン賢者の祕密」なる標題を以て發行された。此が猶太人に征服せられた獨逸人を憤慨させた事は實に非常なもので、外相であった猶太人ラテューナの暗殺も之が原因であったといふ。ゴット・フリイトの譯した議定書即ちシオン賢者の祕密には、ニルスの一九一一年發行の第三版が原本であることが明記してある。ゴット・フリイトの記する所によると、數年前彼の經營する雜誌に「マッソンと世界征服計画」といふ一論文が出たことがある。其の時に一露人は之を見て「露國にはシオンの議定書といふものがあるが、此論文は更に此の議定書に依って補足する必要がある。議定書は露國の僧侶間には既に二十年前に知れ渡って居るものである」と語った。又一九一〇年露國内務省の高官クルロフ將軍が伯林滯在中のことであるが、兼ねて將軍は議定書を見たことがあるので、或日のこと往時バーゼルのシオン會議に間諜を派遣したラトゥコフスキイを呼んで當時の情況を聽いて見た。ラトゥコフスキイが語るには、最早十數年前のことで確な記憶はないが、當時の書類は何か殘って居るだろうから搜させて見ようと答へたが其の後突然ラトゥコフスキイが原因不明の死を遂げたので、クルロフ將軍は遂に當時の情況を聽くを得なかったさうである。
米國では、やはり同年頃議定書が司法省の一代表者の手に入り、米國上院議員某等に依って出版が提議され、一九二〇年米國に現はれたが米國猶太人の猛烈なる強壓的抗議に依って製本全部破棄せられ今は唯、華府の國立圖書舘に譯本一冊保管されてある許りである。それで米國にある猶太人等は、該書が偶然露國に入り、第一露文で出版されたる爲、之を口實として辯解に努め「是は罪人か若くは狂人の作である」といひ、又我が日本に於てさへも、其の一部の拔萃を見て全く架空の説であるの、甚しきに至っては、一八一七年後露國帝政主義者が、反過激派の宣傳の爲に作って日本軍に送ったものだなどと、それこそ何の根據もない架空の説を吐いた人もあるが、最近米國の自動車王フォードの著を見ると、議定書の手記が世界各處で手記の儘で外交官に發見せらるるのは何う云ふ理由かと該書に對する猶太掩護者を反駁し、更に該書は勞力を惜むことなく手より手に寫し取られ、諸政府の祕密局に於て勤勉に研究され、且つ高級官吏(猶太人)の間を一人より他の一人に渡り今日迄存在し、其の内容の純然たる力によって益々其の勢力と特權とを增加し來った。斯の如き驚くべき仕事を目して罪人か又は狂人の手によるものであるとは實に其の誣ひ方に驚かざるを得ないといって居る。して見ると日本の外交官で此の手記を發見した人は無論あるまいが、米國外交官は一再ならず發見して居る事が明かである。
元來議定書は猶太人の秘密會議の議事録であり、又世界に曝露するに至った經路が經路だけに、著者の名がない。從って猶太側では何時も之を唯一の口實として、やれ反猶太主義の宣傳書だのやれ猶太人を中傷する爲の僞作だのと辯解して居るが、未嘗て深く其の内容に立入って其の理由を立證したことはない。それで議定書の草案を書いたのは、或る一部ではマッソンの大立物で穩健なシオン主義の指導者セオドル・ハーズル博士と信ぜられて居るやうであるが、實際は穩健シオン主義に對抗した激烈なシオンニスト運動の先立者即ち革命實行家たるアハッド・ハ・アム本名はアスヘル・ギンツベルングであると目されて居る。アスヘル・ギンツベルングの名前は歐米に於ても、さして有名ではないが猶太人間には隨分重きをなして居る。彼は一八五六年キエフの近傍に生れた男で、幼時からタルムード學校に學び非常な天才であった。其の後維納及び伯林等に學び一八八四年四月曾遊の地オデッサ來り、同地に於て「ゴべべイ・チオン」(シオン同胞)中央委員の一員となった。彼は特に語學に堪能で八才にして露語及獨語を自由に繰り、長じて西班牙語及びラテン語を學びヘブリュー語にも非常に巧であった。一九〇五年の露國革命を初め屢々各國に於ける革命の煽動を爲したものである。
話は横に入ったが、一九二一年巴里で發行するラ・ヴィエユ・フランス誌は、其の四月號にエル・フリー夫人の「プロトコールの眞相、アハット・ハ・アム及びシオンニズムに就いて」と題する論文を掲げ、此の論文中に議定書の筆者はアスヘル・ギンツベルグであることを指摘した。其の後此のラ・ヴィエユ・フランス誌を引用して所論するものがあったが、一九二一年獨逸の「ホルクス・ベオバハテル紙及びレベントロフ伯がギンツベルグを以て執筆者であるといふや、彼ギンツベルグは之を誣言であると稱して告訴したが、裁判のある毎に彼は倫敦行った、今度は白耳義に旅行中だといって要領を得る迄爭はず、遂に彼自ら告訴の取り下げてしまった。尚ほ此の誣言の根源である所のヴィエユ・フランス誌に對しては何等の抗議をもしなかったのである。丁度其の時にフリー夫人は合衆國に居ったが、ギンツベルグの訴訟を聞いて公證人の公正を經た説明書を、獨逸の猶太主義對抗敎會に送った。此の文面は一九二三年獨逸の民事部の告示第二十四號に掲載された。之に依ると「一九二〇年九月デトロイト市のフリイプレッスの發行者である所のベルンシゥタインと稱する一猶太人が、デ・アボン・インデペンデント誌の發行所に來て、ヘンリー・フォードの祕書エ・ジ・リボルドの立合の下にウィリアム・イ・カメロンに對し、予は既に二十五年前オデッサに於てシオン賢者の議事録をヘブリュー語で讀んだことがあると説明したとある。
以上の事實に依って見ると議定書の筆者はアスヘル・ギンツベルグであることを否定することが出來ない。それで議定書は最初オデッサでヘブリュー語で書かれてあったものと見える。併し猶太人でもギンツベルグの樣にヘブリュー語に巧妙なものは稀であるからして、各國から集まるシオン會議の際には共通的な佛蘭西語で口演し筆記したものと見える。此れ迄述べた所に依って議定書は、我が國の一部論者のいふやうなシベリア白黨の作った宣傳書ではなく、實に猶太人の手になった眞物であるといふことは、疑ひを入るゝ餘地がないのである。
議定書の由來に就ては此の位に止め、猶太人の議定書買占に就いて面白い話があるから、簡單に紹介して置く必要があろうと思ふ。此は露國の内務省警察局長であったクルロフ將軍が、一九二一年に獨逸著述家ゴツト・フリイトに直接物語ったことである。
クルロフ將軍が、嘗てミンスク知事であった時に、一猶太人と非常に懇意にして居った。此の猶太人は誠に善良な好人物であったが、其の二人の息子は所謂不肖の子で、之を現代の日本式にいったなら所謂醒めた新人と云ふ奴つで、社會主義に化ぶれて革命騷ぎに參加した爲め警察に逮捕され、方に重刑に處せられやうとした。其の時に父の猶太人が兼ねて懇意である所から、クルロフ將軍に懇願して危く重刑を遁るゝを得た。そこで此の息子達は將軍を德として大に行動を謹んで居った。其の後二回クルロフ將軍の暗殺計画があったが、此の息子達の知らせに依って二度共將軍は暗殺を遁るゝを得たのである。それから露國革命後將軍が伯林に亡命して居ると、偶然にも此の猶太人と出會った。其の時に將軍が猶太人に向て、猶太の祕密政策たるシオンの議定書が今出て居るが、猶太人は買占めをしないのかとたづねた。其の時猶太人の答が面白い、「以前議定書の計画が實行中で、猶ほ目的を達しない當時には大に買占める必要があった。然し其の目的が殆んど九分通り達せられた今日にあっては、敢て買占むる必要はない」と答へた。實に曩のベルンシゥタインといひ此の猶太人といひ今日では議定書を否定しない許りか自ら裏書してるではないか又實に之を否定する必要はない迄に議定書の計画が實現されて居るのである。
私はプトミーの露譯した議定書の評論と、ニルスの一九一八年版を所持して居るが、二つ較べて見ると語の配置が前後して居る位で殆んど大差がない。今玆に飜譯したものは其のニルスの原書で、私が在露中舊露國警察官の密かに保管して居ったものを辛うじて買收したものである。日本には英譯物を手に入れた人は何名かあるやうだが、ニルスの原書を持って居る人は恐らく私の外に二名ある許りだろう。兎に角、貴重なるものである。
日本に於ては今日まで議定書の拔萃が一、二の雜誌に公表せられたが世間の人の大部は勿論、政府も政治家も馬耳東風である。最も猶太其のものが何物だか解らないのだから仕方がないが。甚だしい平和論者になると荒唐無稽の説だなどと、賴まれもしない猶太人の太鼓をたゝいて居るものがある。之が議定書の所謂盲目の諜者で、猶太人は蔭で舌を出して居るのだ。實に遺憾千萬である。それで日本に全譯書の公刊されたもののないのを憂へて居らるゝ人士もあり、原書を持って居るのを幸ひ、人々の參考に資する爲め全譯した。本書を熟讀した後本書が約三十年前のものである事を頭に置いて、日々の新聞に目を移し我が帝國内は勿論全世界の有らゆる事件、世態の推移に對照したならば讀者は果してどんな感があるだろう。(この本は昭和四年即ち一九二九年発行なので、その三十年前、一八九九年頃)
注意
是より先づマッソン祕密結社と猶太問題の事實の二章を讀み而して後シオンの議定書を熟讀翫味せらるべし
シオン聖賢集會の議定書
第一議定
權利は力にあり、自由は理想である、自由主義、黄金・宗敎、自治、資力の專制、内敵、群衆、無政府、政略と人道、強者の權利、マッソン猶太政權の無敵、目的は手段を辯明する、群衆即ち盲目、政治の「いろは」、黨爭、政治の最も完全なる形式は獨裁政治である、酒精、古典主義・淫蕩、マッソン猶太政府の制度と原則、恐怖、自由・平等・四海兄弟、帝王政治の原則、非猶太貴族の特權撲滅、新貴族、心理的打算、自由の抽象、人民代表者の交代。
……贅言は止めて各目論見に就て意味を説き、比較と推論とで事情を明かにしやう。
それで予は吾々及び非猶太人の兩見地から我が制度を組立てゝ行くことにする。
權利は力にあり
人々の中で善良な本性を有するものよりは不良な本性を有するものゝ方が多いからして、政治上の良結果は強制と排除とを用ひて贏ち得るのであって、大學式の議論で得らるゝものではない。元來人は權力を得やうと努力し、爲し得れば執政者となることを望んで居るものである。然しながら其の際自分の幸福を達成する爲に、他人の幸福を犧牲にすることを辭せない者は稀れでない。
人間と呼ぶ狡猾な動物を今日迄抑制し來ったものは何か?又何が今日迄人間を指導して來たのか?
社會組織の初めには人々は亂暴な盲力に服從し、次に法律に服從したが、法律とても此の盲力の假面を被ったものに過ぎない。そこで自然の法則に依って權利は力にありといふ結論に到着するのである。
自由は理想である
政治の自由は理想であって、實際的のものではない。若しも我黨が、政權を掌握して居るところの他の黨を倒さうと思ったならば、理想的の欺瞞を用ひて自黨に民力を引き入れることが必要であるが、其の時には此の自由の理想を甘く利用し得ねばならぬのだ。
自由主義
若しも此の時に政敵自身が自由主義と名づけらるゝところの自由の理想に感ぶれるならば、政敵は此の理想の爲に自己の勢力を減退するから之を倒すことは容易くなる。此に於てか我が理論が勝利を得るのだ、即ち自然の法則に從って弛められた政治の手綱が直に新しい手に取り上げられて操縱さるゝことになる。なぜならば人民の盲力は、指導者無くては一日も存在することが出來ないから、新權力は、自由主義に依って弱められた舊權力に代はるのである。
黄金、宗敎
以前宗敎が行政をした時代もあったが、我が時代に於ては黄金力が自由主義に代って爲政者となった。元來自由の理想は實現すべからざるものである。なぜならば何人と雖も自由を適度に使用するといふことは不可能であるからである。
自治
從って人民が自治に委任して居るのはほんの少しの間で直に放縱に變化する、即ち自治になった其の瞬間から内訌が起り、内訌は軈て社會的爭鬪となり、此の戰爭で國家は燃燒し、遂に國家の意義は灰燼に歸するのである。
資力の專制
國家が持病の癪で悶絶しやうが、外敵が内亂に乘じて國家を其の掌中に收めやうが、結極滅亡は滅亡であって國家は我が權力に歸したものである。そこで全然吾人の掌中にあるところの資力の專制は國家に藁を延べる。國家は已むなくそれに摑まる、若し摑まらなければ滅亡してしまふのである。斯ういふ事をすれば人は自由的精神から是を不德義のことであると考へやうが、では予は反問する、今玆に各國に二つの敵があるとして外國に對して不德義な有らゆる戰鬪手段が許される、即ち敵に泌匿せる攻擊防禦の諸計画や夜襲や奇襲が許されるではないか。
内敵
然らば今一つ、より以上不良な敵であるところの社會の秩序及び幸福の破壞者に對して曩に述べたやうな手段をば、許容することの出來ない程不德義と稱することが出來やうか、何等差支へないではないか。
群衆
群衆を支配するに當って縱令馬鹿げた反對にしろ、それが理解ある人民に取って非常に愉快さうに見える可能性があったならば、いくら尤も至極な理論的な智者が利口な訓戒や合議を以てしても うまく群衆を支配することが出來やうか、出來るものではない。群衆及び群衆中の人々は些細な意地、迷信、習慣、因襲及び幼稚な理屈に捉はれて、實に賢明な訓戒に對してさへ全體の一致を妨ぐる黨派的分裂を爲すものである。
無政府
それであるから群衆の決議は偶然的のものか或は豫め仕組まれた多數決に依るのであって、政治上の祕密を知らない所から行政に無政府の胚種を蒔くやうな愚かな決議を産み出すことになる。
(「なる。」の前に図が一頁入る。)
第一囘シオン會議記念章(第二囘シオン會議にて制定せるもの)
第二囘シオン會議場の入場證(會期千八百九十八年八月二十八日ヨリ三十一日マデ)
(国立国会図書館デジタル化資料「世界革命之裏面」59枚目より)
政略と人道
政治は道德と何等一般的共通點を有しない。それであるから道德で行政をする爲政者は政治家ではない。從って其の位置は堅固でない。苟も政治を行はうとしたならば狡智と虚飾を弄せねばならぬ、各國民の性質たる公明と正大は政治にあっては、我々が強敵を帝位より引きおろす爲に最良にして忠實なるものである。蓋し此の性質は非猶太諸帝國の特質であるが吾人は斷じて之に指導されてはならぬ。
強者の權利
吾人の權利は力にある。元來權利なる言葉は抽象的のものであって何等の論據がない。此の言葉は『予は汝等より強いといふ證據を示す爲に予の欲するものを予に與へよ』といふことを意味する。
權利は何處に始まる? 何處で權利が終る?
不良な組織の政府を有する國家に於ては、自由主義に依って目茶苦茶な權利が主張されて法律も爲政者も有名無實である。斯ういふ國家で新權利をせしめるのである、即ち強者の權力を揮ひ、有らゆる既設の秩序や規定を破壞し、又法律に手を下し凡ての官衙を改造し、そうして我儘放縱に因って自己の實力たる權利を放棄して吾人に提供したる者等の統御者となるべきである……
マッソン猶太權力の無敵
有らゆる政權の動搖して居る現代に於て、我が政權は最も優越無敵なものであらう。なぜならば我が政權は如何なる奸策と雖も之を侵蝕することが出來ない程強固なものになる迄は、人目に匿れて居るからである。
目的は手段を辯明する
吾人が目下の必要上臨時行って居る罪惡から確乎たる善政が生ずる。此の善政は將來自由主義に依って破壞された國民生活機關の整調なる運行を復興せしむる所のものである。結果は手段を辨明する。我が計畫に於ては善良とか道義的といふことよりは、必要といふことゝ利益といふことに意を用ゐねばならぬ。
我が計畫は吾人の目の前に戰略的線を示して居る。此の線より後方に退ることは數世紀間の事業を破壞するの冒險を敢えてせねばならぬから吾々退るわけには行かない。
群衆即ち盲目
目的に合致する行動をして行く爲には、群衆といふのは個人生活及び個人の幸福の條件を、了解することも尊重することも知らないものであるといふことと、群衆は輕佻で亂脈で野鄙なものであるといふことに留意せねばならぬ。又群衆の能力は無智盲昧であって善惡理非の判斷力なく、人が右といへば右、左といへば左に、其のいふがまゝに言ふことを聽くものであるといふ呼吸を呑込んで置く必要がある。盲目は滅亡の淵に落ちないやうに盲目共を指導することが出來ない。從って群衆中の役員即ち人民の中からの駈出者が如何に偉らく怜悧であっても、政治上に通曉しないものが群衆の指導者として踏み出せば必ず自己の人民を滅亡せしめずには置かない。
政治の『いろは』
唯幼少の時から獨裁政治の敎養を受けたもののみが、政治用語で組立てた言葉を眞に認識することが出來得るのである。
黨爭
自分自身即ち彼等仲間の駈出者に左右さるゝ國民は、權利及び名譽の爭奪と、是に因って生ずる不秩序から惹起する黨爭に因って自滅すものである。民衆は個人の利害と混同してはならない國事を、冷靜にそして競爭せずに、處理し審議することが出來やうか。又民衆は能く外敵を防ぐことが出來やうか。夫は行ひ難いことである。なぜならば群衆の頭數だけの數ある各種思ひ思ひの計畫は其の原形を失って實行することの出來ない譯の解らぬものになるからである。
政治の最も完全なる形式は獨裁政治である
獨り獨裁君主の行ふ計畫のみは全國家機關に按排して秩序を保ち、宏大且つ明瞭なものに仕上げる事が出來る、從って國家の爲め目的に適合する政治は責任ある一人の掌中に集中せねばならぬといふことになる。絶對的の專制なしに文明は存在することが出來ない。文明は群衆が導いたものではなく、夫れが何人であらうと兎に角、群衆の指導者に依って導かれたものである。群衆は即ち蠻人であって有らゆる場合に其の野蠻性を發輝する。それで群衆が自己の手に自由を握るや否や群衆は自由を無政府に變化する。そして夫が野蠻の絶頂である。
アルコール
諸君見よ、酒で薄馬鹿になって居る酒精浸りの動物を。酒を無制限に用ふる權利は自由の無限使用の權利と共に與へられてあるのだ。我々及び我黨のものには之を許してはならぬ……
古典主義・淫蕩
非猶太人民はアルコール飮料で白痴にされ、其の靑年は古典主義及び早熟の淫蕩から馬鹿になるが、是は我が間諜が或は番頭となり或は富豪の邸宅に家僕又は男女の家庭敎師となって這入り込み、靑年を煽動して居るのである。又非猶太人の享樂塲には猶太女性が出入して居るのであるが其の他所謂社交界の女も此の種の我が猶太女性があって故意に贅澤や淫蕩を助長させて居るのである。
マッソン猶太政府の制度と原則
吾が暗號は力と僞善とである。政治上に於ては力を以てのみ勝を制することが出來るものであって、その力が政治家に必要な天才に藏せらるゝならば特にさうである。壓制は原則であり、狡智僞善は或る新勢力の諜者の脚下に自己の冠を置くことを欲しないところの國々を征服する方式であって、此の罪惡は善の目的に到達する爲の唯一の手段である。從って吾々は吾人の目的の爲に必要なる時は買收、瞞着、背信を行ふに躊躇してはならないし、又政策上吾々が他を屈服し政權を得るに必要ならば勇敢に他人の所有物を奪取し得ねばならぬ。
恐怖
平和手段の征服の方法を以て進みつゝある我が國家は、戰爭といふ恐ろしいものに代ふるに、目立たないそして一層適切な刑罰を以てする權利を持って居る。此の刑罰に依って人々を盲從状態に置くところの恐怖を維持することが必要である。公平で而も凛然たる嚴格は、國力の偉大なる監督者である。即ち吾人が強迫と僞善とのプログラムを保持せねばならぬのは、單に利益の爲め計りでなく、義務の爲であり、勝利の爲である。
打算主義を執ることは其の主義の手段を行ふと同樣有力なものである。故に吾人は嚴格な手段許りでなく嚴格主義で脅威して各政府を超越政府に屈服せしめねばならぬ。然しそれは吾々が不撓不屈なる者で各政府が反抗を止める迄は、儼然と頑張って居るといふことを人々が知れば十分である。
自由、平等、四海兄弟
猶ほ古き昔に於て人民の中に自由、平等、四海兄弟なる言葉を叫んだのは吾々が抑々最初のものである。それ以來此の言葉は、到る所から此の誘惑に向って飛んで來たところの無自覺の鸚鵡に依って常に繰り返された。實に彼等は此の誘惑と共に、群衆の壓迫より、個人を保護するところの個人の眞の自由と平和の健全とを奪ひ去ってしまったのである。いかにも怜悧らしく見える智識階級の非猶太人は此の言葉を抽象的に判斷することが出來ず、又此の言葉の意味の矛盾と調和とを發見し得ない。又天然には平等なく、天然夫れ自身が智能、性質、才能の不平等を成し立てゝ居って天然自然の法則に服從すべきものであることを知らない。又彼等群衆は、即ち盲目であって、行政の爲に群衆の中から選出された駈出者は同じく政治に盲目であり、神によって選出せられたるものは假令馬鹿でも政治を行ふことが出來るが、さうでないものは天才でも政治に要領を得ないといふことが解らない ――― 非猶太人は凡て此等のことを等閑に附して居る。
帝王政治の原則
王統政治は此の根據に依って創造されたものであった、即ち父王は王統以外の者に解らぬやう密かに其の子に政治の要道を説明傳授するから、王統以外の人民の爲政者には其の秘訣を窺ふことが出來ない。然るに時日を經過するに從って政務の眞の状態たる王統繼承の意味が失はれ我が事業の進陟に都合よくなった。
非猶太貴族の特權撲滅
自由、平等、四海兄弟なる言葉は、我が盲目の諜者に依って非常に多くの人間を我が仲間に入れた。是等の人間は狂喜して我が旗幟を擔ぎ廻って居る。然しながら此の言葉は到る處の平和、安寧、協同一致を滅却し、非猶太人國家の有らゆる根柢を破壞し、以て非猶太人の幸福を喰ひ盡す所の蛆蟲である。是が吾人の勝利に役立ったといふ結果を諸君は將來見るであらう。即ち之は重要な骨牌の札を吾人の手に入るゝ可能を得たものである。換言すれば吾人に對する非猶太人國家及び人民の唯一の防衛物たる非猶太人貴族存在の特權を撲滅するの可能を吾人に與へたものである。
新貴族
而して吾人は自然的世襲の貴族の廢墟に我が黨の金力ある智的貴族を頭首に据えたが、此の新貴族の價値は吾人に關係の深い富と我が聖賢に依って進歩しつゝある科學に依って定めたのである。
心理的打算
何時も吾人は我々に必要な人々と交渉するに當っては、人心の最も感じ易き心琴即ち計算高き事、及び貪慾飽くことなき物質的要求に向って活動したことに依って尚一層勝利を容易にした。以上述べた人間の各弱點は獨創性(イニチヤテイフ)を滅殺し人間の活動を買收者の意志の儘自由にさせるものである。
自由の抽象
自由といふ抽象的標語は、政府なるものは國家の持主即ち國民の支配人に過ぎないから、弊履の如く交代し得るものであるといふ信念を群衆に與えた。
人民代表者の交代
吾人の策略に依って人民が、代表者を交換することになったといふことは、丁度吾人が代表者を任意に任免するといふことである。
シオン會議の光景
第一囘シオン會議は千八百九十七年八月瑞西バーゼルに開催され世界各國に散住せる猶太民族の代表者が臨席して論究修訂せしものシオンの議定書なり。
寫眞は第二囘シオン會議(FROM THE JEWISH ENCYCLOPEDIA.)
第一囘シオン會議は猶太人に自由の時代を開拓し彼等に新しき進路を與へた新しき進路とは何か曰くバーゼルの政綱是である、と Dr.S.Bernstein 著 Der Zionismus,sein Wesen und seine Organisation に書いてある。
然るに日本の所謂物知や大政治家氣取る某等はシオン會議を否定しプロトコールは非猶太人の捏造物であるとて賴まれた譯でもなからうが猶太人の辯護をして居る是は誠實なる謬見にて惡意でないとしても國民を誤まらしむること甚大である
(国立国会図書館デジタル化資料「世界革命之裏面」68枚目より)
第二議定
經濟戰は猶太勝利の根本である、表面的行政と祕密顧問、破壞的敎義の成功、政策上の順應、印刷物の任務、黄金の價格と猶太犧牲の價値。
經濟戰は猶太勝利の根本である
戰爭が、領土的利益を出來る丈與へないやうにすることが吾人に必要である。是が爲には戰爭を經濟的地盤に移すのである。此に於てか我々の援助を受けて居る各國民は、吾人の卓越した力を認識することになって、兩交戰國は、如何なる僻陬の地までも行き届いて居る我が數百萬の國際間諜の自由になるのである。其の時我が國際法は國法本來の意味を抹殺し、恰度各國民法が其の國民相互の關係を律する如く各國民を支配するであらう。
表面的行政と祕密顧問
吾人が公衆の中から選擧した行政官は、元來奴隷的の才能であるが爲に、政治的素養ある人物と成ることが出來ない。それであるから彼等は、全世界の事件を支配する爲に、幼時より敎養された我が專門家學者及び天才的顧問の掌中にあって、容易に吾人のする遊戯の將棋の卒として取り扱はれるのである。諸君の御承知の通り、此等の我が專門家は歴史的經驗及び時々刻々の觀察から行政の爲、我が政策上必要なる智識を取って居るが、非猶太人は公平なる歴史的觀察の經驗に依ることをせず、又其の結果に對して、何等の批判的態度を取らないで、理論的常習に依って居る。それであるから吾人は彼等を意とするに足らない。或る時期まで彼等が歡樂に耽らうと或は新歡樂の空想に生きやうと或は又過去の追憶に耽けやうと勝手にするがよい。吾人が科學(理論)として彼等に鼓吹したところのものをして彼等の爲め大なる役割を演じさせたいものである。此の目的を以て吾々は印刷物を利用して絶えず科學に對する盲目的信念を鼓吹せねばならぬ。非猶太人の智識階級は智識に誇って、科學から汲み取った有らゆる智識をば、論理的に點驗せずに實行するであらうが、其の科學は非猶太人の智力を、吾人に必要なる方向に敎養する目的で、我が諜者が組み立てたものである。
破壞的敎義の成功
諸君、吾人の斷言を根據なきものと思ふ勿れ。吾人の仕組んだダルウィニズム、マルクスズム及びニッシェイズムの成功に注意せよ。是等の主義の非猶太人心に及ぼす破壞的價値は尠くも吾人に取っては明瞭ではないか。
政策上の順應
政策及び行政に失敗しないやうに吾人は各國民の現代思潮、性情、及び趨勢を顧慮せねばならぬ。我が法式中の各カラクリは、吾人の行く手にある各國民の性質を觀察しつゝ色々案排し得るのであるが、若しも其の實際的應用が、過去と現在との總括に根據を有するものでなければ此の法式は勝利を贏ち得ることが出來ない。
印刷物の任務
現代各國家の掌中には人民の思想傾向を知る偉大な力が存在する―――即ち是れ印刷物である。印刷物の任務は―――恰も人民の切なる要求があるかのやうに書き立て又人民の叫ぶ訴を傳へ或は不平を製造し之を發表するにある。言論の自由の勝利は印刷物に依って肉付けられるのである。然るに各國は此の力を利用し得なかった爲め言論機關は吾が掌中に歸してしまった。吾々自身は蔭にあって印刷物を經て勢力を贏ち得た又血と涙との早瀨からとはいひながら印刷物の御蔭で、黄金を自己の手に集めた……
黄金の價格と猶太犧牲の價値
併し吾人は多數の我が國民を犧牲にして又その償ひをした。味方の一犧牲は神前に於ける一千の非猶太人の犧牲に値するのである。
第三議定
「標象の蛇」と其の意義、憲法天秤の不安定、宮殿内の暴虐、權力と名譽心、國會饒舌場・時事問題に關する論文冊子・政權の惡用、經濟的奴隷、人民の權利、吝嗇と貴族、マッソン猶太軍、非猶太人の敗頽、饑餓及び資本の權利、群衆と全世界君主の戴冠、未來マッソン國民學校の根本問題、社會組織學の祕密、一般經濟的危機、味方の安穩、マッソン團の專制主義――即ち理智の王國、指導者の喪失、マッソン團と佛蘭西大革命、王即ちシオン血統の專制君主、マッソン革命の鞏固なる原因、マッソン祕密間諜の任務、自由。
『標象の蛇』と其の意義
予は本日諸君に、我が目的は既に吾人を去る數歩の所にあることを報告することが出來る。餘す所僅かである。吾人に依って貫通された道は、我が國民の標徴たる「標象の蛇」の輪の頭尾を接合せんとして居る。此の輪が連接するとき全歐洲の各國は恰も強い箍で締められたやうになるであらう。
憲法天秤の不安定
現時の憲法の天秤は間もなく顚覆する。なぜならば吾人は各國の心棒の破壞しない間は、其の動搖が止まないやうに天秤を良い加減に据えておいたからである。非猶太人は、心棒は鞏固に鍜合されてあって天秤が水平になる時が來ると思って皆待って居る。
宮殿内の暴虐
併し心棒即ち帝王等は、節制なくそして無責任な權力に魂を奪はれ馬鹿になって居る所の自己の代表者の爲に遮ぎられて居る。此の權力の罪は宮中に積もって居る暴虐に歸すべきものである。それで帝王は人民に接觸することがないから、全く人民と融和することが出來ないし、又野心家に反對して自己の位置を強固にすることが不可能である。斯くて吾人に依って分離された聰明な帝王の力と、人民の盲目的力は、共に有らゆる價値を失った。なぜならば帝王と人民とが別々に分離して居っては丁度杖を失った盲者と同樣で、彼等は互に無力なものであるからである。
權力と名譽心
吾人は野心家を煽動して權勢を濫用させ、獨立に對する彼等の自由傾向を打ち碎いて有らゆる力を相互に對立せしめたが、吾人は此の方面に對しては有らゆる企圖心を振って各政黨を武裝せしめ、政權をば凡ての野心の目標たらしめたのである。又吾人は各國を以て、暴動を演ずる競技場としたが尚ほ間もなく紛亂や破産が到る處に出現するであらう……
國會饒舌場、時事問題に關する論文冊子、政權の惡用
饒舌家達は國會や政廳會議を演説家の舌戰塲と化し去り、大膽なる新聞記者や無遠慮な雜誌記者達は、毎日行政官を攻撃して居る。政權の惡用は、遂に總ての施設を沒落に誘致しつゝあって、萬事は氣の狂った群衆の一擊の下に顚覆するであらう。
經濟的奴隷
生活難は奴隷制度よりも農奴制度よりも以上に人民を苦役に結び着けた、即ち此の兩制度からは何うにか斯うにか解放され、勘定を終ることが出來たが、然し貧困からは脱することが出來ない。
人民の權利
又猶太人は群衆の爲に、有名無實の權利を憲法の中に挿入した。凡て憲法中の所謂「人民の權利」なるものは、唯理想に於てのみ存するものであって、實際に於ては斷じて存在しないものである。己が運命に壓迫せられ、重き勞働で腰を弓成りにして居る下級勞働階級に取って、饒舌家が無駄口を敲く權利を有することや、新聞記者達が事件ある毎に有らゆる譫語を書く權利を享受することが何んの役に立つか、勞働者は我が命令書や我が候補者及び代表者の爲に彼等のする投票に對する贈物として、吾々の机から投ずる憐れなる細片の外、憲法から何等の利益をも受けないではないか?……共和制の權利は貧民に取って痛々しき皮肉である。なぜならば殆んど毎日の勞働は彼等貧民に此の權利を利用する閑を與へない許りでなく、却って傭主や同僚の同盟罷工に左右せられて恒久不斷の賃銀を奪はれて居る。
吝嗇と貴族
貴族は人民の幸福と密接の關係ある個人の利益の自然的擁護者であり、又其の養育者であった。其の貴族を人民は吾々の指導の下に滅亡せしめた。今や人民は貴族の滅亡に依って、勞働者をば無慈悲な軛をするところの富み而も奸佞な吝嗇家の壓迫の下に落ちてしまった。
マッソン猶太軍
我が社會マッソン主義の主張する社會人道連帶の同胞主義より吾人が常に援助を與へて居るところの我が軍隊、即ち社會主義、無政府主義或は虚無主義に入ることを勞働者に勸める際には、我々は恰も此の壓迫に對する勞働者の救濟主の如くであるであらう。
非猶太人の敗頽
權利に依って勞働者の勞力を利用して居る貴族は勞働者が滿腹であり、健康であり、頑丈であることを望んだが、吾々は之と反對に非猶太人の敗頽をよろこぶものである。我が權力は勞働者の營養不良及衰弱に存するのだ。なぜならば之に因って彼等は我々の思ひ通りになり、之に反抗する力も氣力も自己の權力中に見出すことが出來ないからである。
饑餓と資本の權利
合法的な主權がその權力を貴族に與へたよりも以上に、饑餓は勞働者の上に、資本の權利を確實に創設するものである。
群衆と全世界君主の戴冠
吾々は生活難と、之に因って生ずる疾妬と憎しみの念に依って群衆を動かし、其の手を以て吾人の道を遮る者を平定する。我が全世界領主が戴冠せんとする曉に於て、之に障碍となるものは、やはり同一の手が之を排除するであらう。
未來マッソン國民學校課程の根本問題
非猶太人は我が科學の相談なしに考へることが出來ない習慣を持って居る。それであるから彼等は、吾人の天下になった際に、吾人が直に遵守せねばならぬ眞に必要なるものを知らない即ち學問中の唯一の眞學問を國民學校に於て授けねばならぬことを知らない。眞學問といふのは、勞働の分業を要し延いては人間を各階級に分割するを要する、社會状態と人間生活の組織に就ての學問である。有らゆる人々は、各其の行動の價値に差があるからして、平等はあり得べからざるものであるといふこと及び其の行爲に依って全社會に害を與ふるものと、自己の名譽の外何人にも迷惑をかけない人とは、法律の責任が同一たることが出來ない、といふことを知るやうにすることが必要である。
社會組織學の祕密
それで吾人が非猶太人に祕して居る正當なる社會組織學は、敎育と勞働との不調和からして位置と勞働とが、人生の困苦の源泉とならないやうに一定の輪廓内に保持されねばならぬ、といふことを人々に示すであらう。此の科學を人民が研究するに於ては、喜んで政府と其の政府の制定した國家の規律に服從するやうになる。科學の現状も吾々の成形した科學の傾向では紙上の言論に盲從する人民は自分の無學と宣傳に依る錯誤から、自己の上級者に對して敵愾心を抱懷する。是は各階級の意義の存するところを能く知らないからである。
一般經濟的危機
上述の敵愾心は商業取引及び工業力を停止せしめるところの經濟的危機の原因に依って、層一層昻進するものである。それであるから吾々は、全然我が掌中にある黄金の援けと、吾々の爲め容易で且つ隱密な有らゆる方法を以て一般經濟的危機を造り上げ、以て歐羅巴各國に於ける全勞働者を一時に街衢に抛り出すことにする。さうすると此等の群衆は自己の馬鹿正直から、幼時より嫉んで居った者共の血を流さうと狂喜して馳せ集り、人々の財産を掠奪することになる。
味方の安穩
彼等群衆は吾々には手を觸れない。なぜならば吾々には此の攻擊の時機が解って居るので、豫め其の防禦手段を講じてあるからである。
マッソン團の專制主義、即ち理智の王國
進歩は非猶太人を理智の王國に導くといふことを吾々は話をしたが、吾人の專制主義が丁度夫れである。なぜならば專制主義は智的嚴正を以て凡ての動搖を鎭壓し、社會から自由主義を除去するからである。
指導者の喪失
人民は、官憲が自由の名の下に凡て讓歩的になり寛裕になったのを見て、人民自身が主權者であると想像し政權を得んと突進したが、併し凡ての盲目がやるやうに矢張大障碍物に衝突し、それで以前の状態に復歸することには思ひ及ばないで指導者を搜し始め、遂に自己の全權を吾人の足下に置いた。
マッソン團と佛蘭西大革命
想起せよ、吾人が大革命と命名した佛蘭西大革命を。此の革命の祕密は吾人に明瞭である。なぜならば全革命は吾人の手に成ったからである。
王即ちシオン血統の專制の君主
其の時以來吾々は世界の爲に吾人の準備したシオン血統の專制君主でなければ、その王たることを人民が拒絶するやうに、人民を次第に迷から醒ますやうに指導して居る。
マッソン革命の鞏固なる原因
現在吾人は國際勢力として鞏固なものである。なぜならば一方の國々が吾人を攻擊する時に他の諸國は吾々を支持するからである。強力者の前で叩頭し、弱者に對しては無慈悲であり、小失策に對しては嚴格で、大罪惡には寛宥であり、自由な制度の矛盾に對しては我慢することを欲せず、猛烈な專制の壓迫に對しては殉死さへ敢へてするところの非猶太人の限りなき卑劣―――是ぞ吾人の獨立を助長するところのものである。彼等人民は現代の首相即ち獨裁官の醜行を忍耐し我慢してゐるが、その癖それより小さい失行に對して二十人の王の首を墜すであらう。同種類のやうに思はれる事柄に對して、民衆のこのやうに撞着する現象を何う説明すべきであらうか?
マッソン秘密間諜の任務
此の現象は之で説明される。是等の獨裁官は自己の間諜を經て人民にいふ、此の醜行に依って國家に損害を與ふるのは最高目的の爲である、即ち各國民の幸福、四海兄弟、協同一致及び同權の目的を達成せんが爲である、と併し間諜は斯ういふ合一は、唯吾人の勢力下に於てのみ全ふし得らるるものであるといふことは勿論話さないのである。
夫れ斯のやうに人民は、彼等の望むところは凡て成るものと次第に深く信じつゝ正者を責め犯罪者を宥恕し、有らゆる堅實なるものを破壞して、一歩一歩無秩序を現出し行くのである。
自由
自由なる言葉は人間社會を驅って有らゆる力、あらゆる權力、果ては神權や自然力に對してさへ抗爭せしむるものである。それであるから吾人の君臨したる曉には、「群衆は變じて血を好む猛獸となる」といふ動物力の原則からして、此の言葉を人間の辭書から除かねばならぬ。
猛獸は血を呑みさへすれば眠るが、其の時には容易に之を鎖に縛り付けることが出來る。若しも彼等に血を與へないならば、彼等は眠らないで荒れ狂ふのである。
第四議定
共和政體の階梯、外見のマッソン、自由と宗敎、國際商工業の競爭、投機の役目、黄金崇拜。
共和政體の階梯
何んな共和政體でも數個の階梯を通過するものである。其の中初期の第一階梯は、右か左かと騷ぎ廻はるところの盲目の狂氣的時代である。第二は群衆煽動時代であって、それから無政府を産み出し、無政府はまた必然專制を誘致する。併し此の專制は、合法的に公開された責任あるものではなく、各種の代表者の蔭に掩はれて傍若無人に活動するところの兎に角或る祕密機關の激烈な專制である。此の代表者の交代は、祕密の勢力を害しない許りでなく、却って此の交代に依って永年勤續者に與ふる報酬金を消費する必要が無くなり、祕密的勢力を救助することになる。
外見のマッソン
何人か、はた何物か、此の見えない勢力を退治することが出來やう?! 吾人の勢力といふのは即ち斯樣なものである。外見のマッソンは勢力とその目標との目隱である。併し此の勢力の活動計畫と所在とは人民に取って全然不明なものである。
自由と宗敎
自由が、若しも神に對する信仰の道に保持せられ、又服從を規定する天地の法則に背馳する平等の觀念を除去したる四海兄弟主義に維持せらるゝならば、人民の幸福を害ふことなく國政を無事に保持することが出來る。人民が斯かる信念を有するに於ては、地上に於ける神の攝理に從ひ、檀家の世話役に支配され從順に且つ温和に己が敎會の牧師の指導に從ふものである。それであるからして吾人は宗敎を根柢から覆へし、非猶太人の頭から神及び精神なる原則を拔き取り、全然打算的で且つ物質的な慾求を以て之に代へねばならぬ。
國際商工業の競爭
非猶太人が是のことを考へぬやうに又氣付かぬやうにする爲には、彼等の頭を商工業で牽制せねばならぬ。さうすると各國民は、自己の利益のみを搜がし廻はり、利害に夢中になって、自分等の共同の敵を見附けない。
投機の役目
併ながら自由が徹底的に、非猶太人社會を破壞し、敗頽せしむる爲には、工業を投機的地盤に据付ねばならぬ。さうなると工業に依って土地から取り上げたものを、掌中に保持してゐないで投機に移すことになる、即ち吾々の仲間に渡るのである。
黄金崇拜
優者にならうとする激烈なる戰鬪と、經濟生活内の衝突とは、驚くべき冷酷な、そして無慙な社會を形造る、否既に造り上げてしまった。此等の社會は高等政治と宗敎とを全く厭忌し、社會を指導するものは唯打算即ち黄金のみとなり、黄金が與ふるところの物質的快樂の爲に、黄金のみを崇拜することになる。斯うなってくると、善に仕ふる爲でなく、又富の爲でもなく、單に特權者に對する憎しみから非猶太人の下層階級は吾人の後に從って、吾々の權力上の競爭者たる非猶太人の上流者に反抗して行くのである。
第五議定
確呼たる中央集權の創設、マッソンを以て政權を掌握する方法、各國間に妥協不可能の原因、『猶太人』の神選、黄金は國家機關の動力なり、商工業の獨占、批評の價値、外見的官衙、雄辯の疲勞、如何に輿論を掌握すべきか、個人的獨創性の價値、最高政府。
確呼たる中央集權の創設
到る處贈賄の侵入して居る社會に、如何なる行政形式を施すべきであらうか。富は巧妙なる奸策の助けに依ってのみ贏ち得られ、放縱は旺盛を極め、道德は精選された原則に依らずして峻嚴な懲罰と冷酷な法律に保持され、故國及び宗敎に對する觀念は世界主義で抹殺されて居る。此の社會に、果して如何なる形式の行政を實施すべきであるか、即ち今より諸君に述べやうとする專制の外にはないのである。それで吾人は社會に於ける一切の勢力を掌握する爲め特別の中央集權を創設し、吾が人民の一切の政治方面の活動を新法律を以て機械的に取締らうと思ふ。此の新法律は非猶太人が許して居ったところの凡ての寛宥と我儘とを次第に取り上げ、吾人に不滿を懷きそして反抗する非猶太人を隨時隨所に於て膺懲することが出來る偉大なる專制を我が帝國は標榜するであらう。人々は予の述べて居る此の專制は、現時の進歩に適合せず、といふであらうけれども、予は之と反對なことを立證しやう。
マッソンを以て政權を掌握する方法
各國民が帝王を見ること恰も神意の淸淨なる現象の如くであった時代に於ては、不平を言はずに帝王の獨裁に服從して居ったが、吾人が各國民に個人の權利なる觀念を注入して以來は、各國民は帝王を單なる人間と思ふやうになり、神饌の塗油は人民の目前に於て王の頭上より落ちた。そして吾人が人民から敬神の念を奪ひ取った時には、其の權勢は共産の巷に投げ出され、吾々に占領されてしまった。
加之巧に仕組れた理論や修辭法を用ひ、又非猶太人の少しも會得しない共同生活や、其の他有らゆる奸策を以て、巧妙に群衆を支配することは、分析や、觀察の微細なる思索上に敎養された我が行政智識の專有である。此の點に於て他に競爭者がない。是と同じく行政計畫の編成と協同一致の點に於てもさうである。唯獨りイエスイト派の徒黨は吾人の競爭者となることが出來たらうが、併し吾人は、無智の群衆の目前に於て、其の信用を墜落せしむることを得た。それは吾々自身は祕密結社として蔭に隱れてゐたが、此は公然の結社であったからである。だが世界に取っては其の君主―――首領がカトリック敎の者であらうと我がシオン血統の專制君主であらうと或は同樣であらう?! 併し吾々神の選民に取っては全く大なる差がある。
各國間に妥協不可能の原因
一時は非猶太人の全世界連衡が吾人を統御することが出來やうが、併し此の點に於ても彼等相互間の拔き取ることの出來ない紛紜の深き根が吾人を保證する。又吾人は非猶太人の個人的及び國家的利害と、宗敎的及び種族的憎惡とを二十世紀間彼等の心中に扶植し相互に對立反目させた。此が爲に何づれの國家と雖も吾々に反抗しやうとしても何處からも援助を求むることが出來ない。なぜならば各國は各々吾々に反抗することに同意することは、彼自身に不利なることを考へねばならぬからである。
吾人は非常に強力なものである―――彼等は吾々を除外することは出來ない。各國は陰かに吾人が參加せずして些細な個人的協約さへ成立させることが不可能である。
『猶太人』の神選
「諸王は吾を經て王たるべし」と而して吾々は全世界に王たるべく神自身に選ばれたるものである、と豫言者は吾人に言ふてゐる。神は吾人が其の任務を遂行する爲め吾々に天才を賜はった。假令敵の陣營に天才があって吾人に打ち勝たうとしても、新來者は古き在來の者に及ぶものではない。兩者の間に世界が嘗て見ない戰鬪が起り彼等天才は敗北するであらう。
黄金は國家機關の動力なり
國家機關の有らゆる轉輪は吾人の掌中にある動力によって運轉する。此の動力といふのは即ち黄金である。我が聖人の考へた經濟學は既に王の權利は黄金にあることを示して居る。
商工業の獨占
資本を無遠慮に活動することが出來、又商工業を獨占せんが爲には、自由を獲得せねばならぬ。此のことは既に世界到る處に於て祕密の手に依って着々實行されつゝあるが、斯かる自由は實業家に政治的勢力を與へ人民を壓迫することになるのである。
批評の價値
今各國民に戰爭させるやうにするよりは、武裝を解かしむることが必要であり、彼等の燃燒する欲望を消却するよりは、吾人の利益に利用することが必要であり、又他人の思想を驅除するよりは、之を捉へて自分流に解釋することが必要である。我が行政の大問題は、批評を以て輿論を弱め、反抗心をそゝるやうな思索を罷めさせ、思想力を空論亂發に向はしむるにある。
外見的官衙
人民も各個人も約束が社會に於て實行されてゐるか何うか殆んど追及せずに何時も言葉を實行と思ふて、表面丈で滿足してゐる。それであるから吾人は、言葉巧に世界の進歩に對して己が恩惠を表はすところの外見的機關を設置するであらう。
雄辯の疲勞
吾人は有らゆる政黨政派の自由的な外貌を裝ひ、そして辯士にも自由の假面を與へる。此の辯士は人々が演説に疲勞し辯士を厭ふ程辯じ立てるであらう。
如何に輿論を掌握すべきか
輿論を掌握せんが爲めには、非猶太人が迷園に姿を沒する迄は各方面から出來る丈け色々の反論を主張して、政治問題に就ては何等の意見も持たぬ方がましである、と思ふ程、輿論を迷路に立たしむることが必要である。元來政治問題なるものは、一般の人々が知る必要なく、人々を指導する者のみが承知して居るべきものである。―――是が第一の秘訣である。政治に成功する爲の第二の秘訣は、人民の缺點、習慣、欲望及び一般生活の方式を各種各樣に增加し、其の渾沌たる中にあって、何人も其の選擇に苦しみ、之が爲め人々が相互に全く了解することが出來ぬやうにするにある。又此の方法は有らゆる黨派に軋轢の種子を蒔き、吾人に征服さるゝことを欲しない一切の公衆力を粉碎し、且つ吾々の事業に對して些少なりとも妨害を與へ得るところの個人的獨創性(イニチアテイフ)を無氣力ならしむるに役立つのである。
個人の獨創性(イニチアテイフ)の價値
個人的の獨創性(イニチアテイフ)程危險なものはない。若しも個人的の獨創性(イニチアテイフ)が天才的のものであるならば其の天才は、吾々が折角軋轢の種を蒔いた百萬の人々のする仕事よりも以上に仕事をするのである。故に非猶太人が個人的獨創性(イニチアテイフ)を要する仕事の前に失望して、忙然手を束ぬるやうに、吾人は非猶太人を敎育せねばならぬ。
最高政府
自由行動より生ずる努力は他の自由に遭遇して其の力が衰退し、此處から重大な精神的打擊、失望及び失敗が起る。此の方法を以て非猶太人を疲勞困憊させ、世界の有らゆる國家的勢力を完全に手に收め、そして最高政府を創設し得る國際的主權を吾人に提供するの餘儀なきに至らしめる。そして現在の爲政者の代りに最高政府行政廳と名づくる怪物を据ゑつけるのである。其の手は、各國民を統御せずんば止まない程の尨大な組織を持って居って、壁蝨のやうに四方八方に延ばさるゝであらう。
第六議定
專賣と非猶太人の財産、貴族の土地沒收、土地に就ての負債、商工業と投機、奢侈、賃金の暴騰と生活必需品の投機、無政府主義と泥醉、經濟的學説宣傳の秘密なる意義。
專賣と非猶太人の財産
近く吾人は巨大な貯藏所たる大專賣を施設しやう。此の專賣は非猶太人の巨大な財産さへ、政變の翌日には國家の債券と共に埋沒する程の勢力を有するものである。
此處に列席せる經濟家諸君、宜しく此の組合の意味を熟考せられよ!……
最高政府が、吾々に心よく服從したるものに取って保護者であり、褒賞者であるかのやうに吾人は見せかけ、有らゆる方法を以て政府の價値を高めねばならぬ。
貴族の土地沒收
非猶太人の貴族は政治的勢力としては既に沒落し、何等顧慮する必要がないが、地主としての彼は吾人に有害である。それは自己の生活資源に於て獨立し得るからである。それであるから吾人は、何うでも斯うでも土地沒收をやらねばならない。
土地に就ての負債
之が爲め最良の方法は、土地に對する負擔を增加せしむること、即ち土地に就ての負債にある。此の方法は農業を絶對に不振の状態に置くものである。
遺傳的に些少のもので滿足することの出來ない非猶太人貴族は、速に失敗する。
商工業と投機
此の時に於て極力商工業特に投機を擁護せねばならぬ。それで投機の役目は工業の均衡を保つにある、即ち投機が無ければ個人的資本を增加し、農業銀行の貸出しで定められた負債から土地を解放して、農業の勃興に資することになるからして、投機に依って土地から人手も資本も吸收し、全世界の金が吾人の手に移るやうにし、それで全非猶太人を勞働者の仲間に投げ込むやうにせねばならぬ。玆に於て非猶太人は唯生存の權利を得たい許りに吾々の前に膝を屈することになる。
奢侈
吾人は非猶太人の工業を崩壞する爲、吾人が非猶太人間に擴めた贅澤に對する非常なる慾求、即ち飽くところなき奢侈を投機の補助として流行させやう。
賃銀の暴騰と生活必需品の騰貴
それから又賃銀の値上をする。然し賃金の値上は勞働者に少しの利益も齎さない。なぜならば之と同時に吾人は、いかにも農業及び畜産業の衰退の原因からのやうな口實の下に、生活必需品を騰貴させるからである。
無政府主義と泥醉
加之吾人は勞働者を無政府主義と飮酒とに馴致し、之と共に地上から非猶太人智識階級の有らゆる勢力を驅逐する手段を講じ、以て巧妙深刻に産業の根柢を顚覆しやう。
經濟的學説宣傳の祕密なる意義
吾人は事の眞相が中途で、非猶太人に發見されぬやうに、表面いかにも勞働階級の爲と、經濟の大原則との爲に盡力するかの如き主義を取って眞相を隱さう。この經濟の大原則といふのは、我黨の經濟的學説が盛んに宣傳して居るところのものである。
第七議定
軍備擴張の目的、全世界の動搖・紛爭及び憎惡、小戰爭と世界大戰とを以て非猶太人の抵抗を鎭壓す、祕密……政策の成功、出版物と輿論、米國支那及び日本の大砲。
軍備擴張の目的
軍備擴張と警察定員の增加は、前記計畫の爲め必要なる補助である。又各國には吾人以外に勞働者の大群と吾人に忠實なる大富豪、警察官及び兵隊を置くやうにせねばならぬ。
全世界の動搖・紛爭及び憎惡
吾人は全歐羅巴及び其の援助關係を有する他の諸大陸に、動搖、紛爭及び憎惡の種子を蒔かねばならぬ。是には二つの利益がある。第一は紛擾を醸すことも秩序を安定することも、吾人の希望通り、意の儘であるといふことをよく各國に知らしめ、之を恐怖せしめることである。既に此等各國は吾人の壓迫に慣れてゐる。第二は政略や經濟協定や負債で各國の内閣に張ってある凡ての糸を、陰謀を以て縺らかすことである。此の目的を達成する爲には、外交談判又は協定等の際に於て、吾人は狡猾奸計を以て武裝せねばならぬ。併し之は外交的辭令を以て逆戰術を採り、正直で柔順なる如く裝ふのだ。斯んな有樣で、吾々の示す一方面のみを見るやうに敎へ込んである非猶太人政府及び其の人民は、猶太人を恩人として又人生の救濟者として仰ぐであらう。
小戰爭と世界戰爭とを以て非猶太人の抵抗を鎭壓す
吾々は吾人に反抗するものある毎に、隣國と共に戰を以て之に答へ得る準備にあらねばならぬ。然しながら若しも隣國が共同して我々に當らうとする際には、我々は全世界の反擊を之に與へねばならぬ。
祕密……政策の成功
政策の大成は、其の企畫の祕密に存する、即ち外交家の言葉と行動とは一致してはならぬ。
出版物と輿論
我が廣汎なる計畫は既に吾人の憧憬する地點に近づきつゝあるが、之に向って非猶太人の各政府を敢て動かして行く爲には、所謂大國の新聞雜誌の援助に依り、密かに吾人の製造した輿論を以てせねばならぬ。極めて少數の例外はあるが、凡ての出版物は既に吾人の掌中にある。
米國支那及び日本の大砲
一言でいへば、歐洲に於ける非猶太人各政府の、吾人の畫策に對する、壓迫を遁れる爲には、或ものには企圖即ち恐怖を以て實力を示し、若し敢て吾人に反抗するに於ては米國、支那或は日本の大砲を以て之に答へやう。
第八議定
法律の兩意義的利用、特種學校と超敎育、マッソン政治の仲間、經濟學者と富豪、政府の責任ある地位を何人に委ぬべきか。
法律の兩意義的利用
吾人は、敵が我々に對して利用し得るところの一切の武器を掌握せねばならぬ。吾人は法外に大膽な、そして不公平に見ゆるやうな決議をなさねばならない場合の爲に、法律辭典の最も微妙な言ひ表はしと、厄介な點に遁辭を見出して置かねばならぬ。なぜならば此の決議は、正當にして且つ崇高なる精神的規則の如く見ゆる言ひ表はしに記述することが、肝要であるからである。
特種學校と超敎育
我が政府は文明の中に活動せねばならぬからして、その文明の有らゆる力で政府が保護されねばならぬ、即ち政治は政論記者、老練なる法律家、行政官、外交官及び我が特種學校に於て獨特の超敎育を受けた人々に依って掩護さるゝのである。
マッソン政治の仲間
此等の人々は、社會状態の凡ての祕密と政治上の字句で作られた有らゆる言葉とを知って居り、尚又人生の極致と彼等が操縱し得ねばならぬところの人生の感じ易き弦を承知して居る。此の弦といふのは非猶太人の思想、傾向、缺點、性質、殊に等級及び階級を謂ふのである。
予のいふ我が政權の天才的仲間といふのは非猶太人の中から採用せらるべきでないことは解り切ったことであるが、一體非猶太人は、何の爲に政治が必要であるやら、又それに依って如何なる目的を達するのであるやら、無茶苦茶で行政に從事する癖がある。
非猶太人の行政官は、無意識で書類に署名し、慾と虚榮で勤務をして居るのである。
經濟學者と富豪
吾人は經濟學者全體で、我が政府を掩護しやう。經濟學が猶太人に敎授する重要課目であるといふのは即ち玆にあるのであって、銀行家、實業家、資本家等主なる富豪の全部は、吾々の周圍を取り卷いて居るやうにする。なぜならば總てのものは數の問題で解決されるからである。
政府の責任ある地位を何人に委ぬべきか
我が國家の責任ある地位を、我が兄弟即ち猶太人に委ねないでも危險のない中は、その經歴と性質とが人民とかけ離れた人物に委任して置く。それで此の人物といふのは、若しも吾人の命令に從はなかった場合には、流刑になるか或は牢屋に入らねばならない脛に疵持つ人間であるから、最後まで吾人の利益を擁護することになる。
第九議定
國民敎育改變事業に對するマッソン主義の適用、マッソンの暗號、反セミティズムの價値、マッソンの專制、恐怖・マッソンに服務するのは何人か、非猶太人王國の目開きの勢力と盲目の勢力との分離、政權と人民との一致、自由的放縱、敎育の強奪、僞學理、法律の解釋、首府鐵道の行進。
國民敎育改變事業に對するマッソン主義の適用
吾人の主義を適用するに當っては、諸君が住居して活動し居る國の人民の性質に注意せよ。國家敎育を自分の思ふやうに改變せずして、一般的に主義を適用しやうとしても、成功は覺束ない。然しながら主義の應用に注意して進めば、十年足らずして最も頑固な性質も變化するものであることを、諸君は見るであらう。その時は既に新國民は我々に征服されたのである。
マッソンの暗號
實際に於て我がマッソンの暗號たる自由的な言葉は、自由、平等及び四海兄弟である。併し吾人が天下を取った曉には、暗號でなく、理想的な自由の權利、平等の義務及び四海兄弟の理想、といふ言葉に代へやう……そして山羊の角を攫へやう……事實上吾々以外の凡ての政權は既に掃蕩してしまひ、猶ほ數個のものは餘命を保って居る。
反セミティズムの價値
此の現在殘って居る國家が吾々に反抗しても、それは形式上吾人の配慮したものであって、此の反セミティズムは我が若き子弟の指導の爲め必要なのである。此のことに就ては屢々吾人の話題に上って居るから説明は止めやう。
マッソンの專制
事實に於て吾人に取って障碍といふものがない。我が最高政府は、強烈なる獨裁といふ言葉を以て名づける特別合法の條件に存するものである。
現下に於て吾々は立法者であって、裁判と懲罰とを作り、或は處刑し或は赦免を行ひ、我が全軍の隊長として先頭に馬を驅って居るといふことを、予は眞實に述ぶることが出來る。吾々は強固な意志で政治を行はふ。なぜならば嘗ては強かったが、今は吾人に征服された黨派の斷片を吾々が掌握して居るからである、即ち吾々の掌中には抑へ難き名譽心と、燃ゆるが如き貪慾と、用捨なき復讐心と、毒々しき憎しみとがあるのである。
恐怖・マッソンに服務するのは何人か
一切を抱擁する恐怖は吾々より生ずる。各種各樣の思想、主義を持つ人々が、吾人に忠勤を拔んでて居る、即ち君主制復興者、煽動政治家、社會主義者、共産主義者及び有らゆる空想家である。吾々は凡ての人々に仕事の軛を着けた。彼等は各々自分の立場から政權の最後の殘りを取り毀し、凡ての整然たる秩序を破壞することに努力してゐる。此の運動に依って各國は困憊して居り、彼等は平安を祈願し、平和の爲には一切を犧牲とすることを辭せないが、併し吾々は彼等が公然低頭して、國際最高政府を承認しない中は、決して平和を與へないであらう。
國民は國際協定の方法を以て、社會問題を解決するの必要を泣き叫んでは居るが、各黨派の四分五裂は、各黨派をして吾人の指揮下に入らしむることゝなった。なぜならば黨爭的戰鬪の爲には金を持ってゐることが必要であるが、其の金は凡て吾人の所にあるからである。
非猶太人王國の目開きの勢力と盲目の勢力との分離
吾々に取っては、非猶太人王者の先見の明ある勢力と、人民の盲目的勢力との合一は、恐るべきものであるが、併しそれに對する有らゆる方法は講ぜられてある。即ち吾々は兩勢力の間に相互の恐怖を障壁として設けて置いた。斯る有樣で人民の盲力は吾々を保護し、而して唯吾人のみが其の指揮者となり、人民を我が目的に向けて行くことも勿論である。
政權と人民との一致
盲目の手が、吾々の指揮下を脱して自由にならぬやうに、吾々は時々個人的に若くは最も忠實なる我が兄弟を經て、彼等と密切なる接觸を保持せねばならぬ。吾が政權が承認せられた曉には、吾々は人民と個人的に街の廣場で談論し、政治問題に關し吾々に必要な方面に人民を指導するであらう。
村々の學校に於て何を敎授して居るかといふことを調べるのは困難なことであるが、併し大使や帝王自身が何を言ったかといふことは、直に全國家に知れ渡らずには居ない。なぜならば民の叫びに依って迅速に傳へらるゝからである。
自由的放縱
或る時機までは、非猶太人の機關を破壞しないやうに、巧妙なる手でその機械の彈機(ゼンマイ)の兩端を把持して居る。此の彈機は嚴重な而も整然たる秩序にあったが、吾々は之を自由的な雜然たる放縱に替へた。
敎育の強奪
吾人は又法律や、選擧や、言論機關や殊に自由の實在の基礎たる敎育に手を下した。
僞學理
又吾々は吾人には解り切ってゐる虚義の學理や主義を非猶太靑年に宣傳敎育し、之を馬鹿にして引き廻はし墮落させた。
法律の解釋
吾人は、法律の實質を換へずに反對な解釋で之を不正にし、實際の法律以上或る偉大なる結果をつくった。此の結果といふのは、最初の解釋で法律に假面をかぶせて言表はし、其の後斯んな解の分らぬ法律を實施するの不可能なところから、全く政府の目を暗ましてしまった。此處から良心裁判の學理が起ったのである。
首府鐵道の行進
諸君は、若しも人々が事の眞相を過早に知ったならば、彼等は銃を手にして吾々に向ふであらうと思ふかもしれないが、此が爲に西方諸國には最も勇敢なる魂のものでさへ戰慄するやうな威赫的方法、即ち地下鐵道が準備されてある。此の時期迄には、各首府に此の地下鐵道がつけられ、首府は其の各機關及び國家の重要書類と共に爆發されるであらう。
第十議定
政治の外面、卑劣の天才、マッソンの國家改革は何を約束するか、普通選擧、自覺、マッソン首領、マッソンの天才的指導者、機關と其の機能、自由主義の害毒、憲法は黨派軋轢の學校なり、共和時代、大統領はマッソンの愛人(クレアトウーラ)なり、大統領の責任、パナマ、代議士と大統領の議會の役割、マッソンは立法の勢力なり、新共和制の憲法、マッソン獨裁への移動、全世界王を宣言する時機、病毒の傳播とマッソンの罠。
政治の外面
今日は先づ前に述べたことを繰り返へすが、諸君乞ふ、各國政府及び其の人民は、政治に於て外面に滿足するものなることを記憶せよ。彼等の代表者に取って享樂が何より大事なのであるから、ものゝ奧底を觀察し得やう筈がないのである。
此のことに就て詳細に承知することは吾人の政策の爲め極めて必要である、即ちそれは政權の分割、言論、出版、宗敎(信仰)の自由、組合の權利、法律上の平等、財産居住及び租税(隱匿税の理想)の神聖、法律の反對勢力等の議論に移るに當って吾人の助けになるのである。凡て此等の問題に人民の前で直接公然と觸れることは斷じてならぬ。若し觸れねばならぬ場合には現法律の規則は吾々が承認するところであると簡單に述べて一々列擧しないことが必要である。此の沈默する譯は、呼ばれない規則を彼此吾人の任意に除去することが出來る、若し一々列擧するに當っては全部認可されたものゝやうになるからである。
卑劣の天才
人民は政治的能力の大天才に對しては、特別の好みと尊敬とを持つものである。それで此の政治的天才の有らゆる強制的行爲に對しては、「卑劣は卑劣だが甘いものだ!……手品は美事に演ぜられた。あつかましいものだわい!……」と人民は仕返してゐる計りである。
マッソンの國家改革は何を約束するか
吾々は各民族を驅って吾人の立案した新殿堂建設事業に從事せしめんとして居る。之が爲には、我が行く手に横はる一切の障害を排除する豪膽と勇氣とを貯へることが第一に必要である。
吾々は國家改革を完成した曉に於て國民に次のことを言はう、即ち「凡ての事業は非常にまづく行き、有らゆる人々は疲勞困憊した。吾人は諸君の困苦の原因であるところの國籍、國境、貨幣の不統一を破毀しやうと思ふ。勿論諸君が吾々を裁判することは勝手であるが、若しも吾人が諸君に與へたるものを試みないで之に判決を下すならば、夫れは正當であり得ないだらう」……其の時彼等は希望と期待に狂喜して、異口同音に吾人を胴擧するであらう。
普通選擧
投票をば吾人が王位に即く爲の武器としたが、之で人間社會の最も零碎な分子に到る迄、集會や組合を組織する習慣をつけ、投票は其の任務を終らうとして居る。今度は吾人を攻擊非難するよりも先に、吾々に接近して我々を研究しやうといふ希望に人々を一致させ其の役目を演じ終はるのである。
此の爲には絶對多數を占めるやうに、階級財産の區別なく凡ての者に投票を行はせることが必要である。絶對多數は有産有識階級から得ることが出來るものではない。
自覺
斯ういふ順序で凡ての人々に自覺の觀念を馴致し非猶太人の家庭と其の敎育的價値を破壞し、又吾人に指導されて居る群衆は非猶太人に對して世に活動することは勿論一言も物言ふことを許さずに其の傑出を取り除くのである。群衆はその骨折と從順に對して、報酬を貰って吾々のいふことのみを聞くやうになって居る。之で吾々は盲目の勢力を形成るのだ。而も此の勢力は群衆の指導者の位置に据ゑてある我が諜者の指導を離れては何うにも斯うにも動くことが出來ないものである。人民は又此の指導者に依って勞銀も施與も有らゆる幸福も得らるゝといふことを承知して居るからして、その統御に服從する。
マッソン首領
行政計畫は一人の頭腦で準備されねばならぬものである。なぜならば若しも行政計畫を、多くの人々の個々の智惠に分裂することを許したならば、計畫は最早締め括りのつかないものになるからである。故に吾人は行動計畫を承知して居ることは差支へないが併し之を審議すべきでない。それは計畫の資質、各組織の脈絡及び各部の祕密なる意味の實行力を傷けるからである。若しも該計畫を多數の人々の意見で變更し論議するならば、その考案は横にも縱にも不徹底な有らゆる智惠のかち合った刷物に過ぎなくなる。
マッソンの天才的指導者
我が計畫は強固で而も都合よく考案されてあることが肝要である。故に吾人は、我が指導者の天才的作業を群衆は勿論制限を附してある團隊の攪亂にさへ委せてはならぬ。
機關と其の機能
此等の計畫は現在の施設を當分顚覆しない。唯其の經濟方面をのみ變更する、從って計畫進行上の凡ての組合せを變更することになる。斯くて行政計畫の進路は我が計畫通りの途を辿るのである。
各國ともその名稱は色々であるが政府、省、元老院、國會、立法及行政機關等殆んど同一のものが存在する、即ち此等各官衙の相互關連する機關は諸君が能く承知して居るから予の説明を要しないが、此等の各官衙は或る重要なる國家の機能に就て責任を帶びて居ることに注意せよ。それで予が此の「重要」といふ言葉を附するは、官衙につけるのではなく其の機能に附するのであるといふことに着眼せよ。即ち官衙が重要なのではなくその機能が重要なのである。官衙は政治の全機能即ち行政、立法、施行等を各分擔し、恰も人體組織の如く國家なる有機體に於て活動して居る。若し國家なる機關の一部を害するならば人體と同樣發病し遂に死に到るのである。
自由主義の害毒
吾々が自由といふ毒藥を國家機關に注入した結果、その全政體に變化を來し各國は死病即ち壞血病に冒され、今や斷末魔の苦悶を待つ許りである。
憲法は黨派軋轢の學校なり
非猶太人の救濟者たる專制政治に代って、自由主義から立憲國が生れたが、諸君が能く承知の如く憲法は、軋轢、爭鬪、不和、無益の黨派的運動及び黨閥の學校に外ならないのである。一言で云へば、此の學校は國家の活動力を減殺するものである、といふので盡きて居る。議塲の演壇は新聞雜誌以上に各元首を無能力なるものとして判決し、之を無用の長物たらしめ、斯くて元首は各國に於て王位より黜けられてしまった。
共和時代
そこで共和時代發生の可能を得ることになり、漫畫的政府の元首の代りに大統領を持って來た。
大統領はマッソンの愛人(クレアトウーラ)なり
此の大統領は、群衆中から又は吾人の傀儡或は吾人の奴隷の中から捉へて來たもので、抑、之が非猶太人否全非猶太人民の足の下に仕掛けた地雷火の基であったのである。
大統領の責任
近き將來に於て吾々は、大統領等の責任を規定しやうと思ふ。
其の時には、人目に見えない吾々の傀儡が責任を負ふから何んでも遠慮なく實行しやう。之が爲に若しも政權を握らうとする人々が減り、大統領の無い爲に、混亂が生じやうと、吾々はかまふところではない。此の混亂は結局國家を瓦解させるものであるのだ…………
パナマ
吾人の計畫を斯ういふ結果に導く爲には、過去に於てパナマ事件のやうな或る後暗い事をした大統領を選擧するやうに運動しやう。さうすれば彼等は發覺を恐るゝところからと、今一つは政權を獲得した凡ての人々の癖としてその特權財産及び大統領たるの名譽に嚙りつかふとするところから、吾人の命令の忠實なる實行者となるであらう。
代議士と大統領の議會の役割
衆議院は大統領を擁護し之を選擧する。併し吾人は議院から立法權と法律改正權とを剥奪し、此の權限を責任を有する大統領に提供する。此の大統領は即ち吾人の掌中の人形である。其の時大統領の權限は、有らゆる攻擊の目標となるのは勿論ではあるが、其の代り吾々は彼に自衛法として代議士を差し置いて人民に對して決議を求むる權利を附與する、即ち吾人の盲從者たる群衆に多數決に向ふべき權利を與へるのだ。
又外に大統領に對して戒嚴令布告の權を吾人は附與する。此の權限に就て吾々は次のやうに理由をつける。即ち「大統領は全國軍の長官として新共和國憲法を保護する場合軍隊を自己の指揮下に置かねばならぬ。又彼は此の憲法の責任ある代表者として憲法擁護權を所持するのである」と。
マッソンは立法の勢力なり
斯うなった曉には、當然聖殿の鍵は吾人の掌中にあって、吾人以外何人と雖も最早立法能力を左右することは出來なくなる。
新共和制の憲法
加之吾人は新共和憲法施行と共に政策の祕密保護の口實の下に、政府の方針に關する質問權を議院から奪取し、尚ほ新憲法に依って最少限迄代議士の數を制限して政治慾を減少させる。若しも最少限にしても政治慾が意外に熾んであるならば全國民の多數に向って代議士の全廢を宣言布告する。
議院や元老院の議長及び副議長の任命は大統領が行ふことゝし、又常時開會する國會を數ヶ月の議會に短縮し、加之大統領は實行權の長官として國會の召集及び解散の權を有し、解散の場合には新國會召集時を延期する權を有することゝする。然しながら實際此等の不法行爲の結果が、吾人の計畫時以前に吾人の定めた大統領の責任とならぬやうに、吾人は大臣及び大統領を取り卷く役人等に大統領の指令を經ずして獨斷で上級行政を爲す思想を與へ、其の代り彼等は大統領に代って責任を負ふことになる……吾人は殊に此の役割を元老院、國會或は閣議の實施上に及ぼすことを勸奬する、但し個人には勸めない。
マッソン獨裁への移動
大統領は自分の勝手に現行法を解釋する。現行法は色々に解釋の出來るものである。それで彼は必要があって吾々に指示された時には其を無視する。加之彼は國家最上の幸福の要求として、あれや此やと理屈をつけて臨時法律を提議し、甚しきは政府の憲法政治の改革さへ提議する權利を持つであらう。
以上の方法で吾々は、有らゆる政治が吾人の專制政治に移る時期が到來する際に目立たぬやうに凡ての憲法を除去する順序として、最初吾人が憲法に挿入せしめた法律を少しづゝ削除する可能性を得るのである。
全世界王を宣言する時機
我が獨裁政治の承認といふことは、憲法廢止以前に到來するかも知れない。爲政者の不規律、其の支拂不能及び吾人の煽動で苦しめられた人民は叫び出す「彼等を排除し吾々を一致させ、紛糾の原因たる民族、宗敎の差別、國家の打算を廢し、吾々に平和と安寧とを與ふる一人の全世界王を與へよ。吾々は我が爲政者及び代議士と一緒では平和も安寧も見出すことが出來ない」と。其の時が我が獨裁政治承認の時機が到來したのである。
病毒の傳播とマッソンの罠
然しながら諸君は能く承知のことゝ思ふが、全國民をして斯る希望を述べさせる可能を得んが爲には、絶えず各國に於ける人民と政府との關係を紛糾させる必要がある。是が爲には不和、敵愾心、爭鬪、憎惡果ては困苦、饑餓病毒傳播、生活難を以て疲勞困憊せしめ、非猶太人が吾人の金力を有する完全な主權に走り寄る外、他に途を見出さぬやうにせねばならぬ。若しも吾人が人民に休息を與ふるならば希望の時機は到底來ぬであらう。
第十一議定
新憲法のプログラム、提案されたる革命の或る細目、非猶太人は山羊なり、祕密のマッソンとその「表面」の僞妄。
新憲法のプログラム
國會は爲政者の權力の下圖を作る所である、即ち立法機關の外面的部分であって法律及び爲政者命令の編纂所―――委員會の如きものである。即ち準備したる新憲法のプログラムは左の如くである。
吾人は次の形式に依って法律・規則及び裁判を行ふ、即ち(1)立法府提案の形により。(2)一般法令・元老院の議定・國家及閣議の決議の形式に基き大統領の指令に依り。(3)適當なる時機に於ては國家革命の形式に依る。
提案されたる革命の或る細目
大體目論見を定めて後、前述の方面に國家機關運行改革を全ふする爲に吾々が殘して置いた所の豫定計畫の細目に取り掛るのである。
予のいふ行動計畫とは、他日新憲法の宣言後根本的に改革するか、或は人生の目録から抹消せねばならぬ所の言論の自由、社團の權利、良心の自由、選擧の原則其の他の諸問題を意味するのである。
其時に於てのみ吾々は一切の吾人の法規を一度に發表する可能を得る。なぜならば全部の大改革後では危險である、即ち若しも此の變革が峻嚴で制限的な方面に向って酷に實施されると、新改革に對する恐怖から失望させることになり、若し又非常に寛大に施行さるゝと人々は、吾々が不正を自覺したとか或は讓歩を餘義なくせしめられたとかいひ、新政權の威嚴を損することゝなって此の讓歩を當然の事の樣に考へ、何人も感謝をしなくなり…………何よりも新憲法の名聲を損することになるからである。
新憲法發布の劈頭人民が遂行された革命で氣が遠くなり尚ほ恐怖と疑問の中にある時に於て次の事を彼等に自覺せしむるのが必要である。即ち吾々は強力無敵で必ず權力を遂行し如何なる場合に於ても彼等の意見や希望には無頓着で顧慮しない、それ許りでなくそんな口振りや素振りは何時何處でゝも無言の權力で壓迫することが出來るし、又吾人に必要なるものは凡て一度に掌握してしまって、如何なる場合に於ても吾々の權利を彼等に分與するものではない…………と。其の時彼等は恐怖より眼を閉ぢ之から何事が起るだらうと待つのみである。
非猶太人は山羊なり
非猶太人は山羊の群れで吾人は彼等に取って狼である。だが諸君は狼が羊小屋の中に泥坊に這る時は羊と一緒に居ることを御存じか?
吾々は世界の敵を平定し有ゆる黨派を鎭撫したる後、取り上げた凡ての自由を返すことを約束するから彼等は總てに對して尚ほ目を閉ぢて居る。之を返すのを何時迄彼等が待つべきであらうか。それは言ふ迄もない(此は將來示す……)
祕密のマッソンと其の「表面」の僞妄
吾人は凡て此等の政策を考案し、非猶太人に其の眞相を觀察することが出來ぬ樣にして、非猶太人に鼓吹するのは何の爲か。之は吾々分散して居る種族には正道に依って達成し得ないものを迂路に依って達成しやうといふに外ならない。此はマッソン祕密結社に於ける我が機關の根源であって、畜生非猶太人(ゴイ)は其の目的を知らないのみかマッソン的僞の外面的軍備に心を奪ふ樣にしてあるので疑問さへ起らない。
神は吾々神選の民を流浪せしめたが、此の凡てに取っての表面的弱點の中に我が全力が含んで居り、此の力が現に吾人を全世界主權者の境に導いたのである。
今や吾々には築き上げた土臺の上の工事が、もう僅か殘って居る許りである。
第十二議定
「自由」といふ言葉のマッソン式解釋、マッソン王國に於ける未來の新聞雜誌、新聞雜誌の檢査局、通信諜報機關、マッソンの解釋上進歩とは何か、再び新聞雜誌に就て、現時の新聞雜誌のマッソン式一致、地方の社會的要求の勃興、新統治の無疵。
自由といふ言葉のマッソン式解釋
自由なる言葉は各種各樣に解釋することが出來るが、吾人は次の如く決定する。
自由は法律の許す範圍内でそれを行ふ權利である。そうすると此の言葉に對する該解釋は凡ての自由を吾人の掌中に歸することになる。なぜならば法律は上述のプログラムに從って吾人の希望通り破壞及び建設をするからである。
マッソン王國に於ける未來の新聞雜誌
吾人は新聞雜誌を次の樣に取り扱ふ。目下新聞雜誌は如何なる役目を演じて居るか? 新聞雜誌は吾人に必要なる慾望或は利己的黨派心を熾んに焚きつけて居る。
新聞雜誌は空虚、不正、虚妄なものであって大部分の人々は、新聞雜誌が何の役に立つものであるか全然知らない。吾々は新聞雜誌なる馬に鞍を置き丈夫な手綱を取って居る。其の他の印刷物に對しても同樣である。なぜならば縱令新聞雜誌の攻擊を免れても小册子や本の攻擊目標とならば無意味ではないか? 目下公刊物は校閲を經ねばならぬ御蔭で高價であるが、之を我が國家の收入にする。
新聞雜誌の檢査局
即ち吾々は印刷機關或は活版所に特別印紙税及び保證金を課する。そうすると此等は新聞雜誌方面の有ゆる攻擊に對して我が政府を保證せねばならぬ。有り得べき攻擊に對しても容赦なく罰金を課する。印刷機關や活版所に依って保證せらるる印紙税や・保證金や・罰金は政府の多大なる收入である。實際黨派的新聞は金を惜まぬであらうが、然し吾人は二度と吾々を攻擊するに當ってはそれを閉鎖する。何人と雖も吾人政府の正しき威令に觸るゝものは罰せずには置かない。
發行停止の口實としては「閉鎖された新聞社は何等の原因なく、又根據なくして人心を動搖したるものである」といふことにする。然し諸君、吾人を攻擊するものゝ中には吾人の施設に係る機關新聞のあることに注意する必要がある。然し此等の新聞は吾人が改正を豫定する點をのみ攻擊するのである。
通信諜報機關
吾人の檢査濟でないものは、一つの布告と雖も社會に漏れる事はない。此の事は現在數人の諜者が世界の隅々から集中さるゝ有ゆる新情報を受付る事に依って達せられて居る。此等通信の諜報機關は全然吾人の施設に係かるものであって吾人の命ずる所のみを公表して居る。
現在吾々が非猶太人心を支配して居る程度といふものは殆んど凡ての非猶太人社會が、彼等に目隱しした色眼鏡を通じて世界の諸事件を見る程であるし又現在吾人に取って非猶太人の馬鹿共のいふ國家の祕密に吾々の近寄ることを妨ぐる障害が一國家にも存在しないのであるからして、若しも吾人が我が全世界王の御蔭で世界の公認支配者となった場合にはどうであらう?!
マッソンの解釋上進歩とは何か
印刷の將來に戻るが―――發行人、圖書館管理人、活版業者たらんことを希望するものは規定の免許證を持たねばならぬことにする。此の免許證は違犯の場合には即時取り上げるのである。斯る方法を以て思想の武器は我が政府の掌中にある敎育機關となり、再び民衆をして進歩の恩惠に就ての空想に憧憬れることを許さない。此の妄想的恩惠は無稽の空想に向ふ道程であり、此から人々相互間及び官權に對しての無政府主義が生じたといふことは吾々の内知らぬものはない。なぜならば進歩、換言すれば文化の理想は制限がないから各種の解放的觀念を誘致した爲である。凡て自由と稱する觀念は若しも實行上でなければ思想上の無政府主義である。彼等の凡ては我儘即ち不平の爲に不平の無政府主義に陷りつゝ自由の幻影を追ふて居るのである。
再び新聞雜誌に就て
復た新聞雜誌のことに移らう。吾々は凡ての印刷物の如く新聞雜誌にも一枚毎の印税と保證金を課し三十枚以下の本には其の二倍を課することにして之を冊子の部類として取り扱ふ、それは一方不良なる印刷物の害毒を流す雜誌の數を減ずると共に他方面に於て此の方法は記者をして特に高價で、讀者の尠ない長い作品を餘儀なく作らしめる爲である。之と同時に吾人は吾々の豫定する方面の智識傾向に資する爲に、安價で爭ふて讀むものを自分で發行する。課税は下らぬ文學的害毒を平らげ處罰は吾人をして文士を左右せしめる。若しも吾々に反對したものを書くものを見出すことが出來ても此の作品を印刷する物好は見出し得ぬであらう。或る作品を印刷に付する前發行者或は印刷人は官權に認可を請はねばならぬ。斯る有樣で吾々に反對して準備された奸計は、前以て吾人に知れるから吾々は之より先きに辯明書を作って反對な民衆に向って示し、此の奸計を紛碎するのである。
文學と雜誌とは二つの最も主要な敎育的勢力である。それであるから我が政府は雜誌類の大部分を所有にする。之を以て私有言論機關の有害なる影響が中和され人々に至大の感化を與へる事が出來る…………若しも吾々が十冊の雜誌を許可するならば自身は三十の雜誌を創める樣な譯合である。然しながら決して民衆に疑はれてはならぬ。それ故に吾人の發行する各雜誌は民衆をして吾人を信賴せしめ吾々の敵も今しも疑を挿まずして引付けらるゝ樣に外見上その傾向及意見を異にして居る。それであるから敵は吾人の罠に陷り吾々に害がない。
第一計畫として公式の機關を設ける。之は吾人の利益の衛兵に立つから彼等の影響は比較的尠ないであらう。
第二には官報を設ける。その役目は無頓着者や金持ちを引きつけるにある。
第三には我が言論機關の一部でもいゝから我が反對黨の樣に裝はせ吾人に反對の意見を述べる。そうすると我が眞の敵は外見的反對黨を自黨と心得て自分の手の中を見せることになる。
無論憲法の存在する間ではあるが我が諸新聞は貴族主義、共和主義、はては無政府主義と色々の傾向を取る………此等の諸新聞は恰も印度の神樣「ウィシゥヌ」のやうに百本の手を有して居って其の各手は社會の任意の輿論の脉を取るのである。それで脉膊の昂進した時に此等の手は吾人の目的の方面へ輿論を指導する。それは混亂したる人心は判斷力を失って煽動することが容易だからである。此等の馬鹿者輩は自黨の新聞が輿論を主張してゐると思ふて居るが其の實吾人の輿論や希望を主張して居るのであり、又自黨の機關紙に追從して居ると思ふて居るが其の實彼等の爲に吾人の立てた旗を持って前進して居るのである。
此の意味に於て我が新聞警察を指導する爲には特に之を詳密に組織せねばならぬ。中央印刷局の名稱の下に文學倶樂部を設立し此處で諜者は目立ぬやうに暗號と信號を與へる。それで我が諸機關は我が新計畫を審査し決して其の内容に觸れずして表面丈反對し公報新聞と僞戰を行ふ、それは吾々が最初公表したよりもより詳細に發表する機會を作る爲であるが勿論斯うすることが吾人に有利な塲合に行ふのである。
此の攻擊は吾々に取って尚斯ういふ役目を演ずるのである、即ち人々をして全然言論の自由といふことを信じさせ、又吾人の反對黨は吾々の處置に對する眞の辯駁すべき原因を發見し得ないからして我が諜者に反對黨の空論を立證する基礎を與へる。
斯の如く一般には目立たぬが適確な方法は最も能く我が政府に對する信用と、社會の注意とを導くものである。
之に依って吾々は何時も前進する前に、よく要心して地盤を探り、受けが良いか惡いかを見て或は是認し或は辯駁し、時に事實を書き時に僞を書き或は意味を轉じ、必要の程度に應じて政治問題に於ける人心を或は取り鎭め或は昂奮させるのである…………
吾人は必らず吾人の敵に勝利を得る。なぜならば言論機關に對する上述の手段に依って言論機關の状態は、敵が徹底的に論述し得る状態に無いからである。從って吾々が根本的に彼等を辯駁する迄の必要は無い譯である。
我が言論機關の第三の部類に吾々の投じた試金石をば、必要の塲合に吾人は官報で猛烈に辯駁するであらう。
現時の新聞雜誌のマッソン式一致
既に現在、例へば佛蘭西雜誌業者に於て已に暗號上にマッソン式一致が存在する、即ち有ゆる言論機關は古の陰陽師の如く、斯道の祕密を以て相互に連絡せられ、その發表を定められぬ以上は、一社員と雖も己が情報の祕密を明さない。新聞記者の過去に於て何等かの恥づべき疵を持たないものは一人たりとも文學倶樂部に入れないから、一新聞記者と雖もその祕密を傳へるやうなことは敢てしない…………
さうでないと此の古疵は、すぐ發かれるのだ。此等の古疵が少數のものゝ祕密を保持する間新聞記者の威力は國内の多數の輿論を引きつけ―――民衆は狂喜して其の後に追從して行くのである。
地方の社會的要求の勃興
吾人の考案は特に地方に迄及ぼされて居る。吾人は恰も地方の獨立の希望及び傾向であるかの如く首府に見せかけて首府を襲擊することが出來るやうに、此獨立の希望と傾向とを常に地方に喚起させることが必要である。
其の源はやはり皆我々であることはいふ迄もないことである。吾人が完全な政權とならない間は首府は、人民の地方的輿論、即ち吾人の諜者に煽動された大多數に包圍されてあることが吾々に必要であり、又心理的作用の表はれてゐる時期に於ては、既に實行された事柄は地方の多數の輿論に依って採用されたものとして、首府に批難させないやうにすることが必要である。
新統治の無疵
我が君臨に向ふ過渡の新制度時代にあっては社會の亂脉を、新聞雜誌にすっぱ拔く事を許してはならぬ。犯罪さへも消滅して凡ての人々は、新制度に滿足して居る、と思ふやうにすることが必要である………若し犯罪が曝露した場合には、犯罪の犧牲者と、其の目擊者に止めて他に知らせてはならぬ。
第十三議定
日常の麵麭の缺乏、政治問題、工業問題、歡樂・民衆倶樂部、眞理は一なり、大問題。
日常の麵麭の缺乏
日常の麵麭の缺乏は非猶太人をして默然として吾人の柔順なる僕たらしめた。非猶太人の中から我が言論機關に採用せられた諜者は、吾々が直接公文書に依って發布するのに都合の惡いものを吾人の命令に依って審議する。其の時吾人は議論の沸騰した騷ぎの中で吾々に望ましい方法を採用し既決事項として公衆に提示する。そうすると何人と雖も一度決定された事項の變更を敢て迫るものはない、まして此の事項は、改善されたものであるから尚更である。………其の時新聞雜誌は新問題に對して人心を引き付ける(吾々は已に人々が何んでも新奇を好むやうに習慣をつけてある)。此等の新問題を審議するに當っては、何を審議して居るやら譯が解らないところの無能なる運命に支配されて居る者をしてなさしむるのである。
政治問題
元來政治問題は既に數世紀間の指導者たるその創設者の外何人にも解るものではない。
凡て之に依って諸君は、群衆の賛同を得つゝ行くことに依って初めて我が機關の運行を容易にして行くことが出來るのであるといふ事を見、又行爲に依ってではなく各種の問題に關して吾人の放った言論に依って、吾々は賛同を得るのであるといふ事を認めることが出來たであらう。それで我が一切の政策に於ては、一般の幸福に資する確信を以て期待に向ふものであると、吾々は常に宣傳する。
工業問題
甚だ穩かならぬ人々を政治問題の考より遠ざける爲め、吾々は今恰も新政治問題のやうにして工業問題を起して居る。此の競技場で彼等は惡魔に魅せらるゝがいゝ!
非猶太人政府と政治運動で戰ふやうに訓練した群衆は、彼等に恰度政治的傾向のものの如く見せかけた新事業の僞政治運動に倦怠し遂に休息することに同意することになる。
歡樂・民衆倶樂部
尚ほ吾々は彼等が何か考へぬ樣に享樂や、遊戯や、娯樂や、性慾や、民衆倶樂部などを設けて彼等を牽制する………
間もなく吾人は新聞雜誌に依って各種各樣の運動、藝術の競技を提議する、即ち此等の趣味は吾々が彼等と戰はねばならぬ諸問題から人心を徹底的に牽制する。そうすると人々は次第に獨立の思索から離れ吾人と共鳴する。なぜならば思想の新傾向を提出するのは吾人許りであるからである………之を提出するのは、吾々の仲間のやうに見えない人々を經てやるのである。
眞理は一なり
自由の空想家の役目は吾々の政權が承認される時に終了する。其れ迄は彼等は吾人に忠勤を拔んでるのである。其の後尚ほ吾人は、いかにも進歩的な新らしい空想的理論の色々な發見に人々を仕向ける。見よ、吾人は腦味噌の足らない非猶太人を進歩といふことで恍惚たらしむるに成功したではないか。又進歩なる言葉には、物質的發明以外、凡ての場合に於て眞理から遠ざかった意味が含まれて居る。如何となれば眞理は一つであって、進歩の餘地がないものである。此のことを非猶太人の中に知って居る學者は無いではないか。
進歩は誤れる理想であって眞理を曖昧ならしめ、眞理の保護者であり、神に選ばれたるものであるところの吾々の外、何人も伺ひ得ない樣にするのである。
大問題
吾々の君臨せる曉に於て、結局人生を我が幸福なる政治に導く爲め攪亂した其の大問題に就いて、演説家は説明をするであらう。
其の時數世紀の間何人にも合點し得なかった行政計畫上から、吾人が此等の問題を仕組んだものであるといふ事を、何人か疑ふものがあらうか?!
第十四議定
未來の宗敎、未來の農奴法、窺知すべからざる未來宗敎の祕密、猥褻文學と未來の印刷法。
未來の宗敎
吾人が君臨せる曉に於て我が唯一神敎の外他の宗敎の存在することは吾々に望ましくない事である。吾人の運命は選民として唯一神敎と結び付けられ又此の宗敎に依って吾々の運命は、世界の運命と合致されて居るものである。從って吾人は一切の信仰を破壞せねばならぬ。之が爲め若しも現時のやうな無神論者を生ずるかも知れないが、之は過渡の階段として吾人の目的を妨げない許りか將來斯ういふものの征服の龜鑑となり、堅忍不拔と深謀遠慮の方策を以て、有らゆる國民を吾人に屈伏する爲め行ふ摩西(モイセイ)の宗旨に關する吾人の説法を、傾聽せしめることになる。此に於て吾人は摩西(モイセイ)の神祕的眞理を特記し又摩西(モイセイ)の全敎育力は、此の眞理に基くものであることを説明する………
未來の農奴法
其の時吾々は有ゆる機會に過去の行政と、我が善政とを比較した論文を公表する。又平和の恩惠は數世紀間動亂を強要されたが、之は吾人の與へる幸福を一層明瞭ならしめるのである。又非猶太人行政の缺點に就ては最も明瞭な色彩を以て描き、何を造るか解らず山師の群衆に踏みにじられた生存そのものの泉源を涸らして、數世紀間人民を苦しめた名前のいい自由の權利よりは農奴状態の安寧が增しであると人民が考ふる程に、人民の非猶太人政府に對する反感の種を蒔く………
吾人が非猶太人の國家組織を倒壞煽動して爲さしめた無益なる施政變更は其時人民を嫌厭たらしめ、彼等は永らくの動亂と薄命とを避けたい許りに寧ろ何事も吾人の爲すことに我慢するを勝れりと思ふやうになる。
凡てに於ける考察力の缺乏して居る所から、人生の眞の幸福に就ては徒らに社會幸福の空想的計畫を追ひ廻し、此の計畫が人間生活の根本たる一般社會の状態を改善せずして益々改惡せるに氣が付かず、數世紀間人生を苦しめた此の非猶太人の歴史的過失に就ては吾人は特筆大書するであらう………
我が原案及び方策の凡ての偉力は、社會組織の朽ちた古き秩序と能く對照して比較説明すればその價値が解るのだ。
窺知すべからざる未來の宗敎の祕密
我が聖賢は非猶太宗敎の凡ての缺陷を指摘するであらう。然しながら我が宗敎を、その眞實の見解から指摘するものは、何人と雖も決してない。なぜならば我黨の者は斷じてその祕密を告げる事を敢てしないから、吾人の外、何人と雖も根本的に之を知るものがないのである。
猥褻文學と未來の印刷法
吾々は所謂先進國に無耻卑猥にして唾棄すべき文學を創めたが、尚ほ我が政權獲得後、暫くは我黨のものが上から與ふる演説やプログラムの良き對照としてその存在を奬勵する。吾人は非猶太人を指導する爲に敎養された我が學者達の作った演説・議案・記録・論説を吾々の豫定する觀念や、智識の方面に指導して行って人心を支配する。
第十五議定
同日に起る世界革命、處刑、非猶太人マッソン員の未來の運命、政權の玄妙、マッソン座の增設、聖賢の中央政治、アゼフ主義、有らゆる祕密結社の指導者としてのマッソン、公衆的(プーブリチウヌイ)成功の意義、コルレクティウィズム、犧牲、マッソン員の處刑、法律及び政權の威名凋落、神選、未來王國の法律は簡單明瞭、長上に對する服從、政權亂用に對する方法、刑罰の峻烈、裁判官の爲の停年、裁判官と政權との自由主義、世界の貨幣、マッソンの絶對、上告の權利、未來王國政權の族長的外形、行政者の人格、唯一の權力としての強者の權力、イスラエル王即ち世界の族長(パトウリアレフ)。
同日に起る世界革命
到る處同日に起すべく準備せられたる國家革命の援けに依り遂に吾々が天下を掌握したる曉に於て、又現存する有らゆる政府の無用の長物たることが終局的に認識せられた後に於て(是迄には尚ほ尠なからざる時日を要し事に依れば一世紀を要するかも知れない)は吾人に向って謀叛する者の無い樣に努力せねばならない。
處刑
之が爲め吾人は武器を手にして我が即位に反抗する者は、凡て慘酷に處刑する。
非猶太人マッソン員の未來の運命
或る祕密結社の一切の新施設に對しては、同じく死刑を以て處刑する。祕密結社の中現在あるものは皆吾人に解って居る。そして現在吾々の爲に働いて居るもの、又嘗て勤務したものを廢止し、之を歐洲から遠き大陸に流刑にする。我が祕密を頗る多く知って居る非猶太人のマッソン結社員に對しても同樣である。又吾人が慈悲を加へて殘して置いてやるものには、流刑を以て常に威赫して置く。それで吾々は嘗て祕密結社に參加した者を、我が政府の中心たる歐洲から追放する法律を作ることにする。我が政府の判決は終局的のもので控訴のないものである。
政權の玄妙
吾々が動亂や、反抗主義(プロテスタンティズム)の根を深く植え付けた所の非猶太人社會に秩序を固めるには、強固な權力を示すところの峻嚴なる手段に依ってのみ之を爲し得るのである。未來の幸福の爲め犧牲を拂ふことは何等顧慮する所ではない。
縱令犧牲(イキニエ)の手段を持ってしても幸福を達成するといふことは、即ち政府の存在は單に其の特權にのみあるのではなくして義務にあることを自覺するところ、政府の本分である。
政治が動搖を來さざる爲め重なる手段は權威を強固ならしむるにある。そしてその權威は、神祕的原因即ち神選に依る神聖なる標識を帶ぶる政權の確呼不拔に依ってのみ達成し得らるゝものであって、羅馬法皇權を除いては世界に於ける我が唯一の仇敵たる最近迄の露國專制政治が即ちそれである。想起せよ、血に塗れたる伊太利は此の血を流したシッラの頭髪に手を觸れなかった。シッラは人民を苦しめたが、その權力に依って人民の目には神として崇められ、彼の凛然として伊太利へ歸還せることは彼を埓外に置いたではないか………人民は其の勇氣と精神力とを以て人民を催眠せしむるものには手を觸れるものではない。
マッソン座の增設
吾人が君臨する迄は反對に、世界各國にフランク・マッソン座を增加創設し權力者及び現在の有力なる活動家を引き入れる。如何となれば此の座は檢察塲であり感化機關であるからであって。
聖賢の中央政治
凡て此等の座を、吾人以外には不明なるところの我が聖賢の組織する政府に統一する。各座は上記のマッソン政治の責任を有する各一名の代表者を有し、暗號及び政綱はそれから發せられ、吾々は此の座へ革命主義者や、自由主義者の轡を結び付けて置く。其の組織は社會の有らゆる階級の者を網羅する。最も祕密なる政治的陰謀は吾人に通知され、その勃發の日に吾人の指導の下に入るのである。
又國際警察の諜者を殆んど凡て此等の座員の中に入れて置く、なぜならば此の警察の勤務は吾人の爲め缺くべからざるものであって、その見込で不從順なるものを處理する許りでなく、我が活動を掩護し、不平の口實を造る等のこと爲すものであるからである。
アゼフ主義
通常祕密結社に喜んで入るものは儲け主義の者、大野心家及び一般の人々で其の大部分は輕佻浮薄な人間であって、彼等と共に事を爲し又彼等を用ひて吾人の計畫せる機關の機械を動かすことは容易なことである。
有らゆる祕密結社の指導者としてのマッソン
若しも此の世界が混濁するならば、それは世界の頗る大なる團結を破壞する爲め之を混濁せしむる必要が吾人にあったことを意味する。若しも世界に謀叛が起ったならば、その主謀者は我が忠僕中の一人に外ならない。從ってマッソンの活動を指導するものは吾々以外にはいないといふことは自然的なことである。これは吾々は指導先を知って居る即ち一切の行動の終局の目的を知って居るからである。非猶太人に至っては何事も辨へず直接の結果さへ認識し得ない、即ち通常彼等は、その計畫が彼等の發案によるにあらずして、吾々が彼等の思想を誘導したものであることさへ氣が付かずして、計畫を實行し利己心を一時的に滿足することを考へて居る………
公衆的(プーブリチヌイ)成功の意義
非猶太人が座(ロッヂ)に入るのは好奇心からか、或はその御蔭で社會的の御馳走にあづからうといふ野心からであって、或者に至っては公衆の面前で實行不可能な根據のない空想を言ひ出す可能を得んが爲めである。實に彼等は成功と喝釆の感情に飢えて居るのだ。それに對して吾々は、成功と喝釆を惜しまずに與へて居る。吾々が彼等を成功せしめるのは成功から生ずる自惚を利用せんが爲である。人々は自惚れると他人の説を入れる事が出來ず、自己の考へに過誤がないと信じ切って用心しないから、知らず識らずの間に吾々の煽動に乘るのである。
非猶太人中の最も怜俐なものでも自惚れて居る際には、如何に之を子供扱ひにすることが出來るか、又之と同時に、拍手を止めるだけの些細な不成功でも彼等を落膽せしめ其の成功囘復の爲め奴隷的服從をさせることが如何に容易であるか、諸君には想像がつくまい…………吾々は自分の計畫を施行するのみで成功の名など輕蔑して居るが、非猶太人は單に成功の名を得る爲に一切の計畫を犧牲にすることさへ辭せない。彼等の此の心理状態は吾人の彼等に對する問題を輕減した。彼等は見た所虎のやうだが心は山羊の樣で實に輕卒極まるやつである。
コルレクティウィズム
吾々は公共主義(コルレクティウィズム)といふ標象的單位を以て、人間の個性を呑込まふといふ空想の馬に彼等を乘せた……彼等には此の馬は自然の大法則の明瞭なる違反であって、自然はその世界創造の時よりして個性を目的として互に似ない單位を創造したのである、といふことが解って居らないし、將來とても解らぬであらう。
若しも吾々が斯のやうに非猶太人の精神を錯亂させて眩惑せしむることが出來たならば、それは人間としての非猶太人の智能が、吾々と比較してどの程度迄發達して居ないかといふことを明確に證明して居るものではあるまいか?! 是れ即ち我が成功を保證する主なるものである。
犧牲
重大なる目的達成の爲にはその手段に躊躇する必要はない。又此の目的の爲にする犧牲を數へてはならない、といった我が古の聖賢等は如何にも烱眼であったではないか………吾々は非猶太人の畜生種族の犧牲を數へたことはない。吾々は味方の中から多くの人々を犧牲に供したが、その代り今や已に彼等の地上に於ける状態を、彼等の夢想だも及ばなかった状態にした。そして吾々の中の比較的小數なる犧牲は我が民衆を滅亡より救ふたのである。
マッソン員の處刑
死は凡ての者に取って遁るべからざる終焉である。我が黨のものや我が事業の創造者よりも先きに、吾人の事業を妨害するものに此の終焉を近づけたい。吾々はマッソン社員を罰するが、それには同胞以外何人も、處罰の犧牲者自身さへも處刑を受けたことを疑はないやうに之を死刑にする、即ち凡て彼等の死は、恰も當り前の病氣で斃れたものゝ如くすることが必要である………之を知って居るからして我が同胞とても自分の犧牲となる時抗議をすることが出來ない。斯ういふ方法で吾々はマッソン結社の中から、吾人の命令に反抗する禍根を引き拔いた。吾々は非猶太人に對しては自由主義を鼓吹するが之と同時に我が人民及び我が諜者をば、嚴重な服從で壓へて置くのである。
法律及び政權の威名凋落
我が勢力の下に非猶太人法律の遂行を最少限度に縮少してしまった。又法律の權威は其の中に傳導されたリベラリズムの解釋に因って覆された。最も重要な政治的事件、主義の問題、裁判問題等は我々が彼等に命令する通りに決定され、人々は、吾々が非猶太人行政官をして採用せしめた其の光線下に事件を見て居る。勿論之は如何にも關係のないような傀儡を經て行ふのである、即ち新聞輿論や其他の方法を以て行ふのである………元老院議官や最高行政官すら吾人の爲すが儘に盲從して居る。
神選の印綬
非猶太人の單純な動物的智能は、解剖的觀察力に缺けて居る。故に問題の主なる組立が何う傾くかといふことを豫察することが出來ない。
吾々の此の思索的才能と、非猶太人の獸的才能とを比較して見れば、非猶太人と違った我が天禀の性格と、神選の印綬を明かに看取することが出來る。
彼等は見ることは見るが前(サキ)が見えないし又發明といふことが出來ない(單に物質的發明に過ぎない)此から見ても天然自身が、世界を指揮支配することを吾人に任命したといふことが明かである。
未來王國の法律は簡單明瞭
吾人が公然政權を握り其の恩惠を施す時期が到來した曉には、凡ての立法を改造する。即ち我が法律は簡單明瞭確實で色々の解釋が出來ない。それであるから何人も適確にその組織を知り得る。
長上に對する服從
法律の主なる特色は長上に對する服從であって、それが最高の程度迄に要求されてある。さうなると最高主權の手前上、一人の政府代表者と雖も凡ての者に對する責任上から有らゆる失行をしなくなる。
政權亂用に對する方法
此の最高級の者以下の權力濫用も同じく容赦なく處罰され、人々が物好に自分の力量を試みやうといふことがなくなる。吾々は國家機關の運行を掌る施政を一々嚴重に監視する。それは行政の放慢は到る處に放縱を産み出すからであって、一つの不法行爲、一つの失行も之に相當する處罰をせずには置かない。
刑罰の峻烈
行政官の惡事隱蔽、同盟的行爲等凡て此等の惡事は第一囘に峻烈な處罰の例を示せば消滅する。我が主權の威力は、主權者個人の利益の爲め及び最高權威の爲め、些細なる違反に對しても相當なる處罰即ち嚴重なる處罰を要求する。自己の犯罪以上に罰せられたるものは、恰も兵士として政權、主義及び法律の爲め行政戰場に斃れたと同樣であって政權、主義及び法律は、社會の戰車の繰縱者に對して公道から私道へ退却することを許さぬ。例へば我が裁判官が、若しも下らぬ慈悲を施さうと思ふならば、公平なる裁判をする法律を破壞するものであることを承知せねばならぬ。法律は犯罪に對する處罰を以て人々に摸範的敎訓を示す爲に設けられたものであって、裁判官の宗敎的素質を造る爲に設けたものではない………この素質を表はすことは個人生活には適當であるが、人間生活の敎養の基礎たる公事には不適當である。
裁判官の爲の停年
我が法官の勤務年限は五十五才以下とする。それは第一に老人は先入思想を頑冥に保持し新しい施設には餘りに服しないし、第二には此の方法に依って役人の變更を自在にすることが出來るからである。之で役人は我が壓迫に容易に屈從する、即ち其の位置を保たんとするものは之が爲め盲從せねばならぬことになる。
裁判官と政權との自由主義(リベラリズム)
一般に我が法官を選定するには、彼等の役目は法律を適用し處罰するものであることを能く承知し、そして現今非猶太人が空想する如くに國家の敎養計畫の代りにリベラリズムの發揮を夢想するやうな者でないものから選拔する。尚ほ役人の交代法は彼等同僚間の一致協同を破壞し、彼等の運命に直接關係ある國家の利益に彼等を結び付けるのである。それで將來の若き裁判官は人民相互間の秩序を破壞するやうな失行を默許しないやうに敎育さるるのである。
現今非猶太人の裁判官は自己の職分に就いて正當なる考へを持たず有らゆる犯罪を默過する。それは現今の爲政者等は裁判官を任命する際、彼等に要求すべき義務的觀念及び仕事に對する自覺を涵養しないからである。非猶太人は丁度動物がその子を餌をあさりに遣ると同樣に、俸給を與ふる位置が何んの爲に設けられてあるかといふことを、人民に對して明瞭にすることを考へずに彼等をその位置に据えるのである。斯んな風だから非猶太人の政府は、その行政官の行爲に依り自力で崩壞するのである。
我が政治の參考の爲め斯る行爲の結果を今一つ擧げて見やう。
世界の貨幣
臣民を我が社會組織に敎導する我が政府の一切の重要なる政略的官職からリベラリズムを驅逐し、そこへ我々が行政敎育を施した者のみを据える。老朽役人の隱退は、國庫の負擔を重からしむるだらうと考へるのはあり得ることであるが、予は言はう、第一には失官と同時に個人的職務を彼等に見附けて置く。第二には、全世界の金は吾人の掌中に集中されてあるから、我が政府に金の餘計入用な位は驚くことはない。
マッソンの絶對
凡てに對する我が專制主義は秩序的である。それであるから其の各規定中に存する偉大なる我が意志は尊重せられ、又絶對に遂行さるるのである。即ち凡ての不平不滿が現はるる毎に、摸範的の處罰で根絶するから、不平不滿などは何んでもない。
上告の權利
吾々は上訴權を廢止し、之を我が特別處理に移す、即ち爲政者の管理とするのだ。なぜならば我が任命した裁判官が、不正の判決をするといふ考へを、人民に起させてはならないからである。若しも何か斯んな事が生じた場合には、吾々自身が判決を控訴する。併しその義務と職權の誤解に對しては摸範的に處罰して斯の如き事を再びせざるやうにし………尚ほ人民が吾々に滿足するやうに、吾々が監督せねばならぬ政治に關しては此の通り一々承知して居るといふことを繰り返して置く。なぜならば人民は良き政府と善き爲政者とを要求する權利があるからである。
未來王國政權の族長的外形
我が政府は族長的の形を有し、我が爲政者側からは父の如き後見役の形を爲して居る。政府は人民の色々なる要求、行爲、人民相互間の關係及び人民の爲政者に對する關係に就て心配してやるから、我が人民は之を見ること恰も父の如くである。そうなると彼等はその配慮と指導を受けずに平和と安寧の中に生活することが不可能であるといふ觀念を懷き、殆んど敬神的尊敬を以て、我が主權の獨立を承認する。
行政者の人格
殊に我が子分達は主權の命令を絶對的に遂行するのみで、己が權限を侵すものでないといふことを人民が信じた時に於て然りである。人民は恰も柔順と、義務的觀念とをその子供に養成する賢明なる兩親のする如くに、吾々が人民の生活上の凡てを調整したことを喜ぶであらう。
各國民は我が政策の祕密に關しては永久に未成年者である。彼等の政府も同樣である。
唯一の權力としての強者の權力
諸君の見る如く、我が專制は權利義務に根據を置いてある、即ち義務の實行を要求する權利は、その人民の父たる政府の直接の義務である。政府は自然の規律、即ち服從に向って人類をうまく指導する爲め強者の權利を持って居る。
世界に於ける凡ては、服從の中に存する。人に從はなければ事情に從ふか、或は自己の本性に從ふか、何づれにしろ強者に從ふものである。それであるから吾々は幸福の爲め此の強者にならねばならぬ。
罪惡を模範的に罰することに、大なる敎訓的課程が存するからして、規定の秩序を破壞した個人を容赦なく犧牲にすることは、吾人の義務である。
イスラエル王即ち世界の族長
イスラエル王が自分の神聖なる頭に、歐羅巴が捧ぐる王冠を戴く時、彼は世界の族長(パトウリアルフ)となったのである。彼が人民の爲め必要上犧牲者を出したる數は各非猶太政府の競爭、即ち尊大狂が數世紀間拂った犧牲には達しないであらう。
我が王は演壇から演説を爲し人民と密接なる連繫を圖る。此の演説は直に全世界に傳へらるるであらう。
第十六議定
大學を無害にする事、古典主義の變更、敎養と身分、學校に於ける爲政者の權力の廣告、自由敎授の廢止・新學理、思想の獨立、實物敎育。
大學を無害にする事
吾人以外の公衆力を撲滅する目的で、公衆主義の第一階段である諸大學を新方面に敎育しかへて無害のものにする。此等の學長及び敎授等にはその仕事の爲に詳細に出來てゐる祕密な行動計畫を授けて置き、計畫に些少でも違反する時は罰せらるるのである。彼等の任命は特別の注意を以てせられ、全然政府の干渉の下に置かれるであらう。
吾人は政治問題に關する一切と同樣に國法の敎授を廢する、此の科目は宣誓した者の中から優秀な才能者として選拔された數名に授けるのである。彼等の祖先さへ少しも解らなかった政治問題に捉はれて、喜劇や悲劇でも書く積りで憲法案を書き散らすやうな乳臭兒を大學から出してはならぬ。
諸君が非猶太人の政治問題に於ける一般敎育の例で見る如く、多くの人間を政治問題の半可通にするからして、理想家や質の惡い臣民の出るのである。吾々は必要があって凡て此等の端緒を、非猶太人敎育の中に入れたのであって此が爲め彼等の組織は立派に壞はされたのである。吾々が政權を握った曉には有ゆる攪亂的科目を敎育から遠け、そして長上に對して柔順で爲政者は平和と安寧の希望であり支柱でありとして親愛する靑年を養成することにする。
古典主義の變更
古典主義を吾々は未來に關する研究に改める。古典主義は古き歴史の有らゆる研究と同樣に良い例よりも惡い例を多く記述してある。吾々は舊世紀の事實の中非猶太人政治の惡い所を表明する事のみを殘して、吾人に望ましくないものは殘らず人の記憶から消却してしまはう。敎育計畫の第一番に置かるゝものは實際生活、義務的制度、人々の相互關係及び罪惡を傳播する良からぬ利己的實例を避けること等の敎育及び其の他の同じ樣な敎養的諸問題である。此の計畫は決して共通の敎授法をするのではなく、各階級の爲に別々の計畫に依って作られたものであって(敎育)問題を斯う組立てる事は特に重要なのである。
敎養と身分
各社會階級は任務と勞働とに應じて嚴重な制限内で敎育されねばならぬ。稀にある天才は他の階級に割り込むことが出來、又其の力を持ってゐるものであるが、併し此の稀にある場合の爲に生れながらも仕事に依っても元來此等上階級に屬する人物から位置を取り上げて、無能者を其の階級に入れることは全く馬鹿なことだ。諸君は、非猶太人が此の非常な馬鹿な事を敢てして、何んな結果に凡てが終ったかといふことを自から知って居るであらう。
學校に於ける爲政者の權力の廣告
行政者のことがその臣民の肺腑に徹底する爲には、其の活動の際學校及び廣場に於て行政者の價値、其の行爲及び凡ての良畫策に就て全人民に教へることが必要である。
自由敎授の廢止・新學理
吾人は凡ての自由敎育を廢止する。被敎育者には其の兩親と共に恰も倶樂部の如く學校に集まることを許し、此の集合の際祭日に當っては敎授は恰も自由講義の如く人類關係の問題や法律例へば不自覺より生ずる復讐より、まだ世界に發表されない新學説の哲理等に到る迄講演する。吾々は此等の學説を、我が宗敎に移る楷梯として信仰の敎理に導くのである。現在及び未來に於ける我が行動のプログラムを陳述した後、予は諸君に此等の學説の根據を講演しやう。
思想の獨立
一言でいへば數世紀に亘る經驗に依り、人間は理想に生き理想に指導さるるのであり此等の理想は勿論各種の注入法を用ふるが、各年輩の者が一樣に了解し得るやうな敎育の助けに依って吸收さるるものであることを知って居るからして、吾々は已に久しく吾人に必要なる問題及び理想に向って導いて來つゝあるところの獨創の閃きの結果を吾人の利益の爲め沒收消滅する。
實物敎育
思想を抑制する方法は已に實施されて居る。物事を想像するには實物を持たねばならぬ程、無能な從順な動物に非猶太人を變化する、所謂實物敎育の方法がそれである。
佛蘭西に於ける最良なる我が諜者の一人ブルジュアは已に實物敎育の新プログラムを發表した。
第十七議定
辯護制度、非猶太人の法敎主の影響、良心の自由、羅馬法王殿、族長としての猶太王は即ち法王なり、現存する寺院との戰鬪法、現時の新聞雜誌の課程、義勇警察、猶太長老會(カガール)式密偵法に依る間諜、權力の濫用。
辯護制度
辯護制度は冷淡な、殘忍な、頑固な、無定見な、そして何時でも責任を遁れて合法的立塲に立たうとする人間を養成するものである。
辯護士等は辯護の結果を社會の幸福に資するのではなく、凡て辯護の利益に走る習慣を持って居る。彼等は通常如何なる辯護も斷らず法律學の些細ないひがかりに文句を列べてどんな事があらうと無罪を強要する。斯くて彼等は裁判の神聖を汚すのである。それであるから吾人は此の職業を極限して之を實行官の範圍に入れる。即ち、辯護士には裁判官と同樣原告と交通する權を與へず單に裁判所から事件を受領し、上申書や、調書に依って之を審査し裁判所で訴訟依賴人を審問したる後、判明したる事實に依ってその依賴人の辯護をする。そして彼等は辯護の種類にかゝはらず手數料を受ける。そうなると求刑の主張者たる檢事の方に傾き正しき裁判の爲め事件の單なる上申者となるであらう。之が即ち裁判の上申手續きを簡單ならしむるのである。斯くて利益からでなく、確信に依って行はるゝ公明正大な辯護が成り立つ。加之今常習的に行はれつゝあるところの、妥協して金を出しさへすれば事件に勝つやうに出來てゐる辯護士仲間の買收を、除去することになるのである。
非猶太人の法敎主の影響
吾人は已に非猶太法敎主を信用しない樣にし、之を以て目下大に妨害となる彼等の使命を敗頽せしむるやうに骨を折った。此が爲に彼等法敎主の人民に對する勢力は日一日と失墜して行く。
良心の自由
今や到る處に良心の自由が宣言せられ基督敎の總瓦解は近年に切迫して居る。吾人が其他の宗敎を征服することは一層容易ではあるが併し之を今いふのは過早である。尊僧主義及び同主義者の勢力が昔の動搖に逆戻りするやうに吾人は彼等を狹い枠の中に入れるであらう。
羅馬法王殿
遂に法王の宮殿を滅亡する時期が到來するに當っては目に見えない指が、此の宮殿の方向を、人民に指し示す、其の際に人民はそこへ殺到する。そこで吾人は甚だしき流血の慘に到らないやうに、いかにも法王の防護者の如く裝ふて現出する。吾人は此の牽制運動に依って彼の胸元に這入り込み、此の宮殿の全勢力を破壞しない中は其處から出ないであらう。
族長としての猶太王は即ち法王なり・現存する寺院との戰鬪法
斯くて猶太王は眞の全世界の法王となり、國際敎會の總主敎となるであらう。然しながら吾人は此處暫らくは靑年を新過渡的信仰に敎育換へし、次に我が宗旨に敎育する。それで吾々は現存する敎會には公然手を着けないで破戒を惹き起すやうな批判を以て彼等と鬪爭する。
現時の新聞雜誌の課程
概して我が現時の新聞雜誌は凡て無定見な言論を用ひ、雜多に墮落せしむるやうに國政、宗敎及び非猶太人の無能を論證する。此の事は獨り我が天才的民族にのみなし得ることである………。
我が王國は「ウィシゥヌ」の神の辯明者であり、神は我が王國の人格化である、即ち吾人の百本の手の中には社會機關のゼンマイが一本づゝ握られてある。
義勇警察
吾々は公然たる警察の助力なしに凡てのことを知ることが出來る。此の警察は政府の目隱であって、吾々が非猶太人の爲に其の權限を作ってやったものである。我がプログラムに依って我が臣民の三分の一は義務的觀念及び義勇報公の主義から殘り三分の二を監視するであらう。其の時に於ては間諜となり密告者となることは恥づべきことでない許りか賞揚すべきことである。併し權限の濫用を培養せざる爲め出鱈目の報告をした者は、嚴重に罰せらるるであらう。
我が諜者となるものには上流及び下流の社會も呑氣な行政階級も、又出版業者、印刷業者、本屋、番頭、勞働者、馬車や、家僕等もあるであらう。警察は少しも獨立の權限を有せず從って無力であって單に通報、報告をする許りである。それで證據及び捕縛者を檢察することは警察事務に關する監督團の責任であり、捕縛そのものは憲兵隊及市警察が施行する。政治問題に關して見聞した事を報告しないものは其の罪の上り次第隱匿罪として、やはり責任を問ふことにする。
猶太長老會(カガール)式密偵法に依る間諜
恰も現在吾人同胞が其の責任として或ることで猶太長老會(カガール)に背いた者並に我が同胞の背反者を猶太長老會(カガール)に上申する義務あると同樣、我が全世界王國に於ても此の方面に於て報公の義務を守ることは有らゆる我が臣民に取って必然なことである。
權力の濫用
斯る組織は超人權の學説に依って非猶太人の習慣中に吾々が勸誘したところの權力の濫用、勢力、贈賄の惡業を根絶するのである………彼等の行政中に無秩序の原因を增大し得んが爲には、此等惡業の方法の外吾人に他の手段があらうか?!………此の方法中最も重要なるものの一は秩序安定の諜者であって、それは自分の破壞行爲中その惡癖、即ち我儘、氣儘及び特に收賄をする可能を與へられてある。
第十八議定
警戒手段、陰謀者間の監視、公然の警戒即ち主權の滅亡、猶太王の守護、主權の神祕なる權威、最初の疑に依る捕縛。
警戒手段
嚴重な警戒の方法を講ずる必要が吾人に生じた時(主權の權威に取りて恐るべき毒藥)、吾々は騷擾する眞似事をなし、或は雄辯家の援助を借りて不平の發表をする。さうすると演説家に同情が加はる。斯ういふ事が非猶太警察中に居る我が下部から搜索及び監督材料を吾人に提供することになるのである。
陰謀者間の監視
なぜならば陰謀者の大多數は藝術に對する愛、即ち多辯の爲に動くものである。それで彼等が動作として現はさない中は、吾々は彼等に對して無關心であり單に彼等の中に監督者を放つに止める………
公然の警戒即ち主權の滅亡
諸君、記憶せよ、若しも主權者が自己に對する陰謀を度々暴露するならば、主權の權威は減少するものであることを。即ち之は無力或は一層不良な邪惡(不正)の承認である。吾人は我が家畜中の盲目の山羊たる我が諜者の手を借り、諸帝王の生命に對する個人的敢行に依って非猶太諸帝王の權威を粉碎したことは諸君承知の通りである。それで彼等盲目の山羊を動かすには單に政治的色彩を帶びた自由の數語を以てすることが容易である。吾々は公然たる警戒手段の發表に依り爲政者をして自己の無力を認めしめ、斯くて主權の權威を減殺する。
猶太王の守護
我が主權者は最も目立ない護衛に依ってのみ守護さるるであらう。なぜならば吾々は、主權者の手に負へないで隱れねばならぬやうな叛逆者が現存して居るといふ考を、人々に持たせてはならぬからである。
若しも吾人が、今迄爲し來り又現に爲しつゝある如き上述の考を人々に持たせたならば、主權者許りでなくその王統の未來が幾何も無いといふ宣言書に吾々自身が署名するやうなものである。
主權の神祕なる權威
嚴重に守るべき體裁として我が主權者は、自己やその王統の利害の爲に、斷じて自分の政權を利用せず、人民の利益の爲にのみ之を利用する。從って此の體裁を守るに於ては、自らその臣民に守護され尊敬されるし、又人民は社會組織の秩序は係りて爲政者にあるからして、國民各個の幸福は爲政者に關聯して居るといふ自覺から爲政者を神の如く尊敬するであらう。
公然帝王を守護することは、即ち帝王の力の弱きを告白するものである。
我が主權者は常に人民中にあって、いかにも物好きさうな男女の群に包圍され、此の男女は偶然の樣に爲政者の圍りの前列を占め、尊敬していかにも秩序を保つやうに、他の者の列を支へるであらう。之は他の者にも節制ある模範を示す爲である。若しも人民の中に、列に割込んで請願書を差し出さうとする請願者が現はれたならば、前列の者は此の請願書を取ってやり、さうして請願者の面前で之を主權者に渡し、請願が行き届き主權者自身の査閲があるといふことを人々が皆知るやうにせねばならぬ。主權の威光存在の爲め要求する所は、人民が「此事を王樣が知ったならば」或は「王樣は之を知るだらう」といふことにある。
公式の警衛を設くると共に主權の神祕的權威は消滅する、即ち非常に大膽でありさへすれば、彼に勝ち得ると人は自信を持つものであるから叛逆者は自己の力を自覺し好機に於て主權を侵さんと時機を窺ふのである………非猶太人の爲め吾人は反對なことを宣傳した。從って公然の守衛の方法が彼等を如何なる結果に導いたであらうか、吾人は實例を見ることが出來る…………
最初の疑に依る捕縛
吾人は最初多少の疑さへあれば犯罪者を逮捕する、即ち間違を生ずることを恐れて政治犯及び普通の犯罪の嫌疑者を逃亡させるやうなことがあってはならぬ。此等嫌疑者に對して吾人は實際容赦しない。若しも有り振れた理屈をつけて普通犯罪に於ける勸誘の原因を調査し得る程ならば、政府の外何人にも解らない問題に沒頭する犯罪者を容赦する理由がない………實際各國政府は眞の政策を了解して居ない。
第十九議定
請願及び方案の提出權、叛逆、政治犯の處刑、政治犯の廣告。
請願及び方案の提出權
吾人は政治の獨立研究は許さないが、其の代り人民の状態を改善する爲の有ゆる方案を、政府の閲見に供せんとする爲の報告や申請は大に奬勵する。之は我が臣民の缺點や空想を吾人に展開することになる。之に對して吾人は或は實行し或は論究者の近視眼的不正を證明して辯駁するであらう。
叛逆
警察力に依ってではなく、社會方面から良く整備された政府に取っては、叛亂は狆が象に對して吠へるのと擇ぶ所はない。之は象の力と價値とを知らないから狆が吠へ付くのだ。從って彼我の價値が分れば狆が吠えることを止め、象を見るや否や尾を振り初めるのである。
政治犯の處刑
政治犯から「豪氣なものだ」といふ威名を取り去る爲に、吾人は政治犯人を竊盗殺人其の他の破廉恥罪と一緒に收檻する。そうすると輿論は他の恥辱的犯罪と同種と思ひ同樣の輕蔑を浴びせることになる。
政治犯の廣告
吾々は非猶太人が斯る叛逆に對する爭鬪法を會得しない樣に努力し、殆んど其の目的を達した。之が爲に吾々は新聞雜誌に依り、或演説に依り、又間接には巧に編纂した歴史敎科書に於て、政治犯をいかにも一般幸福の理想の爲め自ら叛逆者となったところの殉國の士の如く廣告した。此の廣告は自由主義者を增加し數千の非猶太人をして我が群に投ぜしめたのである。
第二十議定
財政計畫(プログラム)、累加税、累加印紙税、資金庫、證券及び金融の澁滯、決算、接見廢止、資本の澁滯、紙幣の發行、金貨本位、勞力價値本位、豫算案、國債、一分利附短期公債、工業債券、非猶太人の爲政者即ち權力者・マッソン諜者。
財政計畫
今日吾々は財政のプログラムに就て論じやう。此のプログラムは吾人の計畫中の至難なる最終の決定的要點として予が報告を後廻しにしたものである。本論に移るに當り、曩に暗に述べて置いた通り、吾人活動の總決算は、數字の問題で決せらるるものであることを云って置く。
吾人が君臨せる曉に於ては我が專制政府は自衛の原則に基き、父たり保護者たる自己の任務を忘れずに民衆の負擔を輕減するであらう。國家組織の費用は高價である、それであるからしてその資本として、必要なるものを受け入れる必要がある。從って本論の均衡といふ問題を特に詳密に研究せねばならぬ。
我が政府は國内に於ける金融の調節の爲には一切の金額を合法的に取り上ぐることが出來る(此の事を實行することは易々たることである)。將來は主權者たる王の國家に於ける所有を單に表面上のみに止めてしまはう。
累加税
それで税金の充實は所有資産に應ずる累加税を以てすることが一番よい。そうすると租税は苦痛も破産もなく財産に比例して支拂はるるであらう。富豪は國家社會の利益として、自己の過剰の一部を提供することが彼等の義務であることを自覺せねばならぬ。なぜならば國家は殘りの財産の所有の安全と正當增富の權利を保證するからである。予がなぜ正當といふかといへば、財産の監督は合法的に掠奪を除去するからである。此の社會改革は上に向って行かねばならぬ。如何となれば社會改革の時期が到來するからであって―――社會改革は平和の保證としての必要である。
貧民から取る税金は革命の種子である。小を捕へんとして巨大なるものを逸するのは國家の損失である。之に反し資産家に對する課税は個人の掌中に於ける增富を輕減する。吾人は目下非猶太人の政治的勢力即ち國家的財政と均衡を取る爲め個人の掌中に富を集めて居る。
資本率に應じて增加する租税は、目下の人頭或は財産税(ツエンズ)よりも遙に多額の收入を與へる。人頭税及び財産税(ツエンズ)は今非猶太人間に不滿動搖を惹起する爲にのみ吾人に利益あるのである。
我が王の賴みとする力は均衡及び平和の保證である。之が爲には資本家は、自己の收入の一部を國家機關運轉の安全の爲め引渡すやうにする事が必要である。國家の費用は金を出し得るものが出し、取り得るものから取るべきである。
斯る方法は貧困者の富豪に對する憎惡を撲滅する、即ち貧困者は富豪が平和安寧の爲め必要なる資金を支拂ふのを見るからして、貧困者は富豪を國家の爲め必要なる財政の保持者と見、又平和、幸福の建設者として見るのである。
上流納税者が、新支出に對し慨歎しないやうに、王座と行政諸官衙とに配當してある金額は勿論除外なるが、他は新支出に關する詳細なる報告を彼等にするのである。
國家内に於けるものは凡て王の所有であるから、王たる者は勿論私有財産を持たぬ、そうでないと矛盾する、即ち王が私有財産を持つといふ事實は全國家に於ける所有權を抹殺することになる。
同じく國家の資力を以て支持せらるる所の王の後繼者の外、王の親戚は私有權を得る爲め國家の役人となり、或は勞働に服せねばならぬ、即ち王統の特權が官金掠奪の本を爲してはならぬ。
累加印紙税
將來購買、金錢或は遺産の受繼には累加印紙税を支拂ふこととする。金錢其の他の私有財産の個人的讓り渡しの脱税は此の金額讓渡しの日から隱匿曝露する迄の期間に對する税率を前所有者に負擔せしむる。讓渡證書は毎週新舊所有者の住所姓名を記入して其の地の會計局に提出せねばならぬ。此の名義書替は一定率の印紙税に依って支拂はるる所の賣買に關する何時もの費用を超過した一定價格からするのである。
斯樣な税金は幾倍非猶太人國家の收入の補塡をするに至るであらうか、考へて見るがいい。
資金庫
國庫は一定量の豫備金を保持し此の額以上に徴されたものは凡て金融方面に返却されねばならぬ。此の金額で社會事業を起すのである。斯る事業の國家よりする發案は勞働階級を國家の利害と王とに密接に結びつける。又此の金額の一部をさいて發明創作の褒賞とする。
證券及び金融の澁滯
公然計上された一定の金額以上に一錢たりとも決して國庫に保管して置いてはならぬ。なぜならば金錢は融通の爲に存在するものであるからである。凡て金錢の停滯は國家機關の運轉に惡影響を及ぼすものであって、金錢は國家に取っては塗油である。即ち塗油の停滯は此の機關の整調な運轉を止め得るのである。
兌換券を利附公債に代へたことは、即ち斯の如き停滯を生じさしたのである。此の結果は今や既に明確である。
決算
吾人は同じく報告殿を作る。其處で爲政者は常に其の月に於て未だ出來上がらない報告や、前月の到達しない報告は格別であるが、國家の收入、支出の完全な報告書を見る事が出來る。
國庫を掠めることに利益を有しない者は、國家の所有者たる主權者唯一人あるのみである。それであるから彼の監督は、損耗や消費を不可能ならしむるのである。
接見廢止
主權者から貴重なる時間を奪ふ所の儀式的接見を廢止する。それは主權者が監督したり勘考したりする時間を保つ爲である。そうなると主權者の權力が、壯麗華美の爲に玉座を取り圍み、或は自己の利益の爲にのみ計って、國家、社會の利害を顧みない嬖臣に粉碎されるやうなことはない。
資本の澁滯
經濟的危機は吾人が非猶太人の爲に作ったもので、金融界から貨幣を取り上げたものに外ならない。各國から貨幣を取り上げたからして巨額の資金が停滯し、國家は國債を吾人に仰ぐの餘儀なきに至ったのである。此等の國債は利子の支拂で各國の財政を困難ならしめ、且つ元金で各國を奴隷たらしむるに至った………
手工者の手から資本家の手に集中された工業は國民の膏血と國家の膏血とを吸ひ盡した………
紙幣の發行
現下の紙幣發行は一般に各自の要求に適當しない。從って全勞働者の需用を滿すことが出來ない。貨幣の發行は人口の增加に適合せねばならぬ。それであるから出生當日より需要者として子供をも計算に入るることが必要である。紙幣發行の改正は全世界の爲め主要なる問題である。
金貨本位
諸君承知の如く、金貨本位は之を採用したる國家に取って滅亡の原因である。なぜならば金貨本位では貨幣の要求を滿すことが出來ない、况や吾人は出來るだけ金融界から金を取り上げたに於てをやである。
勞力價値本位
我々の方では勞力價値本位を施行せねばならぬ。貨幣は紙或は木でもよいのである。吾々は臣民の出産ある毎に貨幣を增加し、死亡の際は之を減じ、各人の標準使用額に應じて發行する。
其の計算は各省(佛蘭西行政區分)各管區で行はれる。
國家の需用に應ずる貨幣の支出に停滯を來さないやうに貨幣支出の價格及び期限は主權者の指示に依って定める、即ち之で省が一官衙に損害をかけて、他の官衙を保護するやうなことはなくなるのである。
豫算案
收支の豫算案は相互關連して曖昧でない樣に同時に行はるるであらう。
吾人の考案になる非猶太人の財政施設及び主義の改造は、何人をも恐愕させないやうな形式を採用しやう。吾人は非猶太人の財政は紊亂して目茶苦茶である故を以て改造の必要を指示する。その第一の過失は抑々非猶太人の普通豫算の組立から始まって居るのであって該豫算は年々次の原因に依って增加する、即ち此の豫算は半年迄繼續し、次で三ヶ月後には消費されてしまふ處の修正豫算を要求し、其後追加豫算を請求する。是は凡て破産的豫算に終るのである。なぜならば翌年の豫算は總決算額に應じて組まれるから毎年度の支出は標準から年に五十プロセント迄超過する。それであるから年度豫算は十年後に初めて整理がつくことになる。非猶太各國の斯る無頓着な方法は、其の國庫を枯渇せしめた。次で起った國債時期は殘餘を奪取し非猶太人各國を破産に導いた。
吾人が非猶太人に注入した斯る經濟は、吾人が實施すべきものでないことは諸君能く御承知のことである。
國債
有らゆる國債は國家の無力と國權の不了解を證明するものである。國債は恰もダモコルの劍の如く主權者の頭上に懸って居る。主權者は臨時税を自己の臣民から取り立てればよいのに、手を延ばして吾人の銀行家に憐愍を請ひに出かけるのである。外債は蛭であって此の蛭は、自ら落ちるか或は國家自ら彼をもぎ取らない間は、國家なる體から何うしても離すことが出來ない。然しながら非猶太各國は常に之を自分の體にひっ付けて取らうとしない。それであるから任意に迸る血潮にまみれて必然滅亡せねばならぬ。
實際に於て國債殊に外債とは如何なるものであらうか?! 國債とは即ち借用元金に應ずる利子を含めた政府の信用手形に外ならない。若しも國債が五分利附とせば二十年後國家は借用元金と同額の利子を支拂ひ四十年目には其の二倍を、六十年目には其の三倍を空しく拂ふ事になる。而も借金は全然消却されず其の儘殘って居るのである。
此の計算からして國家は債權者たる外國の富豪に拂ふ爲、一般課税に依り年貢として納税者たる貧乏人から、最後の一文まで取り上げることになるといふことは明瞭なことである。
國債が内債であった間は、非猶太人は單に金を貧乏人の懷から富豪の懷に移したに過ぎなかったが、吾人が非猶太人を買收して國債を外債に移さねばならぬ樣にした時、全國家の富は吾人の金庫に流れ込み、そして有らゆる非猶太人は臣下として吾々に貢を奉り始めた。
國事に關する非猶太人帝王等の輕卒、大臣職の買收され易きと或は他の行政者輩の經濟問題に無理解なこと等は、その國々を支拂不能の抵當として吾人の金庫に質入れしたが、之が爲め吾人は如何に勞力を費したであらうかといふことを、吾々は知らねばならぬ。
一分利附短期公債
吾人が金を停滯させることは許すべからざることである。それであるからして一分利附短期公債の外には利附國債を發行しない。それは利子の支拂ひに依って國力を蛭の吸收に委せない爲である。利附公債發行權は利益を以て利子を支拂ふに困難でない所の工業會社に限って與へる。國家は此等の會社の如く借金で利益を上げる事が出來ない。なぜならば國家は經費を司るので、企業を行ふのではないからである。
工業債券
工業債權は政府に於ても買ふことにする。そうすると國債に依って目下年貢納入者の一人たる國家は計算上貸主に變るのである。此の方法は金の停滯、寄食、怠慢を根絶させる。金の停滯、寄食、怠慢等は、吾人の政治には望ましくないが、獨立して居る非猶太人に用ゐれば吾人に取って利益のあるものである。
全然動物的腦味噌を持つ非猶太人の無考さ加減は、次のことでも如何にも明瞭に解る。即ち彼等は吾々に利子附借金をしながら吾々に支拂ふ爲には其の金に尚ほ割增利子をつけ、自己の國家の懷から撮み出すことに氣が付かないのである。必要な金を直接自己の人民から直接取り立てれば、至極簡單ではないか!
吾人が非猶太人等をして國債を自分に取って有利なものであると考へさせることを得たといふことは、我が神選の智能の天才であることを證明するものである。
吾々が非猶太國家に施して得たる數世紀間の經驗に照らして吾々の發表せんとする我が考案は簡單明瞭なものであって、我が新改革の有利なことが何人にも明かに解り、此の改革に依って惡行は終局を告げるのである。吾人は此の惡行の御蔭で非猶太人を征服したが、我が王國には許すべからざるものである。吾人は主權者でも小役人でも豫定以外には極めて小額たりとも窃に流用し、或は計畫上一度決定された用途以外に之を轉用することが出來ない樣に計算法を設ける。
確定的の計畫をせずに行政してはならない。英雄も豪傑も中途で斃れるのは、一定の道に依らず又一定の貯へなしに進むからである。
非猶太人の爲政者即ち權力者とマッソン諜者
接見や、儀式や、享樂で政務から遠ざかるやうに吾人に誘導された非猶太人の爲政者輩は、單に我が政治の衝立になったのである。仕事の競爭裡で取り替へられた權力者共の報告は、吾人諜者が彼等の爲に作ったものであって、此の報告は其の度毎に將來は貯蓄も出來改善もされるであらうといふ約束で近視眼的智識者を滿足させた…………何から貯蓄が出來るか? 新税からか?………と質問することが出來たが我が報告及び方案の朗讀者に質問もしなかった。諸君非猶太人は驚くべき勞働好きの人民であるに拘らず、斯る無關心は非猶太人を何ういふ結果に導き、如何に經濟的崩壞に到達せしめたかは御存じの通りである…………
第二十一議定
内債、負債と税金、借換・破産、貯蓄銀行と定期收入、資金取引所の廢止、工業賃の一定。
内債
前の會合に於て披露したことに尚ほ内債に關する詳細なる説明を加へやう。外債に就ては予はもう述べない。なぜならば外債は非猶太國の金を以て吾人を養ふたものであって、我が國に取っては外國人といふものがない、即ち何等外國のものとてはないからである。
吾々は全然各國に取って不必要なる金を非猶太各政府に貸付けて二倍、三倍の巨額の金を取る爲に、行政官の買收され易きことと主權者の無頓著とを利用した。果して何人が斯ういふことを吾々に對して爲し得るものがあらうか?………それであるから予は啻單に内債の詳細に就てのみ述べることゝする。
負債と税金
各國は内債締結に就ての發表を爲すと共に其の手形即ち利子附債券に對して署名を公開する。債券は一般の者が求め得らるるやうに價格を百圓乃至千圓とし第一囘應募者の爲に割引をする。翌日になると恰も人々が爭って債券を買締めたかのやうに巧にその價格を釣り上げる。數日後には會計金庫は一杯で金の仕舞所が無い位である(金を何の爲に取るのか?)。應募額は債券發行の數倍に上る、即ち夫れでは如何なる信用が政府の債券にあるといふのか―――即ち此處に效驗が存するのである。
此の喜劇を演じ終った時には形をなした負債といふ事實が生ずる。而も頗る苦しい事實である。利子の支拂の爲め早速新債の募集に取りかゝらねばならぬことになり、之で元金が帳消にならない許りでなく借用元金が增加する一方である。それで今度債權がなくなった時には借金を拂ふのではなく單に其の利息のみを拂ふ爲に色々の新税に取りかゝるのだ。此の税は負債を支拂ふ爲に用ひらるる負債である………
借換・破産
後になると借換時期が到來する。借換は利息の支拂を緩和するが借金は消却されない。加之、之を行ふには貸主の承諾なしには出來ないのである、即ち借換發表に際しては、借換に同意しない者には金を返却することを提議するのである。若しも全貸主が借換に不同意を唱へその返金を要求したとしたならば、各政府は個人の鉤針に引懸り破産するのである。財政に暗い非猶太國民が度々數百万の債權を自ら政府に投げ出してしまふよりは、相當の損失及び冒險的新投資の利子の減少を勝れりとして居るから幸ひである。
今や外債に就て非猶太人が斯ういふ洒落たまねをしやうとしても出來ない。それは吾人が全部の返金を要求するといふことを知って居るからである。
斯くの如く曩の破産なるものは、國々に於て國民と政府間の利害關係に連繫の缺如して居ることを、よりよく證據立てるものである。
貯蓄銀行と定期收入
此の情況と次の情況とに諸君の二倍の注意を拂へ。現今總ての内債は支拂期間の多少短い所謂短期債券を以て公債とするものである。此の債務は貯金及び豫備金庫に置いてある金から成立って居る。此等の基金は永らくの間政府の支配下にあって外債の利子支拂に飛んでしまひ、その代り之と同額の定期預金が入れられるのである。
夫れ此の後者の方は非猶太人の國庫の凡て穴塡めである。
資金取引所の廢止
吾人が世界の王座に登った時には凡て此等の財政上の術策は吾人の利益に適當しないものとして跡形もなく廢止する。又凡ての資金取引所さへ廢止する。如何となれば吾々は我が有價證券の價格の動搖からして我が政權の威名の動搖を放置することが出來ないからである。證券は騰貴させたり、下落させたりすることが不可能なやうに、十分な價格を法律で公布する(騰貴は下落の原因である。吾人は非猶太人の有價證券に對しては之を實行する)。
工業賃の一定
吾人は取引所に代ふるに廣大なる官設債權省を以てする。其の任務に政府の見込通りに工業株券の價格を定むるにある。此の省は一日に工業株券五億圓を市場に投出し、又幾何でも買占める組織にあるから、凡ての工業的企業は吾人に左右さるることになるのである。之に依って吾人が如何な勢力を得るか諸君に想像し得らるゝであらう。
第二十二議定
未來の祕密、未來幸福の根源としての數世紀に亙る罪惡、主權の榮光と其の神祕的崇拜。
未來の祕密
今日迄予が諸君に報告した所の全體に亙って、予は近き將來に於て將に來らんとする大危機の早瀨に向って奔流するところの過去及び現在に發生する事件の祕密を詳細に説明し、且つ我が對非猶太關係及び財政政略の法則の祕結を説述したが、尚ほ之に少しく附け加ふべきものがある。
吾人の掌中には偉大なる現代力即ち黄金がある。二日間で吾々は幾何の額でも之を我が倉庫から持出すことが出來る。
未來幸福の根源としての數世紀に亙る罪惡
我が政治が神から豫め認定されたものであるといふことを尚證明する必要があらうか?!…………
吾々が數世紀間爲すべく餘儀なくされた凡ての罪惡は、眞の幸福即ち秩序の整頓に資せられたといふことを是丈の富力を以て立證し得ないことがあらうか?………多少の暴擧はあらうが兎に角秩序は設定されるであらう。吾々の設定したる法律を守りさへすれば、引き裂かれたる地上にも安寧・平和・相互尊重を享樂せしむるところの個人の自由と眞の幸福とを得るであらう。吾々は此際説明する。自由は放縱や我儘の權利ではない。同じく人間の力と價値とは吾人が良心の自由や平等の如き破壞主義を主張する權利ではない。又個人の自由は無秩序な群集中に駄辯を弄して自他を惑亂する權利では決して無い。眞の自由とは社會生活の諸法則を忠實に正當に守る個人の神聖に存する。又人間の尊ぶべきところは、自分即ち「己」といふことを空想するにあるのでは無く、自己の權利の自覺と共に無權利の自覺に存する。
主權の榮光と其の神祕的崇拜
我が主權は卓越したるものであるであらう。なぜなれば我が主權は威力あり、治め且つ指導し、そして所謂大主義とかいふ馬鹿げた言葉や、又實際は理想に過ぎぬ囈語を叫び廻る辯士や黨派の首領に與みしないからである。……我が主權は秩序の完成者であるであらう。人間の全幸福は秩序の中に存するのである。此主權の榮光は各國民の尊敬と其神祕的崇敬とを暗示するであらう。眞の力は如何なる權利假令神權を以てしても侵すことが出來ない、即ち何人と雖も其の力の一寸たりとも、之を奪ふ爲に敢て近寄ることが出來ないのである。
第二十三議定
贅澤品製造の縮少、手工的製造業・無職、禁酒、舊社會の撲滅と其新面目の復活、神の選民。
贅澤品製造の縮少
人民に從順なる習慣をつける爲に彼等を質素に慣らさねばならぬ。それが爲め贅澤品の製造工業を制限すべきである。之に依って贅澤の競爭で頽敗した風俗を改善するであらう。
手工的製造工業・無職
吾々は工業家の個人資本を爆裂せしむる所の手工的製造業を復活せしむる。大工業家は時に無自覺であるのではあるが、政府反對の群衆心理で動かされるから、尚更私有資本を顚覆することが必要である。人民手工は無職といふことを知らない。そして此事は人民を現制度に結び付ける。從って主權の勢力と連繫さるゝ。無職といふことは政府に取って最も危險なるものである。主權が吾人の手に移るや否や、吾人の爲に演じた無職の役目は終了するであらう。
禁酒
酒に醉ふことも人道に反する犯罪として法律で禁止し之を處罰する。之はアルコールの爲に人は獸的化するからである。
復た言ふが、臣民は其の左右することの出來ない強者には盲從するものであって、人民は之を防禦の劍と感じ、社會的鞭韃に對する擁護者と思ふのである………人民に王の天使的精神は何にならうか? 即ち人民には王を權力と威力の權化として見せしむることが必要である。
舊社會の撲滅と其新面目の復活
吾人に破壞され各所から無政府主義の火焰の擧る社會にあって餘命を保ち、神權さへ否定しつゝある所の現存政治に代るべき君主は、第一着手として凡てを燒き盡す無政府主義の火焰に水を注がねばならぬ。それであるからして君主は、社會と國體を毀損する一切の傳染病と自覺的に戰ふ所の正規軍をして更に蘇生せしむる爲に、社會そのものゝ血を注いでも先きの社會を撲滅する義務がある。
神の選民
此の神の選者は、理智でなく天性により、人道で無く動物性に依って行動するところの無智の力を挫く爲に、上天より任命されたものである。今是等の力は自由主義や權利の面相をして、掠奪や暴虐を逞しうしてゐる。而して此の無智の力は猶太王の玉座を造營する爲に、一切の社會的秩序を破壞したが、王の即位と同時に無智の力の役割は終演するであらう。其時彼等を王廷から掃き淸め、其途上は申し分のない樣にせねばならぬ。
其時吾人は人民に斯う言ふことが出來やう。神に感謝せよ、而して神選の印綬を帶ぶる人々の前に拜跪せよ、神自身は此等の人々の外、何人も前述の力と罪惡とより汝等を救ふことが出來ないやうに、此人々に神の星を導いたのであると。
第二十四議定
ダウィド王根を牢固たらしむる事、王の準備、直系嗣子の廢止、王と其三名の傅育者、王は運命である、猶太王行状の完全無缺。
ダウィド王根を牢固たらしむる事
予は今ダウィド王統の根を地球の最下層迄も扶殖する方法に移らう。………
此の扶殖法は第一番に我が聖賢が、今日迄一切の世界的事件と全人類の思想養成とを指導し來った隱然たる力の中に存するのである。
王の準備
ダウィド王家の若干人が王及び王の嗣子等を準備する。但し世襲權に依らずして才能に依って選拔し、何人にも知れぬ樣に行政計畫や政策の機密に通曉せしむる。斯ういふ行動を取る目的は、政の手腕の薀奧を極めない者に政を委せることは無い、といふことを有らゆる者に知らしむる爲である。
此等の人々にのみ數世紀間の比較經驗に依る上記計畫の實際的應用や、政治經濟上及び社會學上の有らゆる觀察法を授ける。即ち一言でいへば、人間關係の調節の爲めに自然それ自身が確然と設定したる法則の全精神を授くるのである。
直系嗣子の廢止
直系嗣子等が若しも修學時代に於て輕佻浮薄の性質を暴露する、即ち政治には無能であり王としては有害で主權を滅亡するやうな者であるならば、どしどし玉座から遠ざけるであらう。
殘酷な程堅固であって、犯すべからざる政に絶對適當なる者のみが我が聖賢から施政綱領を授けらるゝ。
王が神經衰弱や或は他の頭の惡くなる病氣に罹った際には、法律に依って施政綱領を適當なる新王の手に授けねばならぬ。………
王と其三名の傅育者
王の現在殊に未來の行動計畫は御側の顧問にすら知らせぬ。
單に王及び王の傅育者三名のみが未來の計畫を知るであらう。
王は運命である
凡ての人々は確乎たる自己の意志と人間社會とを支配する王をば、運命の如く又知り得ざる運命の道程の如く眺めるであらう。王は何を處理せんとするか何人にも解らぬ。それであるからして何人も解らない道を敢て遮ぎらうとはしない………
王者の智囊が囊中にある政治の計畫に適當して居らねばならぬことは解り切ったことである。それであるからして王は上記聖賢の試驗の後、王位に即くのである。
人民が王を知り之を愛する樣に王は廣場に於て其人民と談話するやうにすることが必要である。之は二者の力の必要なる締結をなすのであって、現在に於ては吾々は恐怖(テルロル)により相互に離間して居るのである。
その恐怖(テルロル)は此二者の力が個々に我が勢力下に落る迄、吾人に必要である。
猶太王行状の完全無缺
猶太王は己が情慾殊に淫慾に左右されてはならぬ。即ち自己の性質の一方面たりとも王の動物的本能がその理性に勝ってはならぬ。色慾は人間的活動の最惡なる獸的方面に考を導き、智能と判斷力とを最も不良に破壞するものである。
ダウィドの神聖なる王家より出でた全世界君主たる人類の支持者は、一切自己の趣味を己が人民の犧牲に供せねばならぬ。
吾人の君主は模範的で、非難すべき所なき者であらねばならぬ。
―――(了)―――
マッソン祕密結社
伊太利の國粹宰相として同國の社會主義者を慴伏せしめたるムッソリーニ氏曰く「吾人の恐るべきは社會主義に非ずして實にマッソン祕密結社なり」と
一、所謂マッソン團とは何か
近頃猶太問題に關聯して世人がよくマッソン團とかフリーメーソン結社とかいふのは一體如何なるものであらうか。露語の Масон. 佛語の Maçon(Franc-Maçonnerie) 英語の Free-masonry. 獨語の Freimaurerei と呼ぶのは皆同一のものを指して居るのである。
マッソンなる言葉はシオンの議定書中屢々散見するところであるが、我が日本では今迄マッソンを單に世界的な人道的結社であって、陰謀的な祕密結社とは思って居なかったし、又敢へて之を穿鑿しやうといふ人もなかった。然るに最近猶太問題が一部の人々に論議さるるに至って、マッソン團は祕密結社であってマッソン祕密結社が即ち猶太陰謀團であるかのやうに、思ふ人もあるやうであるが、元來マッソン團の主體は非猶太人であり、そして議定書にある「吾人の祕密を知って居るマッソン團員は死刑に處する……」といふ文句から考へて見ても、マッソン團が即ち猶太陰謀團其の者であるとは思へない。實際のところマッソン團の主義と猶太陰謀即ち猶太の世界征服計畫とは其の出發點も最高最終の目的も全然異って居る。併しながら猶太プログラムたる議定書に屢々マッソンなる語が出て居る通り、其の相互の間に或る非常なる關係を持って居る。是が現代猶太問題研究の爲め頗る面白い興味のあるところで、又此の問題の研究上看過することの出來ない要點である。
それで猶太問題を研究すれば自からマッソン團を研究するの必要が起り、又マッソン團を穿鑿すると自から猶太問題に觸れて來る。以下逐次マッソンの研究をなしそれからマッソンと猶太問題に就いて述べやう。
マッソンとは何にか? 此の問ひに對して有名な白耳義のマッソン結社員第三十三階級ゴブレーダルヴィエラは
「マッソンは一の祕密結社であって、自由な正義の士を連ぬる一つの帶で、此の帶は職業、黨派、國籍、宗敎を超越したものである」
と説明を與へてゐる。併し佛國の大組合はマッソンの目的として、眞理の探究、道德の研究及び連帶責任の各項を擧げ
「マッソンは人類の向上完成に努めるものであって、其の本質上寛容で凡て獨斷的信條を排斥し、且つ良心の絶對的自由を以て其の立場とするものである。其の標語は自由・平等・博愛である。」
といって居る。其の他大組合(グレートロッヂ)の規約書にも略々同樣なことを書いてある。以上の如き立派な博愛の原則が、事實に於て如何に行はれて居るか、要するに是が問題である。
二、マッソンの起原
マッソンの起原に就ては、從來結社員等が努めて古代的のものにしやうと試みた爲め神話的不明に蔽はれ居る。或はピタゴラスやユークリット等とも關係があるといひ或は羅馬時代の建築組合(Collegia fabrorum)を其の前身だといひ、又或る者はソロモン殿堂の建築者と稱されて居るヒラムをマッソンの創設者だと主張し、又中には十四世紀頃にあった聖堂騎士の組合が濫觴であるといふものもある。現に瑞典の大地方組合の如きは自から聖堂騎士組合の直系だと號して居るが、此等に對する證據は何にもない。
それではフランク・マッソン或はフリーメーソンリーなる名稱は何所から出たかといふに、昔の職工メーソンから出たものであるといふことは今日では何人も疑ふ者はない。此の古き職工マッソンは左官、石工、大工の組合であって、他の凡ての組合のやうに其の棟梁は建築術の秘訣を職人及び徒弟に傳授したものである。棟梁は其の職人徒弟を率ゐて全歐洲を遍歴し仕事の見附かった所に逗留した。彼等は特有の習慣、認識記號、技術上の祕密等を持って居った、自由なるマッソンと名づけられたのは普通にある土地の未熟な大工や、田舎の敎會堂を建てる樣な職人と區別する爲であり、又中世紀に於て彼等は其の技術を國王や法王に認められて、特別に自由、特權等を與へられたにも因るのである。此の種組合の最初のものは、佛國では一二五八年巴里にあったことが記録にある。英國では既に九三六年に第一の大組合がヨークに集會した。歴代の英國王は建築術を奬勵したのでマッソンを「王の技術」と稱する樣になった。此の名稱は今日のマッソンも好んで用ゐて居る。堅固なる城や、石橋や、大寺院等當時に於けるマッソンの遺業として今日まで殘って居るものが尠くない。此の職工マッソンはイングランド、スコットランド、獨逸に於て隆盛を極めた、が十七世紀の初め建築術の衰頽するに及んで消滅した。唯英國だけ其の後も之を存續し、且つ身分のある素人が組合に入るやうになって、英國のマッソン組合に新たなる傾向を生ずるに至った。當時毎月行はれたマッソンの儀式には市民、貴族、學者が參加し組合員たるの願ひが許可された。併し是等の人々は職人ではないので、之を擬會員となしたとのことである。是等の中にはマッソンの華美な宴會や、組合の祕密に好奇心を感じて惹き付けられたものもあったが、新入者があると其の出費で宴會を設け又多額の入會金を出させたことも此の種の新入者を歡迎し、其の數を增加した原因であった。それで後には眞のマッソンよりは擬マッソンの方が多い樣になった。
一七一七年マッソンの爲め記念すべき變動があった。即ち倫敦及びウェストミンスターにある四個の古き職工マッソン組合は相合して一つの大組合を組織し、一人の大棟梁を選定し、同時に若干の學者、神學者の援助を得て組合の儀式及憲法を改造し、習慣を整理した。牧師ヤコブ・アンダーソンは此の憲法を起草し一七二三年印刷に附せられた。之は今日に至る迄マッソンの爲め重要なものとなって居る。斯くて本來の職工マッソンは精神的のマッソンに變った。要するに今日のマッソンは英國が本家本元である。
元來マッソン結社員の第一の義務とされたものは、服從であったが、それより以前と異った所は全人類一致の宗敎を奉ぜねばならぬといふ義務であった。其の意義は、結社員は善良にして忠實、名譽を重んじ、公明正大でなければならぬことである。其の民族及び信仰の如何に拘らず此の全人類一致の宗敎を奉ずることに依ってマッソンは常に相互相離反せんとする人類の間に一致の中心となり、且つ忠實なる友誼を造り上げる手段となるのであった。
元來簡單明瞭な言葉で記述されてあった結社員の義務は玆に至って故意に不明瞭な言葉を以て書きあらはした爲め區々なる意義解釋を生ずる樣になった。例へばマッソン結社員は一定の前提の下に於て謀叛及び革命を煽動する權利を有する、場合に依っては謀叛をする義務を有するとさへいふものがある。例へばマッソンの機關新聞フリーメーソン・クロニクル(一八七五年倫敦發行)は次の樣に記載して居る。
若し吾人が、マッソンは如何なる情況に於ても、惡政府に對して武器を取って反抗してはならないといふならば、それは彼等の最高にして又最も神聖なる市民としての義務を毀損することになる。謀叛は一定の場合に於ては一の神聖なる義務である。
多數の權威あるマッソン新聞は略ぼ同樣な意見を述べて居る。
三、各國に於けるマッソンの概况
マッソンは英國の大組合設立後全歐洲に行き亙り迅速に發達を遂げたが、上述の謀叛の權利を屢々實行した爲め治安維持上壓迫を蒙りナポリでは一七三一年に、波蘭では一七三四年に、オランダでは一七三五年に、佛蘭西では一七三七年に、墺太利では一七九四年に於て禁止されたが、之に拘らず組合の數は却って漸次增加を來したのである。マッソン結社員はロッヂ即ち世界民的組合に編入されて居る。此の組合は更に合して大組合を組織して全世界に普及し、而して組合員は通常三階級に別れて居る即ち見習、職人、棟梁であって此の區分制は職工マッソン時代に起ったものであるが、組合に依っては各種の階級がある。十一階級のもの、二十五階級のものも三十三階級(スコットランド式)も、九十五階級のものもある。今世界に於ける組合の數を擧ぐれば
英國 | 三、一五五組合 | 全員約 | 四十萬人 |
佛國 | 四七〇組合 | | 三萬三千人 |
獨國 | 五五九組合 | | 五萬八千人 |
米國 | 一〇〇組合 | | 二百萬一人(千八百三十三年に輸入さる) |
全世界 | 二四、七八八組合 | | 二百三十五萬八千百四十人 |
其の外和、白、丁、瑞、葡、西、波、露、支那、日本にもある。
それでマッソンは常に世界到る處勢力の獲得に努め、諸國の有力者を自黨に引き入れてゐる。其の内過去二世紀間に於ける結社員の特に有名な人々に米國ではワシントン、マッキンレイ、タフト、ルーズベルト、ランシング、ハウス大佐、パーシング將軍、勞働組合首領ゴンパース、歐洲ではボルテル、ナポレオン、ポアンカレー、フランコリン、マッチニ、ソンニノ、ダヌンチオ、エドワード七世、支那では孫逸仙等である。
マッソンの目的
最高幹部の一人カルチエ・ラ・タントウは一九〇〇年八月三十一日に開かれた巴里萬國フリーメーソン事務所の目的は
全世界マッソンの力を合一せしむる事。
世界を紛亂に陷れる爲め必要なる據點となる。
にありて最後の目的は
世界共和國の建設
であると説明した。
巴里に於ける第一囘マッソン會議(一八八九年七月一六、七日)は佛蘭西大革命百年紀念の爲に開催されたものであるが、此の席上に於て既に以上と同樣の意見が表明された。即ちマッソンの目的は、無神論的の世界共和國の建設である。當時演説者フランコリンは卒直に次の樣に述べた。
十八世紀も千七百八十九年(即ち佛蘭西革命)をも有しなかった各國にも、君主政治及び宗敎の沒落する日が來るであらう。此の日は最早遠くはない。吾人は此の日を期待して居るのである。此の日に於てマッソン的四海兄弟の實が擧げらるるであらう。これ即ち吾人の將來に對する理想である。此の日の一日も速に來らんことを努めるのは、吾人の責任である。
其の目的に就いては匃牙利のマッソンの有力者ヘベシーが次の樣に述べて居る、即ち
世界マッソンの同盟に依って世界を動かすが如き重大問題に對して、全世界のマッソンは合一せる偉大なる勢力を及ぼし、マッソン的の意義、即ち共和政體に有利なるが如く時事問題を解決すべきである。
此の種の實例は尚多數あるが、以てマッソンの差當っての目的が世界マッソン同盟の成立にあることを了解することが出來るのである。又同時に彼等の終局の目的が世界共和國の創立にあるといふ事も明瞭となったであらう。之れが爲には民衆を煽動して從來の權威たる支配者、彼等の所謂暴君に反抗せしむるの必要があった。君主政治を消滅し各國民は精神的に解放せられ、改造せられ、且つ支配權を國民の手に掌握すべきであった。此の曉に於て各國民の頭に立つべきものは、何人であるかといふ疑問が生ずるが、即ちマッソンを除いて此の任に當るものは無いと謂って居る。
四、マッソンと猶太主義との關係
マッソンの事に精通してゐる人は、マッソンと猶太主義との關係に就て簡潔に次の樣に述べてゐる『其の起源は英國に在り、其の上級階級は佛國に於て創設せられ其の精神的養成は獨逸に於て行はれたが、其の形式の大部分は源を猶太主義に發してゐる』と。之は正當であるが、唯最後の事項に關しては完全とは云へない。
精神的マッソンは人も知る如くソロモンの殿堂建設と密接なる關係を持ってゐて此の賢明なる王はマッソンの中で重要なる地位を占めてゐる。瑞典の敎義に依るとソロモン王は結社の創設者、及び第一代大棟梁(グロースマイステル)として尊崇を受け、而して大棟梁の位はソロモンの子孫に限らるべきものとされてゐる。組合の長及び顧問だけは全組織の首長を識って居るが、其の他の結社員は誰も之を知って居らぬ。瑞典、諾威、丁抹、獨逸各國の頭には組合長が居って、其の命令は生けるソロモンの命令と同樣に服從すべきものとされて居る。
ソロモンの殿堂は「人道の殿堂」を構築せんとするマッソンに取っては、一の象徴的のものであるが、(實際バイブルの記述に由って人が想像する程宏大のものではなかった)ソロモン王を第一代の大棟梁と追稱する樣になったのは一七三〇年頃のことであって、それより以前古代の職工マッソンは何等之とは關係がない。爾後マッソンは種々ソロモンの殿堂に因んだ名稱を採用したのである。
結社員の用ふる合言葉の多くは、ヘブライ語から出てゐる等の事を考へ甚しく、マッソンは猶太人に依りて創設せられたものでは無いかと云ふ想像も起り得るのであるが、之は歴史上其の根據が薄弱である。此の結社の創設者は皆英國式に舊約全書を喜んだ基督敎徒であった。其の一人はマッソンの憲法書を書いた英國宣敎師ドクトル・ヤコブ・アンダーソンである。其の他科學者 Thophil, Dasaguilves., Geoge. Payne. 其の他の姓名も今日迄わかってゐるが、其の中には猶太人は居らない樣である。而も玆に既に猶太主義との關係の認むべきものがある。即ちエリアス・アシモールと云ふ好古家の英國猶太人は一六四六年當時の職工マッソンに入社してマッソンに關する多數の書類を集め此等の書類は一七一七年英國の大組合の創立に方り利用せられたのである。
猶太人のマッソン社員グスターフ・カルペレスは一九〇二年次の樣に記述した。『マッソンの思想は猶太主義から出たものである。イスラエル(猶太)の最高貴の花たるソロモン王が、其の創設者と目せられる。其の風習の重要なる部分は、ソロモンの殿堂に關係を有し言葉や記號は大部分ヘブライ語から取ってゐる』と。尚ほ英國の一著述家は説明して曰く『マッソン社員は人爲的猶太人である』と。
抑々マッソン創立の當初に於て、猶太人は早くも其の内に鞏固なる地位を獲得しやうと試みたが、其の事は勿論容易でなかった。即ち當初は猶太人は結社に入ることを謝絶せられたが、一七八〇年頃に至り始めてフランクフルト・アム・マイン市に二個の猶太人のマッソン組合が出來た。併し他のマッソン組合からは承認されなかった。而も猶太人の入社に賛成の意見は漸次多くなって來たのである。例へばフオン・コルトウムは一七八六年に猶太人採用賛成の意見を公表した。一七八三年フランクフルト・アム・マインに創立された折衷的マッソン同盟は最初は猶太人を採用したが一八一一年に至り非基督敎徒を排除するに決した。(其の理由は不明)併し其後の一八四四年には再び最初の原則に復歸し猶太人の加入を許すに至った。今日では該組合の重要なる地位に在るものは殆んど猶太人ばかりである。
匈牙利では一八六〇年代に新たに猶太人を採用する組合が創設せられた。一八七〇年代には既に猶太人で指導者の地位に就く者が出來たが、多數の基督敎徒は此組合を去った。今日では匈牙利のマッソン結社では猶太人が大多數を占め其の長たる者は殆んど全部猶太人である。
一八二三年佛國のマッソン雜誌アカシヤは「猶太人なき組合なし」と書いた。且つ猶太主義に就ては次の如く賞讃してゐる。「猶太の敎會には書類なく、單に象徴を有することマッソンと同樣である。之が爲め猶太敎會は吾人の自然的同盟者であり、之が爲め猶太人は吾人を支援し、又之が爲め多數の猶太人が吾人の同僚となって居るのである」と。
世界各國に於て最も活動的なるマッソン社員は猶太人であって、彼等は結社に猶太の精神を吹き込み、且つ結社をば彼等個有の目的を遂行する一手段たらしむべき道と心得て居るのである。
土耳古のマッソン高級社員中にも最近(一九〇九年)二名の猶太人を見る。サロニカの結社の棟梁カラッソも猶太人である。カラッソはサルタン・アブヅルハミッドに廢位を通告した使節中の一人であった。此の一九〇九年土耳古王サルタンの廢位は靑年土耳古黨の仕事であったが靑年土耳古黨なるものは全然マッソン社員のみから成立して居る。其の本部はサロニカに在った。サロニカは陰謀の策源地として最も恰好の地である。何となればサロニカの人口十一萬中、七萬は猶太人であるからである〔マッソン雜誌アカシヤ(一九〇七年第五十七號)所載〕
伊太利の最も有名なるマッソン社員たるエルネス・ナタンは、マッチニと猶太婦人の間に設けた私生兒であって、一八九六年には伊太利マッソンの長となり、次で羅馬市長となり、世界大戰に際しては激烈なる參戰論者として熱烈に獨逸に對する開戰を主張した。伊太利に於てはマッソンは大なる勢力を占めて居るが其のマッソンの中では猶太人が主要の地位を占めて居る。
佛國二月革命(一八四八年)の際臨時政府員たりしクレミエは、佛國マッソンの有力なる一領袖で猶太人であったことは、先きに一八六〇年シオン同盟の所で述べたところである。又猶太人ガムベッタは一八六九年敎會と國家の分離を主張した(此の事はプロトコールにある猶太政策の重要なる一項である)。世界のマッソンの政治上の目的の一は敎會と國家との分離を實現するにある。而して既に兩者の分離を實行した國では主としてマッソンが之を爲し、而もマッソン内の猶太人が之を爲し遂げた事は爭ふべからざる事實である。
マッソン結社内の猶太人が、其の員數に比して大なる勢力を有して居るのは、猶太人の結社員が到る處に於て勤勉に働いて居るからである。彼等は又結社内で指導者たる地位を得ることに努め、多くの國では已に其の目的を達し同族の利益の爲めに其の地位を利用して居る。結社内に政治上の事を持ち込んだのも主として猶太人である。それでは之を洞察して猶太主義に反抗せんとするものがないであらうかとの問ひを生ずるのは自然であるが、多數の人々はよく知っては居るが沈默を守って居るのである。之は組合の誓約に束縛されて居るのにも因るが、又苟も反抗の態度を取るものは社會的地位を失ひ、又は經濟的打擊を與へられ、時としては生命上の危害さへ蒙るの虞れあるからである。
マッソン結社員ファンデルは、最初猶太人の入社を許さない基督敎主義に反對した人であるが、其の後次の樣に全然意見を變更した。
「マッソンは世界兄弟を主旨として居るに拘らず、其の猶太人は依然猶太人として他の種族をば、其の利益の爲の材料と見做して居る。予は嘗て猶太人は虐げられたる民族と考へて之に對して同情を持って居ったのであるが、今や反對に彼等が吾人を虐げるものであることを知って、之に反抗的態度を取るに至った。」
と憤慨して居る。要するにマッソン結社に對し猶太人は新入者であるが、今や其の指導者として最高の地位を占め、而かもマッソン結社を通じて自己の民族主義を實現しつつあるのである。
五、マッソンと帝冠墜落
(一)米國及び佛國の革命
蘇格蘭敎義の第三十階級(騎士カドッシ階級)は全組織中の最重要な階級であるが此の階級附與式の際當該人は、法王冠及び帝冠に對して劍を以て剌突を加へる儀式がある。
マッソンは革命に成功せるものを名譽ある英雄として尊敬し、若し革命に失敗せる時は殉敎者として援助及び保護を惜しまないのである。故に結社員スタルクが佛蘭西革命に關し「祕密結社なかりせば祕密政治委員會も存置するを得ざるべく、從って革命を成就する事能はざりしや必せり」と云った。
マッソンの主なる仕事は精神的から政治上の範圍に入った。從って其の目的は君主國に於ては、現存せる國家及び社會の秩序を全然倒潰するに在る。又凡ての政治家及び政黨を漸次共和的傾向に導かんとするにある。此の見地よりすれば、今囘の世界大戰はマッソンが長く準備した力試しであった。而して其の政治的參謀本部は倫敦に、精神的統帥府は巴里であった。
一七七六年米國獨立戰爭もマッソンの力與って大なるものがある。米國マッソン結社員たる二、三の人物を擧ぐればジヱッファーソンは合衆國の憲法中に『權利の宣告』を加へ、ラファーエットは米國獨立戰爭にも其の後行はれた佛蘭西革命にも大に貢献する處があった。米國の國家的英雄たるジョージ・ワシントンも同じくマッソン社員であった。
一七八九年の佛蘭西革命が終始マッソンの事業であった事に就いては無數の證據がある。其の精神的準備は所謂百科全書家に依って行はれた。其の内優秀なのはウオルテール、モンテスキュー、コンドルセー、デイデロー、ヘルウェチゥス、ダレムベルト等で何れもマッソン結社員である。
佛蘭西革命の第一の目的はブルボン王朝を倒し佛國マッソンの長たるオルレアン侯ルイ・フイリップを佛國王とするにあった。然るに彼等は其の道具として下層民を使用した爲に却って賤民政治を發生しマッソン結社員も其の渦中に陷った。市中で公然殺戮を行った恐怖政治を發生した事に就ては、マッソン自ら其の責を負はねばならぬ。
彼等は其の集會に於て恐怖手段を實行すべき事を議決し、先づ之が犧牲たるべき者の人名を記録し『是等の人々を此の光榮ある佛蘭西革命』の第一週に巴里市内に於て殺し、其の首は槍の先に剌して市中を持ち廻った。ダントン・ロベスピェール其の他多數の者も同じく結社員であった。彼等は革命の計畫を立案し、下級の結社員が其の實行に任じたのである。ルイ十六世の處刑も亦一七八六年オルレアン侯フイリップの邸に祕密集會を開いたマッソン結社員の決定した事であった此の事は結社員カデー・ガッシクールの語った所である。
佛國マッソンは最近(第二十世紀の初め)にマッソンは實際一七八九年の革命を準備し、且つ彼等の主義たる自由・平等・親睦を以て革命の方式たらしめたのであると公式に聲明して居る。
普魯西の大臣にして嘗て結社員たりし事のあるハウグワイツ伯が、一八二二年ウエロナの君侯會議に送った有名なる覺書に次の文句がある。
一七八八年及び一七八九年に始まった悲劇即ち『佛蘭西革命及び其の際行はれた王の殺害其の他の慘事は凡てマッソン結社の最高指導部に於て議定した事であるのみならず、此の結社の事業及び宣誓の成果である事に就ては確信を得た』と彼の憐むべきマリア・アントアネットは、ヴェルサイユ宮中に於て當時の事情を洞察し其の兄弟レオポルド二世に次の樣に書き送った。
「マッソン結社に就てはよく御注意あれ。此の惡魔共は、各國に於て同一の方法を以て同一の目的を達成せんとして居る。神よ、願はくば我が祖國及び貴君を此の不幸より救ひ給へ」
處刑臺上に其の最後を遂げた、此の憐れむべき皇后は、實に其の理由を語ったのである。
ナポレオンは其の雄大なる企圖を實行する爲めマッソンを其の道具に使ひ、又全世界に亙る結社の勢力を彼の世界政策に從屬せしめた。
(二)伊太利・葡萄牙及び土耳古の革命的マッソン
一八〇五年伊太利ゼノアに生れたるマッチニは一八二一年以後歐洲各國に行はれたる革命の代表者と稱する事の出來る人物である。若い時から革命思想を持して政治的活動をなし、一八三一年には靑年伊太利(Giovne italia)を創設した。同團の目的は伊太利を統一して自由なる共和國を建設するにあった。
伊太利のマッソンは、ヨーゼフ一世を爆彈を以て暗殺しようと計って殺された犯人を以て殉敎者と崇めた。
マッチニ自身もカール・アルベルト王を暗殺せんとした男に手づから匕首を與へたのである(此の暗殺は此の男が變心したので行はれなかった)。嘗てマッチニの率ゐる團體は、フェルヂナンド二世の殺害を決議し十萬ドウカーテンの懸賞をかけた。一八五八年に或る兵卒が之を試みたが捕へられて殺された。
葡萄牙では組合數百三十三個、會員數四千三百四十一人で其の長は有名なる革命家リマであって、同氏は一九一五年成立した内閣では勞働大臣の職に就いた。彼は世界マッソンを通じての有名な指導者で、既に一九〇七年巴里の組合で行った講話の際『葡萄牙の王政沒落、共和政治の必要』を説いたが、其の後數週にして同國王は皇太子と共に暗殺せられた。其の後マヌエル王が立ったが、此の王も間もなくマッソンを主謀者とせる革命の爲に一九一〇年其の位を追はれた。
十九世紀は土耳古に取って最も不幸なる時代であった。其の屬領は相踵いて離反し多數の國王は其の位を奪はれた即ちセリム二世は一八〇八年に弑せられムスタファ四世は一八〇九年其の兄弟マームード二世に殺された。アブヅルアヂヅは廢せられムラド五世は一八七六年に王位を逐はれた。
一九〇〇年頃以來佛國の大組合は、土耳古の國内の状況に就いて考慮し始めた。靑年土耳古黨は主として猶太人、希臘人及びアルメニア人から成って居るのだが、其の政治上の成績思はしくないので、マッソンに援助を求めた處其の成果は忽ち現はれた。即ち靑年土耳古祕密委員會なるものが組織せられ、其の本部をサロニカに置いた。サロニカは有名なる猶太人の市街である。其の他同地に多數の組合が組織せられたが、是等は列國外交の保護を受けた爲め、土耳古王は之に對し如何ともする事が出來なかった。靑年土耳古黨は組合に入って革命を準備した、即ち該委員は殆んど全部マッソン社員で、其の内猶太人が最有力な地位を占めた。斯くて革命は成就しマッソンは凱歌を奏したのである。
(三)墺國皇儲暗殺の眞相
一九一二年五月二十三日ベルグラードに創設せられたるセルビア・マッソンの最高會議は一九一四年五月三十一日フランクフルト・アム・マインに開催せる獨逸大組合の會合に於て承認を受けたが、其の四週間後の六月二十八日墺國皇儲フランツ・フェルヂナンド大公は、ザラエウォに於てセルビヤのマッソンの社員の爲に暗殺された。爆彈投擲者に武器を交附し、且つ其の用法を敎授したタンコシツ少佐も、暗殺者に拳銃(ブローニング)及び爆彈を手交したチガトウウィチも、共にマッソン社員であった。又此の兩人は國民軍の指揮者でもあった。ベルグラード組合は大セルビャ祕密結社(Narodna Odqsana)の本部のある家屋内に於て其の集合を催した。暗殺者カブリノウイツは、其の自白に依ると、同じくマッソン社員であった。暗殺の爲の費用はマッソン結社員カジミロウィツが一九一四年四月中佛、英兩國に旅行して調達したもので當の下手人は猶太人ガブリロ・プリンチップであった。是等は凡て公文書に記録された事實である。最後にサラエウォの裁判の際多數の證人は、墺國皇儲の暗殺は既に一九一二年に佛國大組合が決定した事で、唯だ暗殺の實行者が居なかった爲にまだ實行されずにあった事が確められた。佛國のマッソン新聞アカシヤは此の暗殺を以て英雄的事業だと賞讃した。巴里に於ては既に一九一〇年に墺國皇室に近く凶變があると豫言する者があった。同時に獨逸のホーフエンツオレルン王朝も一九一〇年には終りを告げると言はれた。併し豫言の時期は事實よりも五年過早ではあったが、之に依って事實に對する努力の始まった時期をば大凡窺ひ知る事が出來る。
皇儲フランツ・フエルヂナンドは其の天資英邁で近き將來に於て必らず強力なる皇帝即ちマッソン側から云へば『暴君』となったに違ひない。これも同皇儲と、獨逸カイゼルとの良好なる關係がマッソンの第一目標となった主なる原因であった。
(四)墺國及び露國の革命
一七八九年―九〇年の土耳古戰はマッソンの仕事であった。此の戰爭の結果墺國帝室の財寳及び軍隊は減少疲弊した。ヨゼーフ二世は愈々マッソンの勢力を殺ぐ事に決心したが、此の決心を實行するに先き立ち一七九〇年二月四十九歳に達せずして崩じた。
レオポルド二世は能くマッソンの眞相を知り、歐洲各國の王室が祕密結社の奴隷となって居る事を看破し、窃かに此の秘密勢力を打破せん事を計った。帝の姉妹皇后マリア・アントアネットは帝に對しマッソンに就て戒心すべき事を忠告した。帝も亦マッソンを抑壓し樣と決心したが、之を實行するに先き立ち、一七九二年三月四十五歳を以て崩した(マッソンの爲に弑せられたとの説がある)。レオポルド二世の後を襲ひたる皇帝フランツは一七九四年に命令を發して、國内のマッソンを壓迫した。一七九五年に發覺した帝室顚覆陰謀は、マッソンの企てたものでレオポルド二世の祕書官リーデルも其の一味に加はって居った。
之を要するに墺太利及び匃牙利のマッソンは君主制を廢して共和制を採用する事に終始努力を續けて來たのである。
一七八九年の佛國革命の際、露國に於ても一般にマッソンを以て革命の主謀者と見做して居る。エカテリナ女帝は聰明且つ注意深き婦人であったので、自分で目擊もし又は他國に起った出來事を見て、一七九四年露國に於ける組合に解散を命じたが、一七九六年の十一月十七日崩御した。エカテリナ女帝の子パウル一世はマッソン社員であったので、同社員は彼に依って結社の禁止が解かれるだらうと思った。然るに帝は其の後更に新たなる禁令を出し、而かも嚴に之を勵行した。斯の如く、急劇に皇帝が態度を變へた原因は不明であるが、其の後間もなくパウル一世は殺害された。パウル一世の子アレキサンドル一世は之に就て不安を感じ、殊に或る新らしい組合が佛國のスコットランド式高級組合の式を採用したのは取りも直さず組合が高級政治に關係する事になったので、帝は尚更其の將來を憂慮し、遂に一八二二年八月六日嚴重なる勅令を下し、總ての祕密結社(マッソンを含む)を禁止した。其の理由とする所は、諸種の陰謀は皆祕密結社の計画する所だと云ふのであった。一八二五年十二月一日アレクサンドル一世は此の結社の犧牲となったのである。
一八二六年以後露國のマッソンに就ては特記すべきことはないが、其の代り色々の秘密結社がいくつも現はれ、爆彈を以て其の理想を實現しようと努めた。
而して其の背後には常に猶太人があった。例へば冬宮に於ける爆彈事件の主謀者は、猶太人ハルトマンであり、一八八一年三月十三日アレクサンドル二世を爆彈を以て、暗殺したのは猶太婦人イエッセ・ヘルフマンであり、衞戍司令官トウレポフは猶太婦人ウエラ・サスリッチに殺され、内務大臣でスティチャーギンは猶太人ボゴレロフに殺された。又露國革命に就て獨逸猶太人ベルンスタインは一九〇六年の社會主義雜誌中に『露國革命の爲め猶太人が如何に活動したか又現に活動しつつあるかは世間周知の事である』と述べて居る。
一九〇五年の露國革命の際マッソンは、政府に對し公然マッソンを承認すべきことを要求したが、首相ストリピンは頑として其の要求を却けた。此が爲めストリピンは一九一一年九月十四日暗殺された。暗殺者は猶太人ヘルシコウィッチ・ベグロフ(ヂミトリ・モーテルと稱した)である。
一九一七年二月二十八日に於けるニコライ二世の失脚も、露國マッソンが英佛の結社員の援助の下にやった仕事である。政府の首班となったルヴォフ公はマッソン結社員であり、之に代った猶太人ケーレンスキイも同じく結社員である。
(五)英國のマッソン及び瑞典のマッソン
英國のマッソンは他國のそれと趣を異にし自國に對して革命的の仕事を行はず反對に英國の爲に必要なる場合は外國に於ける革命を援助すると云ふ特色を持って居る。英國のマッソンは世界中に於て最も鞏固な組織である。(數字に於ては米國が世界最大であるが各洲の大組合は全く獨立して居るので團結に缺くる所がある)一九一八年倫敦の組合數は七百二十九箇に達し、地方の組合は其の數千七百四十九箇殖民地及外國に六百七十七箇ある。其の外英本國内の地方大組合の數四十六箇、印度濠洲、南阿等の殖民地アルゼンチン日本及支那等に合計三十箇の大組合がある。
英國が今日の大を成したのはマッソンの功績であるとは既に一九〇二年のマッソン・クロニクル紙の報じた所であるが、以て英國マッソンの活動振を想像する事が出來よう。
されば日本の〇〇〇〇の如きも既に英國に公使たりし時代加入を勸説されたものである。常時マッソンは國籍宗敎を超越して、人類の向上完成に努め、而して本質上寛容で凡て獨斷的信條を排斥し、然かも良心の絶對的自由を以てし、自由平等博愛を標語として居った。……『閣下は金權を擁せらるゝ、今一箇缺くるものあるは言論機關なり、宜しく其の御用意あるべし。さらば期年ならずして宰相の印綬を得らるべし』と種々の祕策を授けたりと傳へらる。(是れマッソンの巧妙なる罠であるのである)また〇〇〇もマッソン結社員であることは知る人ぞ知る事實である。
故に歐洲大戰には頗る英國に忠勤を拔んでゝ、何の遠慮會釋も要せず維新詔勅中の遠大の皇謨……萬里の波濤を開拓すべき千載の好機會に遭遇しながら一々御叮寧に英國政府に移諜して伺を建て、南洋の占領は赤道以北に限られ、獨逸に對する宣戰には布告に先だち其の掣肘を受け、平和克復後は無償にて支那に還附すべきを中外に聲明せしめられ、直接間接に大いに英國に有利ならしめた、爲に支那には愚弄されつゝ山東を返附するの止むなきに至った。此に山東に於ける日本帝國の根柢は全く失はれ、日本の勇忠なる將卒の貴き血は、假令僅少なりしにせよ、外國の爲に流さしめたことゝなった。(果せる哉動亂濟南に勃發して我が居留民多數殺戮の難に遭へり嗚呼)英國に心醉した結果、國本を忘れ、英國に對してはマッソンの所謂兄弟の義を竭し日本に對しては大不忠を敢へてしたものである。將來支那の擾亂山東に起るとすれば日本は隣邦の安寧を損ひ仁義を無みしたことゝなる。
英國は常に他國内の動亂を助長し謀反者に對し豐富なる資金を給した。英國の豫算には年々五百萬ポンドの機密費を計上して居るが、此の金額は他國に對する宣傳煽動等に使用せられて居るとのことである。從來英國が外國の元首或は重なる政治家の首にかけた多額の懸賞金も此の中より支出された。
英國マッソンは最も有效に同國の世界統治を促進した。從って同國の帝國主義に反抗する國に對しては大なる打擊を加へた。英國のマッソンは共和的の傾向を持って居らない。其は同國が一六八九年以來事實上の共和國となって居るからである。英國のマッソンと其の國家とが斯くの如く密接な關係にあるのは兩者が其の目標及び利害を一にして居るからである。即ちマッソンも英國國家も共に世界統治を成就せようと努力して居り、兩者の利害は全く一致して居る。故に兩者の活動振も共に類似して居るのである。
瑞典の歴史にもマッソンの殺人事件がある。今其の記憶を喚起しようとするのは以てマッソンは其の目的達成の爲には犯罪的手段をも敢て辭せないことを、明かにせんが爲である。佛國革命當時の事であるが、瑞典王グスターフ三世はルイ十六世と同盟者であったが、ルイ十六世が一七九一年六月ワレンヌに蒙塵した時、グスターフ三世は軍を率ゐて佛國々境に進みルイ十六世を救ひ出そうとした。然るに王の弟ヂェーデルマンランド大公(瑞典マッソンの棟梁)は社員をして王を殺さしめた(一七九二年三月十六日)。之は巴里の辯護士にして結社員たりしカデーガッシクールが、革命の際マッソンの眞相を看破し同社より脱退したる後公表したる事である。又他の社員の説述に依るとグスターフ三世及びルイ十六世の殺害は、既に一七八六年フランクフルト・アム・マインのマッソン集會に於て決議されたとの事である。
六、マッソン革命と猶太革命
世界各國に於けるマッソンの革命的事業を通覽するに其の精神は同一である、即ち其の終局の目的は共和國の建設である。
其の一例を擧ぐれば白耳義のマッソン集會に『白耳義共和國』なる議題の出る事は敢て珍らしい事ではない。而して同國のマッソンが外國に於ける革命的事件に就ても多大の興味を感ずると云ふ事は次の例でも明かである。
即ち一九一一年同國の有名なる結社員フルネモンは演説して曰く
諸君は最近の葡萄牙革命の報を得たる時の吾人の得意の感情を記憶するが、數時間を出でずして王座は顚覆せられ、國民は凱歌を奏し、共和國は宣言せられた。それは何も知らぬ一般の人に取っては正に靑天の霹靂であった、云々と。
南米ブラジルの最後の皇帝ペドロ二世を沒落せしめた者はマッソン結社員デオドロ・ダフオンセカ元帥で其の革命運動は總てマッソン組合の画策する所であった。
佛・伊・英・セルビア諸國のマッソンが世界大戰を煽動した事は今日では獨逸のマッソンも之を認めて居るが、猶太人より成るマッソンが猶太人の敵たる露西亞帝王主義の味方となりて中央同盟に對する戰爭を助けた事に就ては、誰しも矛盾を感ずる所である。併しながら米國のマッソン派の新聞によると、同國のマッソンは何等言ふ所なく單に英國及び佛國を支援すべき事を説いたのであった。
協商側のマッソンの中にも各種各樣の意見が行はれたのは事實である。露國のマッソンは中央同盟諸國を擊滅しコンスタンチノープルを占領し且つ大スラブ國家建設の理想を實現せんとしたのである。
然るに同じ露國に於て猶太人のマッソンは、第二十世紀の始め以來祕密裏に大なる發達を遂げ、何よりもザーの統治の沒落を望んで居たのである。而して一度目的を達するや尋て中央諸國の帝王を倒す事を謀った而して彼等は獨逸の王侯は獨逸人自身をして之を放逐せしめ最後に「獨逸」の革命に代ふるに「猶太」の革命を以てせんとしたのである。
猶太の革命は國民に盲從を強ひる爲に恐怖政治を行はんとするので、威力、買收、欺瞞等は其の手段なのである。かくて猶太の革命の結果は無政府、混亂状態に陷り結局國民は彼等――即ち猶太人に自ら進んで世界統治權を捧呈するの餘儀なきに至らしめんとするのである。
バイエルンの革命の首領たりしクルト・アイスネルはワルシャワに於てイスムノフと云ふ名を以て波蘭猶太人のマッソン結社の棟梁たりし者で又ミュンヘンではウアン・エスラエロウイツと云ふ名を以て猶太人の祕密組合の長ともなって居た。彼は革命成功後の得意時代に其の同僚に對し「此の革命は十一名の手で成し遂げた」と語った此の十一名は總て猶太人でミュンヘンのマッソン結社に屬して居った。要するにバイエルンの過激派革命は全然猶太のマッソンの仕事であった事は、同政府の有力者が何れも猶太人であった事に見れば明かである。
猶太人コーハンは一九一九年四月十二日露國カルコフ發行の新聞コンムストに次の樣に書いて居る。
露國の大革命は猶太人の事業であるといふも決して過言ではない。吾人(猶太人)は赤軍の最高統帥權がレオ・トロッキー(本名ブラウンスタイン)の手裡にある限りは安心して居ることが出來る。
一九一九年三月匈牙利に建設された勞農共和國の政府は、全然猶太人計りから成り立って居た。百三十四日間の共産黨の政治は匈牙利に醫すべからざる損害を與へた。幾千人は罪なくして慘殺せられ、當局者たる猶太人は三十億クローネの金、寳石、裝飾品等を奪ひ去った。一億九千七百万クローネは墺國共産黨の資金として同國に送られた。
七、相異せる猶太の理想とマッソンの理想
以上マッソンの研究は主として一昨年ミュンヘン・イ・エフ・レイマン發行の墺國ウィヒツル博士(Wichtl)の著、世界フライマウレライ、世界革命、世界共和國(Weltfreimaurerei Weltrevolution Weltrepublik)に依ったものであるから尚ほ詳細を同書に依り一般に研究あられんことを切望するものである。
扨てマッソンとは如何なるものであるか上述した處に依って概ね了解し得た事と思ふ。之を要するにマッソンは其の濫觴を英國の古代職工マッソンに發し十八世紀以後職人以外普通の人々の入會に依って精神的のものと變化し、世界的に隆盛に赴き十八世紀末猶太人の希望成功して會員となるに及びてマッソンの政治的色彩濃厚となり、遂に其の最高の指導的地位は猶太人の占むる所となった。從って猶太人はマッソンを利用しマッソンを通じて其の理想政策を實行しつつあるのである。併し猶太人の理想とマッソンの本來の理想とは根本的に異なる。即ちマッソンの目的は全世界殊に歐米の有力なる活動的人物を網羅し、人道、平和、自由、平等等を標榜する公開しない結社であって、最も祕密とする最高最終の目的(最高幹部の画策し活動するところであって下級の徒弟階級は單に外面的の人道主義を信じ眞の目的を知らず)を持って居る。それは言ふ迄もなく「マッソン團の掌握する世界共通の大共和國の建設である」。然るに猶太人の陰謀はプロトコールにある通り世界各國に居住する有力なる猶太人の理想即ち世界征服計畫であって、其の祕密にして最高最終の目的は『シオン系統の帝王を戴く全世界猶太人大帝國の建設にある』。プロトコールで見ると猶太人の政體に對する考へは、國家として最も強力な理想的のものは君主專制である、從って彼等が世界を破壞して新に最高政府を樹立せんが爲、最も頑強な障碍物は彼の理想的な非猶太人の君主國であるから先づ之を叩き壞はし、以て彼等が自由に操縱し得る共和國に變化せねばならぬと云ふにある。故に猶太主義から見るとマッソンは實に猶太主義の爲め極めて好都合な道程内にあるものと云はねばならぬ。而もマッソン内には既に猶太人が主要なる地位を獲得し得たのであるから、世界の猶太化の着々實現されつつあるのは當然のことと云はねばならぬ。今や方に猶太の理想は百歩の中九十歩は達せられた。
然し此の九十歩は即ち事業の半である、此の成功の半にして各國に於ける非猶太人は猶太人に對して奮然として立ち、極力防衞手段を講じつつある。之が即ち二、三年前より各國に於て猶太問題の極めて眞面目な研究が開始された所以であって、之には一般基督敎徒許りでなく、マッソン委員其のものが猶太人に對して戰を宣して居る。次に引用した實例はマッソンの理想的共和國北米合衆國、デイアボン・インデペンデント誌の論文である。
「猶太人が他の民族を支配することに對し防止の手を擧げ又は彼等が他國民が生活の必須機關を左右することを妨害せんか。彼等は直に誤傳の叫聲を揚げる。而して其の自己防衞の手段は彼等の貫用する虚僞の辯解、同情の哀求及び其の責任を他の團體に結び着けて之を糊塗する事である。
恐らくマッソン結社は今日に至りてはその猶太人と關係せる事の何故なるかを怪むであらう。されど前述の如く猶太人の責任轉嫁の策略を知り、過去二百年間に生じたるマッソン結社歴史中の猶太側との關係を知らば直ちに疑ひは氷解するであらう。
米國歴史中に於て是迄國民が不可思議なる勢力に左右されたことが二回ある。而も事件背後の正體は決して其の形を現はさず疑問は其の都度マッソンの上に懸った。即ち一囘は國父ジョーヂ・ワシントンの時代であって他は大統領アダムスの時代である。而して之に關する種々の研究書が出で、講演は催され、新聞亦穿鑿に努めたが、何人も猶太人勢力を發見し得たものはなかった。
併し國父ワシントンは其の不忠なる一勢力は決してマッソンにあらず、マッソンの外皮に隱れ何にものか背後に存することを知って居った。アダムスに至っては左程適確なる見解は懷いて居らなかった樣である。
マッソンは決して汚名を受くべき團體ではないし又顚覆の目的を有したこともない。彼の佛國に生じたる無宗敎な革命的の僞マッソンは、大に猶太人の保護を受けたもので、眞のマッソン結社に取りては迷惑極まる不良團體であるに拘らず世人は唯マッソン社の同類なることのみを見て其の背後にある猶太人の魔手を見ざりしは甚だ遺憾とする所である。此のマッソンの誤傳の再發したのは一八二六年であるが爾後米國猶太主義の首領等が自己の姓名をマッソンの名と混同結合せしめてから、マッソンの聲價は傷けらるるに至った。
然し吾人は米國猶太主義の首領が最早此のマッソン結社の背後に隱るるを許さず、又吾人はマッソンの名を猶太人に對する攻擊防止の楯に使用し乃至は責任を分つべき同盟者に利用するを許さざることを彼等は覺悟せねばならね。
此の彼等の手段は已に二囘共米國に於て成功したが最早決して奏功すべきものではない。マッソンは猶太人の如き陰謀を目的とするものではない。同社は既に事實に醒めつつある。
猶太人等が自己に對する攻擊緩和の目的を以てマッソン結社を利用したと同樣に又ゼスイット派を利用したことは注目に値する。若しゼスイットとマッソンとが互に其の記録を比較して見たならば、猶太人の手段が全く同一であることを知るであらう。
而して之れ實に議定書と事實との一致する例證であって、議定書には猶太人はマッソン及びゼスイットには共に反對なるも、之を猶太派の目的達成の手段に利用することは歡迎する處なる旨明記されてある。
此の兩者は既に猶太人の手を知ったからして充分警戒するであらうが、未だ一般民衆は之を知らない。併し漸次世の進歩に伴って既に今日に於ては世間が猶太側の世界的計畫を知悉しあるの程度は昔日に比べて遙か大なるに至った」。
之は確かに猶太陰謀に對するマッソンの覺醒である。併し吾人大和民族の理想はマッソンの世界共和制でもなければ、猶太の世界大帝國では勿論ない。最も堅固にして卓越せる日本帝國の隆昌である。マッソン主義も猶太主義も一歩も國内に入るを許すべきでない。
然し大和民族にして社會主義を奉じ共和的傾向の促進を希ふものは、マッソン員に非ずとするも、無自覺のマッソン主義實行者であると共に、猶太主義の助長者である。又共産無政府主義を奉じて帝國を破壞せんとする者は、同じく猶太主義の助長者である、即ち猶太人の爲に奴隷たらんことを、希ふものといはねばならぬ。世界大戰後獨逸共和政治下にあるウィヒツル博士曰く
獨逸人統治の下に、各人が全般の幸福の爲に圖るが如き、良好なる獨墺共和國は惡い君主國に比して百倍好ましい。之に反し有爲にして良好なる補助者を有する獨逸皇帝の下にある良き君主國は、成上り者や犯罪者より成る共和國に比すれば千倍も好ましい、
と。是れ何んと日本人にも味ふべき價値ある言葉ではないか!
八、汎歐羅巴主義運動
今度墺地利で汎歐羅巴主義と云ふ新しい運動が提唱さるゝに到った。其の唱ふる處は、獨逸とか佛蘭西とか墺地利とか個々に國境を作って置くから軋轢が生ずる、故に國境を廢して汎歐羅巴國としたならば、永遠に和平で此の世を天國にすることが出來ると云ふのである。此の運動の首唱者はクウーデンホフ・カルレギーと云ふ墺地利人でマッソン社員である。クウーデンホフの父は伯爵であって三十五年前日本に公使たりし時、日本婦人を妻として歸國し其の次男に生れたのが此のクウーデンホフである。彼は猶太人の娘を女房にしてゐる處から斯る運動を爲すに至ったもので運動の發作は新しいが、實は猶太の世界政策の豫定の道程であるのである。
猶太問題の事實
一、猶太人の世界分布と移動
世界幾十種の人種の中で恐らく猶太人位、國際的なものはあるまい。抑々彼等の移住流轉は其の祖アブラハムが一族を率ゐてメソポタミヤ地方からカナンの地に移動したに始まって居る。而してカナンから埃及に、埃及よりカナンに紀元一三五年後はカナンから歐羅巴に、亞細亞に、亞米利加に唯彼等の猶太一神敎を固く奉信しつつ轉々流浪し、今では全世界に分散してしまった。從って彼等には土地に對する執着心は更に無い。之は自己の國家といふものなく到る處他種族、異敎徒の持ちものであるからでもあるが、彼等は實に到る處靑山ありの氣分で、苟くも猶太敎を信ずるの自由を得、彼等民族の發展し得る所ならば何處迄も移動して行く。彼等の土地に對する愛は轉じて同族の愛となり、猶太民族の相互扶助、團結の鞏固は他に比すべきものがない。之が彼等をして依然猶太民族として世界的に活動せしめ國際的たらしめた原因であって、現在では最早彼等には他民族の土地であるとか異國であるとかの觀念は去って、全世界が猶太人のものであるといふ觀念の下に活動して居る。此の有樣は丁度日本人が日本國内を移動すると毫も變りはない。例へば東京に居ても面白い仕事がないから大坂へ行って見よう、大連にはよい仕事があると友人から謂ってよこしたから大連に渡らうと云った調子である。又彼等は世界列強は勿論、亞弗利加の端、南米の隅、到る所彼等同胞が、夫々其の國籍を有する國の地位を獲得し、或は大統領、大臣となり總督となり、大使、公使となり、地主となり大富豪となって居る。誠に好都合である。而も彼等の中には大革命家あり、無政府主義者あり、大學者あり、大資本家あり要路の大官あるが之は彼等が非猶太團、非猶太人間に其の身を置いての事であって、一度猶太民族の利害危急に遭遇すれば共産、無政府主義者は猶太資本家の爲に、最善の努力を致し、要路の大官が大革命家の爲に奮鬪する。其の結果は結極猶太民族の利益に歸するのである。此等と比較して見ると己が賣名の爲に心にもなき主義やら主張やらして、國家國民を過らしむる所謂學者や、歐米の文化とやらに心醉して社會の風敎を亂し自ら首を吊る文士や、言動を見ると日本人だやら異國人だやら一寸解かり兼ねるやうな社會主義者や、勞働者の幸福を口實にしてブルジゥアの生活をして居る勞働運動者や、國家の不利を外國に曝露しても、自黨の爲に反對黨を罵らうといふ愛黨家の多い大和民族は、到底猶太民族の國際的發展に及ぶべくもない。それで彼等は其の民族的團結と國際的觀念とを以て露國に猶太同胞が革命を起したとなると、資本家は金を出し、無産者は空拳を以て露國に集中する。露國がものになったから今度は獨逸だといへば又獨逸に矢を向ける。それで獨逸に殘る者は殘り歸へる者は歸る、從って彼等の全人口は千三百五十萬といふが、各國に於ける彼等の人口は常に移動して居って甚だ不定である。猶太人が其の宗敎の爲、其の同化せざる爲、各國から所謂『ジゥ』として輕蔑され、壓迫され追放され流浪したのは、既に昔の歴史である。現今は寧ろ主客轉倒して、他民族を壓迫し虐待するの地位にある。日本人が昔の猶太人の事を考へて虐げられた民族だの、同情すべき民族だのといふのは、寧ろ彼等を侮辱して居るものである。今ではそういふ大和民族が虐げられつつある同情すべき民族といふべきであらう。
右の有樣で猶太民族の分布は全く不定であると共に近年調査された統計がないから確實な事はいへないが、一九一四年以前の調査にかかるイスラエル・コーヘン氏の表に依ると。
歐羅巴 | 一〇、〇六八、四三五 |
亞米利加 | 二、四九五、八〇五 |
亞細亞 | 五二五、六五八 |
亞弗利加 | 四一二、二四六 |
濠 州 | 一九、四一五 |
合 計 | 一三、五二三、五五九 |
此の内歐洲の約一、〇〇〇萬中歐露の六〇〇萬、匈國の二二六萬、獨逸の六一萬、英吉利の二七萬、羅馬尼の二五萬は多い方であったが亞米利加二四九萬中合衆國の二三〇萬は實に猶太の新根據地だけのことがある。
近年米國の排日は愈々熾烈となり、露骨となって、やれ上院を通過した埴原大使の重大がどうした正義人道の看板は何處へ行ったと探して居る間に、大統領は日米の爲め遺憾であるとかなんとかいって排日案に署名してしまった。さすが米國崇拜者も、國民外交家も啞然として唯切齒扼腕するのみで政府が惡いの、外務省が惡いのといって例の内輪喧嘩をやって居るが、此の喧嘩の叫び聲は少しも排日案を緩和しないで着々實行に向ひつつある。處が猶太移民は此の米國に對して、凱歌を擧げて乘り込んで居る。之に對してアングロ・サクソンは反對に猶太禍の警報を傳へて居るが手の下し樣がない、要するに悲鳴である。
ディアボーン・インデペンデント紙の次の記事は之を證して餘りある。
「現在露・獨・波蘭諸國民は移民として米國に入ることが出來ないに拘らず猶太人のみは各國から自由に渡米し、而も其の數激增し米國移民の殆んど全部は猶太人である許りでなく、其の態度恰も米國支配者か或は歐洲大陸を征服した軍隊が、新に米國に向ふが如く堂々として入り來り、如何なる手段を以てするも之れを阻止すること能はず。是れ猶太秘密結社が米國移民官憲を全然支配し、又國内の情況を一目するや露國同樣米國も猶太人に征服せられつゝあるが爲であるを知る……」
之が排日を決議した現在の米人の猶太人に對する眞の告白である。勿論米國には猶太の革命家等の入國は之を阻止する幾多の障碍が設けられてあるが、他の一方には之を無效にする完全な組織が出來て居るので各種の猶太人がドシドシ入國して來る。從って伊・露・獨・波等の革命家が皆猶太人である如く、現在米國の過激派の首領もI・W・Wの首領も亦此の猶太人である。時に猶太革命家がエリス島で米國官憲の抑留に遇ふこともあるが、猶太人は忽ち米國の國會議員、新聞記者及び洲官憲に打電して、某氏の爲に運動すべきを傳へ、此等の人々は米國政府に打電して某氏の人格を保證し入國許可の段取りとなるのが通例である。而も猶太移民に就て世上に宣傳さるるところは他國にて壓迫された窮乏せる婦女子の寫眞である。米國官憲中の具眼者が猶太人の侵入の恐るべきに氣の付いた時は既に遲く、猶太勢力が強大となって公然之を攻擊することすら不可能となった。
米國では國勢調査に依って各人種別の統計が明瞭して居るが獨り猶太の人口のみは全く不明である。それは猶太出身の上院議員等が猶太なる語は宗敎上の言葉で人種別でないといふ理由で、斷然其の調査を拒むからである。勿論之は自己の勢力を隱匿せんが爲に外ならない。その癖猶太人相互間では、猶太人であるといふ固き觀念の下に一致團結して居るのである。
現在合衆國の猶太人口は三百萬を越えて居るが、内大部は紐育に居住して居る。猶太結社ケヒラの四五年前の記録に依れば、紐育の人口は百五十二萬七千七百七十八人とあるが、今では百八十萬を越して居るとの事で世界猶太總人口の中の十人に一人三分は紐育に居住してる割合である。
從って紐育の商業地區は勿論同市の富豪街ともいふべきウォール・ストリートには多數の猶太人が居住し、世界財界の重要部分を占有して居ることも想像出來るのである。最近非猶太財力家等の結束が出來、猶太對抗策を開始した爲、猶太人は中米墨國等と結び、更に南米に力を注ぎ、猶太移民は盛んに南米に行はれ、此所にも猶太財閥の牢固たる勢力を形成するに至った。
以上に依って見ても猶太人が如何に國際的であり又如何に移動しつつあるか、自から合点し得らるるであらう。然るに日本人が、内地に於ては人口過剰に苦しみつつ移民は四方から逆流し來り、猶太人に蹂躝せらるる米國の、國辱的排日に詮術もなき有樣は何たる事であらう。
而して排日の裏面には米國を征服しつつある猶太人のある事を忘れてはならぬ。
二、パレスタインの復興は猶太問題を消滅し得べきや
紀元一三五年羅馬の殖民政策に依って故國パレスタインを追はれ世界に四散した猶太人が、何處へ行っても居候扱ひされて居る、誠に氣の毒千萬である、而も到る處陰謀を逞うし、革命の張本人として又國財の横領者として嫌忌されて居るが、是は彼等に國がないからである、故に彼等の常に叫ぶが如くパレスタインを復興して猶太國を建設し、世界の猶太人を其の所に歸還せしめたらよいではないか、是が猶太問題を解決する唯一の手段であると、斯ういふ議論は誠に尤もらしく聞えるが事實は何うであらうか。
パレスタインに猶太國を復興せしめんとするシオン同盟者等の運動は、世界戰爭を利用して白熱化し、遂に一九一六年ワイズマン博士等に依って公式に英國政府に向ひ交渉を開始し、米・露・佛等各國の猶太民族主義者も亦委員を派して運動を始めパレスタインの復興を期した。此が遇々英國の土耳古領であった所のパレスタインから獨逸勢力を驅逐し、スエズ運河を安全に保有し且つ猶太人の歡心を買ひ、彼等を戰爭に助力させやうとする野心に一致した爲、遂に一九一七年十一月二日英國は猶太建國の爲め最善の努力を盡すべく外相バルフォーアの宣言が、猶太の巨頭ロスチャイルド男に發せらるることになった。全世界の猶太人は狂喜雀躍し、此の日を以て故國復興記念日と定め到る處歡呼して祝盃を擧げた。越えて一九二〇年四月二十四日伊太利のサン・レモに於ける聯合國會議に於て愈々パレスタインに猶太國を建設する爲め、該地方を英國の委任統治と決し、ワイズマン博士は此の年に於て世界猶太主義協會會長に推薦され、猶太建國の爲め盡瘁することになった。それで英國は今迄居た土耳古大使を追拂って、英國猶太人サー・サミュエル・モンテーグをパレスタイン總督に任じ、王者の禮を以て彼をパレスタインに送ったが、モンテイグは猶太王國の囘復を自から高唱し、土着の猶太民族も亦彼を猶太王と尊敬したのである。是迄は猶太王國の復興も誠に無事であるが、抑々パレスタインは獨り猶太人の聖地ではなく、囘敎徒の聖地であり、基督敎徒の聖地である。而もバルフォーアの宣言には囘敎徒や、基督敎徒の市民權は侵害しないことが條件づけられて居る。其處に持つ來て互に毛虫の如く嫌ふ猶太人が君臨して、世界中の猶太人がドシドシ侵入して來るといふのであるから、基督敎徒も囘敎徒も沈默して居る筈はない。我々を何うしてくれるかと英國政府に抗議を始め英國も手を燒いて問題は行き惱みの状態であるのも當然である。それは扨置いて兎に角猶太人が年來の希望通りパレスタインに歸れることになったから世界の居候は止めてどしどし故國に歸還しさうなものであるが一向歸らない。元來パレスタインはアラビヤ五十萬基督敎徒十萬で猶太人は僅かに八萬人しか居なかったのであるが、英國委任統治後僅かに二萬人の猶太人が歸國したに過ぎない。倫敦、巴里のロスチアイルド一族も米國の富豪シッフ一族も、佛蘭西大統領ミルランも、活動役者のチァプリンも、露西亞のトロッキーもヨッフエも歸國しない。歸へったのは貧乏猶太人許りである。之は歸へらないのが當然で、日本の加藤高明子や岩崎や三井が日本の地盤を棄て南洋に移住しないと變りがない。此の委任統治後二萬人の移民を、近來米國への猶太移民年々數十萬を以て數へて居るのに比べたならば、明けても暮れてもパレスタインの復興と叫ぶ猶太人の本音は何處にあるか自ら明瞭である。即ち彼等の世界的活動を故國復興運動と稱して隱蔽する一手段なると共に、パレスタインは猶太の發生地であるから、彼等の精神的據點とし、中心として唯其の手に收むれば足るのであって、彼等大部の居住地は依然として全世界である。加之パレスタインは面積僅に一百萬哩の瘠土で二百萬の人口を養ふに足りない。假令囘敎徒、基督敎徒を全然他に移しても、猶太の全人口の六分の一も入れられないではないか。即ち猶太人は永久に世界の居候である。そしてパレスタインの復興は依然として猶太問題を消滅し得ない。
三、左右兩黨の猶太人は一体なり
「決して悉くの卵を唯一箇の籠に盛る勿れ」とは彼の世界的猶太大財閥ロスチァイルド家の家憲であるが、猶太人は國家的にも國際的にも此の主義を遵奉し、政治的に某黨派を援助する場合に於ても雙方を同時に支援するからして全然大敗に終るやうなことはない。戰爭に對しても同一筆法を採用して居る。從って勝者を支援して勿論利益を掌握し一方敗者を支援しても其の失敗を平和條約に於て充分償ふやうにするのが常である。蓋し過般の巴里平和會議に際し幾多の猶太人が巴里に蝟集した所以も玆にある。即ち該會議に於て各國主權者から派遣された委員中に猶太人の驚くべき多數が含有されてあるのを見て佛蘭西人は平和會議を一名コウシア會議(猶太語にて獻立の意)と呼んだ程である。當時巴里には世界的猶太人到る處に横行し會議の裏面に深く爪牙を伸ばせることは想像以上であって此の事は彼の觀察の鋭敏を以て聞ゆるイー・ジェー・デイロン博士が其の著「平和會議裏面物語」に述ぶる所に依って知ることが出來る。
「讀者中には之を奇異に感ずる者もあるだらうが是れ全く事實であって代表者の多數はアングロ・サクソン民族背後の眞勢力は實にセミチック民族なることを確信して居った」(四九六頁)
又曰く
「各代表は米國大統領の提案たる宗敎的差別問題特にその奇異なる動機に對抗した。是れ大統領が諸小國に課したる少數者保護の手段であって實に東歐諸國に散在する猶太人の歡心を求めんとする祕策であったのである。各代表者は是れ畢竟其の計画を實現せんが爲に巴里に蝟集した猶太人が立案し強要したるものであることを看取した。
斯くて世界はアングロ・サクソン民族に依り支配せらるべく、又アングロ・サクソン民族は各々其の内の猶太人種によりて左右せらるるものである、」(四九七頁)
米國ディアボーン・インデペンデント誌曰く
「異人種に對する猶太計画は所謂猶太民族主義者に依って最も成功的に實現されて居る。即ち其の主義目的は聯合側各政府を通じ、平和會議を通じ、將又國際聯盟を通じて成功しつつある。各國政府は眞に權勢絶大なる猶太王等の命令を遵奉しつつあることを自覺して居るは疑ひを入れない所である」。
既に西暦一八六二年の昔猶太人モーゼス・ヘッスは其の「羅馬とジェルサレム」の序文中に
來るべき自由の爲め歐羅巴の爭鬪に於て各國民は、其の敵又は味方として他の一國民(猶太人)を有するに至るべきことは毫も疑ふ能はざる所である。
といふて居るが之はロスチァイルド家の家憲と同樣なことを豫言したものであって、實際世界戰爭に於て同盟側の獨・墺にも聯合國側の英・佛・露にも近くはシベリア事件の過激派の中にも、之を討伐に行った米軍の中にも、即ち敵、味方雙方の籠に他の一國民の盛られてあった事は顯著なる事實であって、毫も疑ふ餘地がないのである。
猶太問題に關して最も屢々聞く疑問は世界最大の財閥は猶太人であって殊に其の一大根據地たる米國は資本主義の最たるものである。然るにブルジュアに向って戰を宣したのは猶太人マルクスであって、その共産主義を遵奉する猶太人等に依って組織せられた共産露國は世界の資本主義に敵對して居るのは甚だ可笑しいではないかと。之は一應最もな疑問ではあるが、之は先きのモーゼス・ヘッスの豫言やロスチァイルド家の家憲に想到すれば疑問は自ら氷解さるるのであるが、今實例に依って資本主義の亞米利加と之と全然反對の立場にあるプロレタリアの味方を以て標傍する猶太露國との極めて興味ある關係を述べて見よう。
抑々露國の革命は世界の猶太人の大なる後援の下に成立したものであって、インデペンデント誌の報ずる所に依れば「露國に於ける猶太人革命の主要人物は紐育から赴いたもので、現時の露國に見る猶太政府は紐育東部下町方面から來た人々によって占められて居る」といって居る。即ち紐育東部下町は昔から猶太人の巣窟である。又駐露米國公使フレンシス氏が米國上院の委員會で「革命の際に米國猶太人は非常に多く參加した………猶太人は革命開始の時一週間に八百人宛群をなして露西亞に入って來た」と報告して居る。
更に日露戰爭當時から米國の猶太系銀行家等が露國革命を準備した事實がある。その張本人は日本の外債を一手に引き受けて日露戰爭を繼續せしめ、日本に難有がられた猶太の大富豪、ヤコブ・シッフであった。シッフは終生露國倒壞の爲に盡力したと、米國でいはれて居るが、露國の猶太人虐待に對し大に恨む所があり、露帝國を敗滅する爲め日本に物質的援助を爲すと同時に、革命宣傳資金を調達して日本の捕虜收容所にある露國俘虜に對して宣傳をなし、後日に於ける過激主義の種子を蒔いたのである。斯の如く日本をして大戰を遂行せしめたものは猶太財閥であるが、米國ポーツマウスに於ける講和談判に露國より一ルウブルの償金をも取らしめなかったものも亦猶太人であった。其は若しも露國が償金を仕拂ふことゝなれば、露國猶太人は苛歛誅求に苦しめられ、國債應募の強要に遭はねばならぬ。囘收の見込なき國債を背負されて、一方徒らに日本を強めては猶太民族の目的遂行の妨げなりとして、米露兩猶太族相呼應して彼等の有する言論機關に據りて盛んに日本を攻擊し當時露國内にては幾多の擾亂勃發して今暫し日本と交戰を持續せば革命を惹起すべかりし頗る危殆に瀕せる露國をして賠償金を免がれしめたのである。
序であるから排日とシッフの關係を述べるが、シッフは此の機を利用して新興國日本に猶太財閥の勢力を扶植しやうとしたが、日本は取引は純然たる取引のみに止めた爲め、シッフの希望は遂に實現することが出來なかった。之がシッフの日本に好意を有しなくなった主因であると稱ぜられて居る。此の事實は現時特に日・米間に常に誤解を生ぜしめんとする惡宣傳の見地に照して大に理解を要する點であるとはインデペンデントの記せし所である。又大統領タフトに對し一八三二年以來存在した米露通商條約を破棄せしめたのも彼れシッフであったのである。
以上は米國猶太資本家の露國革命援助であるが、是は獨り米國許りでなく各國在住の猶太人は多大の後援をなして居る。
次の猶太銀行家同志の文書と其の日附は果して何を物語るか。
ストックホルム一九一七年九月二十一日
ラフアエル・スコーラン君へ
親愛なる戰友よ、ワーブルグ氏の銀行はライン・ウェストファリア・シンヂケート社長よりの電報に接し戰友トロッキーの事業に對し相談を開始せり、一辯護士ケストロフ氏は多分の彈藥を入手し且つ其輸送方を講じ、同時に資金の輸送方も處置し終れり………同氏には戰友トロッキーより請求の資金を手渡しせり、君の健在を祈る
ファアーステン・バーグ
尚ほ又佛國官憲の言に依れば、二百萬の金が獨り猶太富豪のみに依って革命家に寄贈せられたとのことである。勿論獨逸が過激派に資金を與へたことも事實であるが、世界各國の猶太財閥が全猶太人の投資として過激派に資金を調達したことも顯著な事實である。
之を要するに帝政露國の破壞、勞農露國の成立は、猶太資本家の後援する所であって、事實外見上全然相反する、勞農と資本の兩方の籠に、猶太人が盛られてあるのである。
從って勞農露國の倒壞は米國猶太人も英國猶太人も希望せざる所であって、日本の露國帝政派援助、西伯利出兵等が常に所謂世界の輿論(猶太人の支配する輿論)に攻擊せられ、遂に失敗に歸したことも實は當然のことで何等不思議はない。即ちデニキンが一擧露郡に迫らんとすれば之を援助して居った佛國が退却し、コルチァツクが勢力を張らんとすれば英軍が撤退し、勞農政府が方に行き詰って瀕死の境に入れば英・露の通商が開ける。何んと面白いではないか。此の事實を知らずに輿論だ輿論だと騷ぐ日本の言論界もあきれたものである。共産主義といひ、社會主義といひ現世界の破壞革命といふも要するに彼等の手段に過ぎない。彼の米國に於て「進歩」の旗印を押し樹てゝ資本家に對し挑戰し攻擊するもの悉く非猶太人系の資本家に對してのみ行はるゝのは甚だ奇とする所であるが、此のことは英國に於ても同樣で皆非猶太人の手中にある事業の鐵道及び鑛山に對し同盟罷工を以て常に脅威を加へて居る、此の過激派に依って指導さるゝ罷業は實に該事業を猶太人の手裡に收めんとするの陰謀に外ならないのである。既に昔、佛蘭西革命に於て、巴里に於ける大富豪は皆掠奪、破壞に遭ひ實に慘澹たる目に遇ったに係らず、ロスチァイルド一族百五十軒の中一軒も侵されたものがなかったとは有名な話で、要するに猶太人は其の主義其の生活の如何に拘らず一體であることを、證明するに十分であると思ふ。
四、猶太行政組織の實例
國なくして世界各國に流浪し到る處に虐げらるゝ猶太民族が、縱令自ら神の選民を以て任じて居っても、幾多の異種族より成る全世界を猶太化して之を征服し得やうか。實際彼等に世界を統一して猶太大帝國を建設する企圖があっても、各國に分散寄生する彼等小民族には、到底不可能なことではあるまいか、第一彼等相互間の連絡をどうして取るだろうか、一體如何なる組織の下に其の理想を實行しつゝあるか。斯ういふ疑問は猶太問題に關連して屢々耳にするところである。
元より彼等の世界統一の理想は、縱令全歐洲を征服し亞米利加を掌握しても、我が大日本帝國の嚴存する限り斷じて實現不可能であること勿論であるが、兎に角此等の疑問に對して、目下世界の猶太人大策源地とも目すべき米國の比較的重要な猶太理想實行機關の二、三に就て彼等の行政組織を觀察して見たならば自ら會得するところがあらうと思ふて、之を次に紹介することにした。
(一)紐育ケヒラ結社
米國には猶太人の秘密集會所、協會及び社交團體等であって其の名が一般に知られて居るものが可なりある。けれども此等は非猶太人間にある諸團體の相對物とも謂ふべきもので何等特別の注意を拂ふ程のものではない。然るに其の内部及び裏面には別に眞の中央團體ともいふべく、又内面政府とも稱すべき結社がある。其の支配は即ち法律的效力を有して居り、其の作用は猶太人目的の權威ある表現たるものである。
此等の結社中、特に隱匿の巧妙なると其の勢力の絶大なるとの兩者にかけて特記すべきものは、即ち紐育ケヒラと米國猶太委員會とである。そして其の嚴に隱匿しあることに依っても、此の結社が如何に重要なる幾多の猶太名士に依って造られ、且つ其の存在が疑惑を以て迎へらるゝことなく米國生活の幾多重要なる機微に觸れて居るかを窺ふことが出來る。今日若し紐育で投票を行ったと假定したならば、恐らく非猶太人住民の百分の一すら紐育ケヒラのことを聞いて居るかどうか疑はしい程である。けれどもケヒラは今日紐育の政治的生活中最も有力なるもので立派に存在し、且つ紐育市民の生活にも影響を及ぼして居る。但し新聞雜誌等に書かるゝ場合には常に極めて曖昧なもので、唯普通の猶太人社交團體であるといふ印象を與ふるに過ぎない。
然らば何故に紐育ケヒラは重大な結社であるかといふに、米國最大の都市内に於て、政府以外更に重ねて政府を樹立し、ケヒラ實行委員を通じて、米國猶太委員會の第十二區を組成し、以て猶太主義を遺憾なく實行するからである。換言すれば、紐育の猶太人政府ケヒラは即ち米國の猶太人政府の重要なる部分を組成して居るからである。
此の紐育ケヒラ及び米國猶太委員會の創立は十七八年前である。紐育ケヒラ設立の記録を尋ねて見ると、紐育市警察委員であったところのビンガム將軍が紐育市の罪惡の五〇%は猶太人に依って行はるゝとの宣言に對し抗議せんが爲め生れ出たものである。是より先き白奴賣買に就て政府の調査の結果、輿論は猶太人の名譽を毀損する虞があったから、猶太人の之に對する防衞運動が起ったことがあるが、政府の白奴賣買に就て探知し得た顚末を掲載した米國の有力な一雜誌は、其の第一面を掲げた後之を中止するの止むなきに至り、之と同樣猶太人に狙まれたビンガム將軍も公的生活を去るの餘儀なきに至った。是れ實に一九〇八年の出來事であって、即ち此の時にケヒラ結社が創立されたのである。而して米同猶太委負會の方は之より二年前即ち一九〇六年の創立に係り、ケヒラ設立の基礎をなして居る。ケヒラなる言葉は團體、會合又は政府の意味を有するカハル(カガール)と同樣の意義を持って居って、分散せる猶太政府を表はすものである。猶太人は奇しき運命に弄ばれ各國民間に分散したからして、彼等は玆に所謂異人種の設立する政府に關係なき、別種の機能を有する彼等自身の政府を組織したものに外ならない。今日東歐に於ては、カハルは忠實なる猶太人が、以て統治たり司法たりと見做すところの一勢力で、又護民職たるものである。巴里平和會議の結果は、波蘭及び羅馬尼にカハルを樹立せしむることゝなった。米國に於ては、カハル自身紐育市内に法廷を設置し又法律を發布し、法律的訴訟を裁決し離婚を宣するのであって、彼等猶太人はカハルの統治に滿足なることは、恰も米國民が米國統治機關の統治に滿足して居ると毫も變ることがない。
紐育に於けるケヒラは世界に於ける猶太人の結社中最大最強のものといふべきものであろう。近年世界猶太人勢力の中心は紐育市に移され、人口の如き一九〇八年約六十萬のものが今日約二百萬に增加して居る。之は猶太人に取って米國への移民はパレスタインに移民するよりも容易な爲め、露國及び波蘭の猶太人が大河の如く移住した結果である。實に猶太人に對する紐育は、カトリック敎徒の羅馬に對する如く又囘敎徒のメッカに對する如くである。猶太人の中には、猶太人は各自區々に分散して居るので到底統一することが不可能である、と陳述するものがあるが、ケヒラは之に對する好箇の反證である。何事か非猶太人に反對するを要する事件ある際に、各階級の猶太人が擧って團結して立つ事實は、米國に於て決して珍しいことではない。前章にも述べた如く、猶太人の團結の強固なことは世界幾多の民族も遠く及ぶものはない、即ち猶太人は、其の職業、階級の如何に關せず悉く猶太人として互に會合して居って、資本家と過激派、猶太僧侶と聯合會長、同盟罷工側と傭主側とを論ぜず、彼等は唯猶太なる旗幟の下に堅く團結しあるのだ。若し夫れ猶太人の保守的資本家を攻擊したならば、忽ち赤色無政府主義者が其の掩護に躍り出す。勿論彼等とて互に親密を缺き仲の惡いこともあるが、而も彼等は猶太民族以外に對しては直に一致團結、一つの猶太結合帶となって之に當るのである。此の猶太民族の有樣を見て、現在の日本人の樣子を眺めたならば果してどんな所感が起るか。此の點から見ると日本人は猶太人よりも愍むべき民族となり下りつゝあるのではあるまいか。同時に猶太人の今日ある所以も首肯さるゝではないか。
扨て話は横道に入ったが紐育ケヒラ結社は、非猶太人に對して防勢的といふよりも寧ろ攻勢的な同盟である。ケヒラ結社の大部分は甚だ過激的な性格のもので、夫の露西亞帝國を乘っ取り、且つザーに代るべき主權者を紐育の猶太部落から出したのは此のケヒラ結社であるし、又紐育市東部の猶太政府を擁立する幾十萬の過激猶太人は皆ケヒラに屬して居る。併しその過激主義なるに拘らず、其の上に首領を戴き、該首領は統治、裁判、法律、財政等に於て頗る優越なる權力を振って居ることは、奇異なる現象であると共に、玆に猶太の特色を窺ひ得るのである。實に起源を一にせる同一民族が、現在及び將來に於ける自己民族上に活氣ある信念を把持し、外形上種種の相違あるに拘らず他民族を除外して、自己民族のみが血族的、宗敎的將又物質的に、強固なる一團結を成形して居るケヒラ結社の光景は、眞に不可思議且つ偉大と稱すべきであろう。
ケヒラの行政は、紐育市を十八箇のケヒラ區に分轄し、更に各區は人口によって百箇のケヒラ部落に區分され、ケヒラ區役所は中央政府によって定められた政策及び規則を奉じて、各自のケヒラ區の行政に任じて居る。併し米國猶太委員會の方は全米國に亙って區署して居る。事實紐育の各猶太人は祕密結社、集會所、聯合、團體又は聯邦の一乃至數個に加入して居ない者はない。若し此等諸團體の表を作ったならば莫大なものとなるであろう。其の目的は極めて交錯して居って、其の手段は巧妙に構成せられ、紐育に於ける生活の各方面に亙り監視の眼と、迅速有力な強制とを免れ得ざる如くしてある。
ケヒラを組織した際表明された幾多の意嚮は、今日之を見れば大に考慮の價値あるものである。即ち當時計画を定めた座長エマヌ・エル寺院の僧侶ジュダ・エル・マグネスは述べて曰く
中堅となるべきケヒラの組織は、かの紐育猶太委員會の如く猶太人の輿論を創始すること必要なり
更に僧侶アッシァーは
米國の利益を一方とし、之に對し別に猶太人の利益存す
と述べて大喝釆を博した。
本會合に於ける出席者は、實に二百二十二箇の猶太人團體代表者を網羅した。
即ち
猶太寺院 | 七四 |
相互扶助團體 | 四二 |
敎育團體 | 一二 |
文學音學團體 | 九 |
宗敎團體 | 九 |
慈善團體 | 一八 |
集會所 | 四〇 |
自治團體 | 九 |
猶太民族主義團體 | 九 |
現在では加盟團体實に千以上に達するとのことである。
最初ケヒラの積極的計画たる「紐育市を猶太化し、之によりて米國全體を猶太化せん」とする議發表せられた時に、比較的保守派の分子は驚愕して、中には米人が直にその前途を洞察して猛烈に反對すべし、と考へた者があり、又中にはケヒラの當局者が、果して猶太人に對する充分の威力を發揮し得るや否やを疑った者もあった。然るに事實は豫期の如く成功を收めて偉大なる勢力を得、今や紐育市は全然猶太人の勢力下に屬し、大は市公會堂より小は小屋に至る迄、乃至は市の中心フィフス・アヴェニューより場末のヘスター・ストリートに至る迄、猶太人の勢力範圍ならざるなしといふ有樣である。故に若し紐育の學校、法廷又は新聞社に至って見たならば、かの「人口劣勢なる猶太小民族が、どうして他を左右し得ようか」との疑問に對する解答は直に得らるるであらう。實に彼等は、市廳内に其の地位を占め、警察、衛生局、敎育局の官衙に其の椅子を獲得し、其の他新聞、法律、財政等の方向に亙り何一つ備らざるなしといふ有樣である。
紐育ケヒラ結社を以て、單に過激な猶太分子の集合と見做し、其の勢力を蔑視することのないやうに、左に一九一八年の大會に於ける出席者の一部を列擧しやう。
一、銀行家ヤコブ・シッフ
一、カン・ロップ會社經營者、銀行家 オット・エッチ・カン
一、紐育タイムスの所有者 アドルフ・エス・オリス
一、辯護士にして米國猶太委員會長を勤め、屢々華府政廳に出入する ルイス・マーシァル
一、勞働首領 ジョセフ・パロンデス
一、レニンと會見して莫斯科より歸米したる ベンジァミン・スクレシンガー
一、露國過激派巨頭と協議して歸米したる マックス・パイン及びデーヴィッド・ピンスキイ
一、會員十七萬七千人を有する米國製服工合同の書記長 ジョセフ・スクロッスバーグ
一、公開廷裁判所判事にして猶太人及び非猶太人兩者の事件に屢々關係せる オット・エー・ロサルスキー
一々列記することは繁雜であるから此の位に止めることゝし、其の出席表を見ると、上は米國政府の戰時保險局長たりしマック判事より、小は下町の端なる最過激團體の小首領に至る悉く一樣に猶太人としてケヒラに參會したことを窺知することが出來る。尚又ケヒラが猶太當局の召集した米國猶太僧侶中央會議、改革派僧侶東方會議、ブナイ・ブリス獨立團、ブリス・ショロム獨立敎團、ブリス・アブラハム獨立敎團、米國猶太民族主義同盟等の代表即ち正敎派の猶太人、改革派の猶太人、過激主義の猶太人、猶太民族主義の猶太人、米化猶太人等富者も貧者も各種代表を網羅したることによりても、其の勢力を知るを得やう。斯の如く各種階級及び職業の者が唯人種的孤立の爲めに完全に結合した類例が他にあらうか。
紐育ケヒラは創立後今日に至る迄僅に十數年、其の間漸次勢力を增加し、今や紐育の全猶太人を含有し、猶太團體に關する言動に就ては、米國政府と雖もケヒラの前に答辯せざるべからざるに至った。世人紐育の市政はタマニー・ホールの支配する所なりと一般に信じおるも、安ぞ知らん其のタマニー・ホールを支配するものは實に此の猶太人なることを。而もケヒラは決して一局部的組織のものではなく、實に米國に於ける猶太人團隊の模範たり母體たるもので、同時に猶太政府の擁護者たるものである。而して又國内を通じて屢々行はるゝ抗議及び大會の原動力となり將又かの猶太人首領のみ其の使用法を熟知する暗黑力の兵器工廠たるものである。
(二)米國猶太委員會
一九〇六年に創立せられた米國猶太委員會は、紐育ケヒラと一般米國民との連絡者たるものである。猶太人の國家的計畫の關する限り、紐育ケヒラ結社と米國猶太委員會とは一身同体といふべく、彼等の世界計画に於ても亦然りである。
米國猶太委員會は全米國を十二區に區分して居る。此の十二區分はイスラエルの十二支族に因みがあるといふ説もあるが信じ難い。而して此の中の第十二區は紐育市を含んで居って、第十二區の委員はケヒラ結社から選出せらるゝのである。此の委員は其の富力と權力と常時猶太の爲めに盡力しつゝあるとの關係から、實に米國に於ける猶太勢力の中心と目せられ、又恐らく世界に於ける猶太人の中心たるものであろう。該委員が宗敎的、人種的、政治的及び財政的に紐育ケヒラ結社の實行委員を兼任することは大に注意すべきことである。實に紐育猶太人は猶太の國家機關の發電所で、此の國家機關とは即ち猶太委員會である。
元來此の猶太委員會にしろケヒラにしろ此種の諸團体には、公然發表せらるゝ目的と發表されない目的とを持って居る。前者は印刷物に依って容易に讀み得るが後者は永年に亙る企圖と其の實績とを辿って讀まねばならない。
猶太委員會は一九〇六年に組織されて法人となったが、其の理由とするところは次の如くである。
一、 | 世界各地に於ける猶太人の市民的又は宗敎的權利違犯を豫防する爲め |
二、 | 該權利を脅威し或は侵害し又は拘束する場合及び之に就き不利なる差別を爲す場合に於て有らゆる法律的支援を爲し且つ適切なる醫療方法を講ずる爲め |
三、 | 猶太人の爲めに經濟的、社交的及び敎育的機會の均等を確保せんが爲め |
四、 | 場所の如何を問はず迫害起りたる際は、その結果を緩和せんが爲め及び猶太人に影響を及ぼす災禍より救濟せんが爲め |
右は全然猶太人に關することのみで、何等不都合の點を見ないが、併し今猶太委員會の憲法を見ると次の如く公言して居る。
一、 | ……米國猶太委員會は國民的組織のものなるが故に、紐育市の猶太團体(ケヒラを指す)が之と結合する場合には、該團体は全國を通じての猶太政策を樹立するに當り發言權を有するものとす。 |
二、 | 米國猶太委員會は、一般猶太人に影響を與ふる凡ての國家的又は國際的問題に對し、獨斷的支配權を有することを肝銘するを要す。 |
三、 | 米國第十二區の委員二十五名はケヒラより選定せられ、ケヒラの實行委員を形成する事。 |
即ち之に依って、ケヒラと米國猶太委員會の主体は同一なことを知ることが出來る。實に紐育は米國猶太國の首府で、猶太財政の中心、政治の中心地である。而して地方に於ては、大小の都市にして苟も猶太人の一團の存在する所には必ず之を統轄する猶太人が居る。勿論其の統轄者は或は僧侶であり、商人であり又は官吏であり雜多であるが、而も常に本部と確實に連絡して居るからして、ニュー・オルレアンス市ロスアンゼルス市又はカンサスシティ市等に起った事件は、共に恐るべき迅速を以て直に本部なる紐育に知れ渡る。即ち猶太委員會の目的は猶太人の權利を保護するにあるが、内實は全米の猶太化にあるや明瞭である。
(三)ブナイ・ブリス獨立團
猶太團隊中世人一般に最も熟知されて居るものは、實にブナイ・ブリス獨立團で其の本部は猶太市たる紐育ではなく市俄古にあるが、其の濫觴はやはり紐育である。該團は一八四三年紐育のエセックス街に生れた。ブナイ・ブリスはヘブリウ語であって聖約の兄弟を意味し、其の實行委員は長老と呼ばれてゐる。同團が米國外に雄飛したのは、一八八五年伯林に第八號結社(ロッヂ)が設置されたのが初めで、之に續いて羅馬尼及び墺太利等にも大結社が設けられた。同團の文書に依れば、其の目的は愛國心を養成するにあるといふが、市俄古に本部を置いて、世界各地の愛國心を指導するのは頗る不便至難の事で要するに表面的の目的に過ぎない。
ブナイ・ブリス獨立團は、今や團員一百萬人に達せんとし、全然世界的のものである。そして其の結社數は四百二十六を算し、其の實行委員たる四巨頭は、伯林、維納、ブカレスト及びコンスタンチノープルに居住して居る。尚ほ此の結社は歐米許でなく、亞細亞及び亞弗利加にも設けられてある。一九一九―二〇年の猶太年鑑に依ればヘンリー・モーゲンソーが實行委員の一人として表はれて居る。同氏は土都駐在米國公使として知られ、後在墨亞哥大使となったが、更にウィルソン大統領から、土耳古とアルメニア間の仲介の爲め派遣せられ、又大統領の爲に、波蘭に對する調査を爲した人である。
猶太諸團體の實行委員を研究すると、同一の主要人物が各種團體を指導して居るのに驚かされる。即ち同一の姓名が繰り返し繰り返し現れて來る。此等の姓名は米國上院の速記録に、米國戰時政府に將又米國の對外政策に、苟も猶太人の干渉する各場面に常に見る所のものである。此等は凡て米國猶太委員會及び紐育ケヒラ結社の實行委員を中心としてあって、かのマックス判事、ブランデス判事、ワーブルグ一家、モーンゲンソー、ウルフ、クラウス、エルクス、ストラウス及びルイス・マーシャル等の姓名は反覆攻防の各種行動及び有らゆる重大事件に常に現れて來る。
元來此の結社は政治界に關係して來たもので、米國過去七十年間の外交史を檢すればブナイ・ブリスの活動の各所に現れて居るのを見ることが出來る。一例を擧ぐれば一八七〇年團員ベンジァミン・エフ・ピークソットは羅馬尼に於て烈しく迫害された猶太人の状態改善の特別目的の爲め、ブカレスト駐在米國領事に任命された。而して羅馬尼の所謂迫害なるものは抑々何事であるかといふに、酒類販賣と質屋營業との二つが、全然猶太人に獨占された其の二大脅威に對する同國農民の反抗に外ならなかったのである。それで此の任命はブナイ・ブリスの推薦に依るもので、其の交渉は主として團員シモン・ウルフが行った。最近獨逸人が同國の財政、工業及び政治が猶太人に支配せられて居るのを憤慨したのに對し、猶太側は其の示威として、駐獨大使に一猶太人を任命せんことをハーディング大統領に要求した。實に米國外交が猶太閥の傀儡となって來たことは年久しいことで、近頃始まったことではない。
米國は東歐諸國に於ける外交的地を猶太人を以て滿して居るが、一方英國は波斯、印度、パレスタイン等の諸政府を猶太化して、中東を全く猶太人の支配下に置いて居る。それでブナイ・ブリス獨立團が、猶太人の辯護に任じて居った時代はとうの昔に去って、今や實に世界猶太人活動の中心をなして居る。元よりブナイ・ブリスは何れの點から見ても、米國猶太委員會には及ばないが、而かも實際に於ては該委員會も、何事か其の企圖を實行しやうとする時には、常にブナイ・ブリスの手を經なければならない。實にブナイ・ブリスは非猶太人に於けるマッソン結社と同樣であって、而かも自分は他の何事にも參加するに拘らず自己の内部には決して他人を參加せしめないのである。ブナイ・ブリスの活動中他人種に關する主要なるものは誹毀反對同盟で、其各結社内の委員は常に他人種が猶太人に關して如何なる批評を爲しつゝあるかを探知し、之を中央結社に報告する。そうすると該同盟は積極的行動に出るのである。沙翁の「ヴェニスの商人」を米國に於ける各種學校の敎科書から全然削除したのも、ブナイ・ブリス獨立團大集會の力である。
猶太人は上述のやうな組織にあるからして、僅か一日の豫告を以て直に全米各都市に大集會を開催し得るのである。從って政治上に關する勢力も亦偉大であって、かの議會を強要して米露通商條約を破棄せしめ、或は學術試驗を撤廢せしめ或は移民制限計画を破る等皆此の大集會に依るもので、若し大統領にして某猶太官吏を免ぜんと企てるならば、立所に大會合は催され忽ち其の反對に會ふのである。何事に依らず世界第一を以て任ずる米國の猶太勢力は既に然り、歐羅巴諸國の状態は推して知るべきのみである。
五、世界の二大宣傳機關と猶太人
近來我が國に於ても活動寫眞の流行は非常なもので、五大都市はいふ迄もなく全國到る處の町らしい町には、活動寫眞館の一つや二つ經營されてない所はなく、日夜夥しい觀客を呼んでゐるが、蓋し其の國民に與ふる風敎上の感化力は實に偉大なものである。活動寫眞の隆盛を極めて居る米國では、靑年男女の日常受くる敎化の二分の一は、活動寫眞に依って與へらるゝとさへいはれて居る。從って我が國に於ても一々フィルムの檢査を施行し、風敎上の惡影響を及ぼさないやうに取締を嚴重にして居るが、それでも活動寫眞に誤られて幾多の少年少女が次第に惡化し、遂に恐るべき犯罪を犯かすに至る者勘なからざるは、日々の新聞報道が證明する所である。然るに此の何々舘封切りを以て盛んに人々の好奇心を煽り、競爭で客を呼ぶ舶來フィルムは、獨逸品も亞米利加品も殆んど猶太人に依って製作され宣傳されつゝあるものである。殊に日本に於て最も多く歡迎され全輸入品の九割を占むる米國の映畫は、全然猶太人の經營になるものである。
抑々劇場は民衆の趣味の指導及び精神轉換の利器として、猶太人の計畫中には久しく存在したもので、獨り議定書(プロトコール)に示してある許りでなく又實地に試みられて居るものであって、かの革命後の露國に於て當初何等施設するところなかったに拘らず劇場のみは猶太過激派の援助に依って開演された如きは、如何に猶太人が新聞と共に演劇を民心指導の機關として重要視して居るかを證するものである。此の意味から見ると、今囘の排日に對する米國フィルム不買同盟は、誠に喜ぶべき現象であるが、米國映畫の代りに獨逸品等の外國品を用ふるならば、縱令米國品の如く低級なものでなく幾分藝術的なものであっても、同じく猶太式の影響は免れ得ないと思ふ。
それは扨置き、米國の劇界は一八八五年迄は非猶太人の支配下にあったが、同年以降漸次に猶太人の手に歸した。それ以來といふものは、猶太經營者の增加に伴って舞臺上の技藝及び精神の墮落加速度を以て甚しく、劇は商品化されて風格ある作品は地を拂ひ、專ら靑春の觀客本位となり、天才的名優は排斥されて、猶太閥のシンジケートが宣揚誇張する如何はしい女優が盛んに濫造せられ、淫蕩極りなき肉感的喜劇や、滑稽劇が時を得顔の現況となった。それで餘り甚しい挑發的のものは米國の警察でも許可しない方針であるが、如何せん猶太側の勢力が大にして其の效なく、痲醉劑の販賣は禁止しあるに拘らず、肉感的な道德の毒藥は認可となるの奇現象を呈して居る。殊に劇の商品化は猶太人の演劇トラストの出現以來益々甚しく僅か十年内外で、全米國重要都市の三十七劇場を支配し、結束して獨立經營の劇場壓迫をなしたる結果、非猶太人側のものは經營難に陷り猶太トラスト側は之に乘じて買收し、之を殆んど皆活動寫眞館に變じてしまった。それが爲め米人中にはトラストを非難攻擊するものがあるが、攻擊者には猶太側の迫害が各種の方面から各樣の形式で加はり、神聖なる法廷さへ彼等に篭絡さるゝのであるから、如何ともすることが出來ないとのことである。
今より二三年前紐育市で活動寫眞館主大會があったが、出席者五百人中猶太人ならざる者は、ジェームス・エム・プリンガム博士唯一人であったとは同博士自身の談である。映畫製作工業界の有樣も亦之と同樣で、全映畫の九〇%は紐育市及びロスアンゼルス市の十大會社で製作され、其の下に幾多の小會社が屬して居るが、其の八五%は猶太人の勢力下にある。斯ういふ有樣であるから流石の米國人も、有益な映畫を映寫することが出來ないと悲嘆の聲を擧げて居る。之に反し猶太人は例の「欲するものを與へよ」の主義でどしどし風敎を亂して行く。之は獨り合衆國のみの状態でなく、加奈陀も、歐洲も亦然りである。
要するに猶太人の活動寫眞や演劇に努力するのは、高尚優雅な藝術的趣味からではなく、非猶太人の散ずる金を集め且つ劇界を猶太化するにある、即ち非猶太國崩壞の爲め道德の毒藥として使用するにある。今や彼等は之に全然成功しつつあるのだ。我が國に於ても日夜數十百萬の人々が猶太化の活動劇に數時間を消費しつゝ、豊かならざる財政より高價なる租税を彼等に支拂ひつゝあるのは誠に慨嘆の至りではないか。
次に言論機關のことであるが、プラーグの演説で猶太聖賢は「第一の力が金であれば第二の力は出版物である」と喝破した。今やその理想は實現されて全世界の言論機關の大部は彼等の勢力範圍に入れられてしまった。一例を擧ぐれば最近死んだ獨逸の猶太人スチンネスは獨りで六十數種の新聞を經營し、ウィンナの新聞界は十九世紀末既に其の八割が猶太人の手に歸してた。又現在の露國に於ける主なる新聞雜誌記者四十二名中四十一名は猶太人で占めて居る。米國に於ける諸新聞も三十年前迄は皆獨立經營して居ったが、其後着々猶太の魔手は延び、今や九十年間の久しき間言論界の權威として社會に貢獻して居った紐育ヘラルドさへ、硬骨漢社長ベネットの死と共に、一九一八年買收せられて、猶太紙たる紐育サンの一部に併合されてしまった。斯ういふ有樣であるから紐育には猶太人以外の經營する新聞といふものはなく、新聞賣捌店さへ二萬七千の中二萬五千は猶太人の店であるとは驚嘆の至りである。勿論歐米の新聞雜誌中には非猶太人の經營して居るものもあるが、尠くも猶太資金の入ってない所はないといはれて居る。從って歐米の新聞を見て米國の輿論は斯うだ、露人の叫びはあゝだなどゝ思ったら大變な誤りである。第一猶太新聞ならぬ日本の新聞でさへ其の立場々々に依って、皆勝手なことを書き立てゝ居るではないか。增して國際的老狐が計畫的に手に入れた言論界であるから其の論説等は常に眉に唾して讀むべきである。例へば今度の排日でも猶太人は一方米國政府に排日案を強要しつゝ一方新聞では日本に同情を表し、米國に對する吾人の敵愾心を起させて居るではないか。若しも日米戰爭が勃發したなら、損をするのは兩交戰國で、此の間に立って勢力を向上し且つシコタマ儲ける者は、過去の歴史の示す如く猶太人である。
之を要するに世界の二大宣傳機關即ち活動寫眞も新聞雜誌も、彼等の計畫通り既に其の左右するところとなった。然るに日本人の一部には相變らず歐米崇拜病に捕はれて、彼等の宣傳散布する毒瓦斯を好んで吸收し、やれ革命だ、自由だ、文化だと稱して新しがり、神聖なる日本帝國を汚瀆し大和民族をば、猶太人に征御せられた露西亞人や獨逸人の後を追ふて、猶太の奴隷たらしめんとして居る。彼等は須らく猶太問題を研究して猶太痲醉劑より醒め、猶太人をして今日あらしめたる、彼の民族的自覺を學ぶべきである。
六、世界財界の覇權
猶太人の世界財界に於ける勢力の偉大なることに就ては、今更述べ立てる迄もなく世界周知の事實であるが、彼等の偉大なる財的勢力を有するのは、其の境遇が然らしめたのであって、彼等が自己の國家を有せず他國に居る爲めに、其の國家に對する愛國的觀念といふものが毫もなく、專念利殖を圖る爲めであるといふのも一理である。併し猶太敎の眞髓タルムードには「非猶太人(ゴイ)の黄金は我等の所有物なり」と示し、同じくトーラは「海の富は悉く汝の方に向ひ、諸國民の金庫は爾の許に集められん」と唱へ、プラーグの演説及びプロトコールには「此の世の第一の力は金である」と敎へて居る。是から考へると猶太人に取って金なる精神は實に三千年の昔から結び着けられたるものであると思はれる。而も彼等は凡て目的の爲めには手段を選ばず、鋭意黄金第一主義を實行した結果、近世に至って遂に一大財閥を形成し、遂に歐洲に於ては十九世紀以後猶太人と相談なしには如何なる戰爭も開始し得ざるに至った。而も各國民間に於ける戰爭と平和の一上一下は悉く世界的財界に大變動を來すからして、此の機會は彼等の大に歡迎して利用する所である。
株式の變動が人爲的に左右せらるゝやうに、時として國際關係も單純な財的利害に依って左右さるゝことが屢々ある。例へば十三年前米國猶太人は、露國が米國猶太人(實は露國より米國に國籍を移せる露國猶太人)を虐待するといふ口實のもとに時の大統領タフトに迫って遂に米露通商條約を破棄せしめたが、其の結果は獨逸猶太人が露國の貿易を一手に引き受けて多大の利益を收むることになった。即ち此の條約破棄は米國人の手から猶太人の手に露國から得る利益を奪ったのである。又最近の世界大戰が世界財閥の命に依って屢々勃發を延期されたのは、今や歐米では周知の事實であって、最近一九一一年附でロスチアイルド家から獨逸皇帝に宛て、戰爭の勃發を阻止せんことを勸告した一書翰發見された如きは其の動かすべからざる證據である。之は戰爭が過早に聞かれては、その財界に影響する範圍が狹少なる爲め、財閥の利得も亦多からざるを彼等が顧慮した爲めであるといはれて居る。
又猶太財閥が戰爭と革命とに密接な關係を持って居ることは、過去現在に於て敢えて疑ふ餘地がない。昔ナポレオンに對抗した同盟は即ち猶太財閥であって其の本據を和蘭に置き、ナポレオンの和蘭占領後はマイン河畔のフランクフルトに移った、同市から如何に多くの世界的財閥が輩出したか、實に驚くべきものでロスチァイルド、シイッフ、スペイヤ等は其の代表的の者である。彼等は常に相提携して、各國政府に喰入り、益々其の大を致し、戰爭か革命のある毎に愈々富力を增加するので、歐洲では之を「鮮血の財寳」と非難して居る。此の世界大戰に於ても、如何に彼等が鮮血の財寳を殖したことであらうか。大戰後歐洲各國は皆非常な財政困難に陷入ったが、獨り猶太人は革命に依って露國の全財産を横領したのを筆頭に、各國の吐き出した金を皆吸收してしまった。殊に米國猶太人の儲けたことは説明する迄もないが、敵國であった獨逸内の猶太人さへ獨逸全財産の大部即ち七割五分餘を懷に入れてしまった。戰後に於ける獨逸の窮状は御承知の通りで、聯合國には償金を支拂はねばならず、マークの下落は又非常で、しまいにはマーク(日本の五拾錢)單位ではものゝ勘定が出來ないからレンテン・マークといふ新單位を用ふるやうになった。レンテン・マークとは驚く勿れ實に一兆マークで、此が初めて日本の五拾錢に相當するのであるからたまらない。夫であるから昨日の百萬長者は今日の一文なしである。從って物價もどんどん騰貴して生活難は極度に達し、一般獨逸人殊に中流智識階級は生きて行く方法がなく、爲に自殺するものも尠くなかった。然るに猶太人は此の間にあって莫大の富を擁して資本家となり盛んに怪腕を振ひて多大の利益を收め、獨逸人が餓死しやうとして居るのに彼等は別莊を建て自動車を走らせ、殆んど王侯のやうな榮華を恣にして居る。もっとも佛蘭西革命の時を見ても、露國革命を見ても何時も猶太人の大活動した革命後の状態は皆同樣な社會状態が演出されて居る。今でこそ舊獨逸皇帝カイゼルも獨逸を滅亡せしめたものは猶太人であると憤慨して居るが、戰爭當時は流石のカイゼルもラテュナーの如き猶太人を重用せざるを得なかった。面白いことには猶太人にさへ命すれば獨逸に缺乏した糧食や軍需品が敵國の露國邊から何時しか獨逸に這入って來るのであった。其の代り獨逸皇室が戰爭資金に提供した金銀財寳は、戰後見ると悉く皆猶太人の資産になって居ったのである。
過般「王冠を戴かざる獨逸王」として其の死を傳へられたスチンネスは日本人の多くは獨逸人と思って居るが、安ぞ知らん彼は正眞正銘の猶太人である。彼に關する新聞記事は貧乏獨逸内の猶太勢力を伺ふ好資料である。當時新聞で讀まれたでもあろうが、左に掲げて更に參考に供することにした。
事實上の執政者偉人スチンネス
◎…世界大戰は各國に幾多の偉人を生み一種の英雄政治を復活せしめた。フーゴー・スチンネスは戰後の獨逸が生んだ經濟的英雄である。
◎…スチンネスは今年五十四の働き盛り。祖父が開いた製鐵、石炭、航運の三大事業と巨萬の遺産とを相續したのみならず偉大なる祖父の資質を完全に遺傳した。彼が休むを知らざる精力と大膽な企業振りと組織的天才とは宛然祖父の再生かと疑はるゝ程で彼の所謂「垂直的聯合」主義の大傘下に經營さるゝ數多の事業は何れも破天荒なる大發展をとげてゐる。
◎…試みに彼が現在經營しつゝある事業の要目を擧ぐれば鐵と石炭を中心として航運、鐵道、木材、製紙、製藥、新聞、電氣、自動車、旅館、土木等百般に亙り、獨逸の經濟生活に對する彼の勢力の廣汎なる足一度獨逸の領土に入る者は直接間接彼の恩惠を蒙らずして一日も暮らすことは出來ないと言ふほどである。
◎…經濟的王者は社會的王者である。彼は伯林政界の蔭に隱れ歴代内閣の首相を操ってゐる事實上の執政者と稱せられて居る。嘗て社會主義新聞はウイルト内閣を崩壞せしめた「共和國の土臺石に巣くふ蛆蟲」と罵り新首相クノー氏が議會の演壇に立つと「スチンネスの代辯者」といふ小彌次が起ったものだ。
◎…スチンネスの人物に對しては「全國民を奴隷化せしめんとする惡魔」であるとか或は「獨逸を救ふ救主」だとか毀譽褒貶區々の評ではあるが、獨逸及び聯合國を惱ましてゐる賠償問題の解決には財界の王者たる彼の協力に俟つこと多大なるべきは勿論で、時節柄彼の重態説は國の内外に尠からぬ衝動を與へるであらう。
(大正十三年四月十四日東京朝日新聞所載)
最近獨逸から歸朝した人の話を聞くと「目下獨逸では日々の生活問題が即ち猶太問題である」とのことである。右の記事中「全國民を奴隷化せしめんとする惡魔」といふのは、即ち獨逸民族の猶太人に對する苦しき反抗的叫びであり、「獨逸を救ふ救主」といふのは、猶太側の得意の歡聲である事はいふまでもない。
金は獨逸にうなってゐる
―文部省在外研究員報告―
東北帝大助敎授理學士 田中壽一
感想と經驗の一二(獨逸最近の大勢)
獨逸の國状に就ては已に七八月頃(昨年)に物價下落せず、必ず騰貴を來すべきことを詳説し且マークの下落は獨逸の故意に出づるもので商工業家の莫大なる利益を收めつゝあるを説きました、彼の鑛山王スチンネス氏の如きは米國ロックフェーラー氏等を凌いで實に世界第一の富豪であると稱せられて居り、伊國の一小島に於ては正に帝國の如き權威を有し、地中海諸島に獨逸船舶を見ること戰前にもなき盛況である、それは彼等商工業者は決して紙幣マークで取引をやったのではない、日本人がレンズ、ピアノ、電氣機械器具、機械類等何を取引するにも決して戰前よりも安くなき金貨マーク即ち外國貨幣で商ったのである、而して工賃は紙幣マークの下落の差を利用して非常に安くなるのである、特に國家大商業、工業家(特にスチンネス其他ラインラント地方の工業家及各聯邦ザクセン、バイエルン等の如き)各都市は其ノートゲルト(應急紙幣)を發行し、多く發行したもの丈け多くの利益を得て居る例へばスチンネスが此紙幣を本日一千萬磅發行するとせよ十月十一月頃の如く毎日マークが二分の一に下ったとすると十日の後には即ち千分の一の價、換言すれば彼は十日以後には唯一萬磅を支拂へば可であり、一箇月もすると零の價になり彼は支拂はずして一千萬磅儲かった事になる、獨逸政府も日々發行した何千萬又は何億と云ふ金を今日では一文も支拂はんでもよいのであるまいか、かゝる理由で獨逸には金がウナツテ居る、見よ伯林市外に散策しダーレム其他到る所空前の盛況で相連續して別莊の建てられて居る事を!、何を考へたのでせう。
田中氏は猶太人のことには言及せず單に獨逸には金がウナツて居るといふて居るが、此のウナル程の金は獨逸人のものではなく、猶太人のものであり、又別莊は建てられ到る處空前の盛況を呈して居るのは、獨逸征服者の猶太人であること勿論である。
獨逸の怪雄逝く
スチンネスの死は、惜しきことであった。彼は戰敗獨逸の大立者であったと同時に、新興獨逸の大立者であった。世界で有名の者は、彼一人でない。されど例せばクレマンソーの如きは、過去の人物として高名だ。然もスチンネスは、現在及び未來の人物として、多くの期待を屬せられてゐた。彼は僅かに正午を降りたる、當世男であった。
スチンネスの年齢は、五十四歳だ。日本の如き老人が威張る國の目安からすれば尚ほ壯年期だ。彼は今日に於て、獨逸と云はず、中歐に於て、事業界、企業界の巨頭であった。彼の手は造船、及び航海から鑛業に、製鐵から製紙に、電氣、機械各般の工業から、商事、金融に、而して其の最も著明なるは、新聞事業に伸びた。彼は六十幾種の新聞の持主であった。彼は宛も千手觀音であり、而して多々倍々辨じてゐた。
彼の富は幾許ある乎、何人も精確に知り難い。彼は獨逸が損失したる際に、却て其の富を增殖した。世界大戰は、獨逸を亡國たらしめたと與に、彼を一大成金たらしめた。而して馬克の下落は、毫も彼に當惑を來たさなかった。何となれば彼の預金は、獨逸以外に在ったからだ。而して國内に於ける通貨の變動は、寧ろ彼をして其の鬼沒神出の技倆を、逞うせしめた。
彼は獨逸人の特長なる、徹底的と共に、非常なる組織力を有した。彼の凡百の事業に手を著けて、恒に遊刄餘りあるもの、畢竟此に由る。而して今後彼の手は、何なる方面に向て、揮はる可かりし乎。そは揣摩の限りでない。然も獨逸にして再興す可くんば、之を經營する、唯一と云はざるも、其の第一人は彼にあらねばならぬ。然も今や彼亡し、是れ實に嘆ず可きのみ、前には哲學的政治家ラテュナーを喪ひ今亦た彼を亡ふ。獨逸の現状は、莫に泣面に蜂である。それと同時に、彼の如き怪物の死は、世界をして聊か寂寞を感ぜしむ。
(大正十三年四月十三日 國民新聞所載)
右の記事に「彼は獨逸人の特長たる徹底的と共に非常なる組織力を有した。……前には哲學的政治家ラテュナーを喪ひ、今亦た彼を亡ふ云々」とありラテュナーもスチンネスも獨逸人として取扱はれて居るが、遺憾ながら此の二人とも猶太人であることは、前に述べた通りである。勿論單に國籍上からのみ論ずれば獨逸人なることに間違はないが「英國人が英人たる以上猶太人は猶太國民なり」とは彼等自らの主張である。而も玆では其の性格を論じて居るのであるから獨逸人と猶太人をごっちゃにする譯には行かない。其は米國に移住した日本人を米國アングロサクソンと一緒に其の性格を論ずると同じことになる。それは扨て置き以上の記事は世界に於ける猶太人の活動をスチンネスに依って現はした最良の縮圖であると思ふ。
猶太人は元來農業を全然好まない民族である。從って農業は彼等の最も不得手とするところであるが、併し他民族の耕作して取り上げた穀物に對しては巧妙な投機をやって、その利益を獲得する。凡て彼等の商賣を觀察して見ると多くは財界と密接な關係あるものを撰んで居る。それで彼等が一且手を下すと忽ち其の天才を發輝して非猶太人を驅逐し、全然之を掌中に收めてしまふのである。猶太百科全書を見ると
「猶太人は寳石又は金屬に關するものゝ外普通の事業を喜ばない。例へばロスチァイルドは水銀を支配し、バーナド兄弟及びワーナー會社並にベイト會社は金剛石を支配し、レウィンソン兄弟商會及びグッジェンハイム・サンス商會は銅を支配し一部は銀を支配するが如きである」
といって居るが、今や無線電信、劇場、世界の出版界を其の手に收めた。勿論金融界の勢力の偉大さはいふ迄もない。猶太銀行家達は倫敦、巴里、紐育、フランクフルト、ハンブルグ、ドレスデン等到る處に根據地を持って居って、而も密接に相互結合し全然同一體を爲して偉力を發輝して居る。公債に就てはプロトコールの終りの方に國家の蛭として猶太政策上緊要な議定となって居るが猶太百科全書には
「猶太資本家の確實に支配するものは外國公債であって、是は猶太諸會社及び銀行が世界的の關係脈絡ある爲である」
とある。日本は日露戰爭の時米國の猶太銀行家から外債に應じて貰ったが、此の震災の爲の五億の公債も、其の行先を調べ、圓の下落の根源を探ったら隨分面白かろうと思ふ。
世界金融の中心地はいふ迄もなく倫敦であって、世界の金の相場は此處で定まるのであるが、戰後英國の不況から一時中心が紐育に移動し間もなく倫敦に復歸した。勿論其の株式取引所の實權は、倫敦が猶太財閥の巨頭ロスチァイルド男の本據であるだけに、猶太勢力の左右するところであるが、之と伯仲の間にある、紐育の取引所はどうであらうか。元來猶太人は紐育に於て劇場、活動寫眞、言論機關、デパートメントストーアの全部は勿論、毛皮商、出來合服商、綿花商、洗濯業其他一般日常の商品に至る迄猶太人の專賣に屬して居るといっても過言でない。併し株式取引所の方は猶(なほ)米人と競爭の最中であるが、之とても時日の問題で今日既に漸進的に牢固として拔くべからざる大勢力を形造るを得た。元來紐育取引所は組合の規定に依って猶太人を組合員とすることを絶對に拒絶して居ったが、堅忍執拗なる彼等は百方喰込み策を講じて、遂に其の目的を達し年々蠶食しつゝある。其の状況は次の表の通りである。
一八七二年 | …… | 總員 一〇〇九名中 | ……… | 六〇人 | |
一八七三年 | | 總員 一〇〇六名中 | | 四九人 |
一八九〇年 | | 總員 一一〇〇名中 | | 八七人 |
一八九三年 | | 總員 一一〇〇名中 | | 一〇六人 |
一九一九年 | | 總員 一一〇〇名中 | | 二七六人 |
右の數字は實際に於ては更に大である。なぜならば猶太人中には非猶太的姓名を借りて居る者及び耶蘇敎に改宗して、表向猶太關係と絶縁して居るものが尠からずあるからである。從って猶太人が紐育取引所を全く支配するに至るのも、要するに時の問題に過ぎないのである。
然し曩年に於ける獨逸のマークの大暴落は、紐育が其の震源地であったといふ。此のマークの暴落で如何に獨逸人が生活難のドン底に落ちたか、相場の發表ある毎に獨逸人は落膽の餘り狂人となり、到る處暴動が起り其の度毎に猶太人の家が襲はれた。蓋しマークが變動すればする程儲けたのは獨逸猶太人で、彼等は常に紐育や倫敦の仲間と連絡を保持して居ったのである。
猶太財界の勢力を之れ以上説明する必要はあるまい。吾々甘黨の日常用ふるジァワの砂糖の注文は、ジァワでなく倫敦の取引所に發せらるゝのだ。之で猶太人の直接間接我が日本に及ぼす彼等勢力の威大さ加減もほぼ察せらるゝではないか。大戰後彼等の儲けた金が二千億と謂ひ、世界黄金の二分の一は彼等の手に歸したといふ。蓋しシオンの議定書の示す如く、世界財界の覇權は今や全く猶太人の手に握られたのである。
七、英國に於ける猶太財閥活躍の一例
世界の通信網殊に無線電信が猶太人の掌中にあるはインターナショナル、ジウに明記しある所なるが、今左に巴里ヴィエイユ、フランス誌の報ずる所を抄譯せん
ロイドジョージの關係した例の『マルコニー』事件があって未だ年數を經ないのに既に忘れられんとしてゐる。抑も無線電信は發明の當時其の權利は亞米利加の一會社の手にあった。烱眼なる英國猶太人ゴットフレー・アイサックは其の權利を獲得するの認可を受けて急據米國に渡り、一萬四千磅を以て買收し、歸來一躍百四十萬磅資本金のマルコニー無線電信會社を設立した。ゴツトフレーには二人の兄弟があった。一人はビランクスゲートの果物商人なるハリーで、他の一人は閣員なるルフアスである。勿論此の二人を組合員にし、而してルフアスは大株主となったが、内閣員が一私設會社の專賣權を利用して私服を肥すことの知れるを恐れた。彼は同僚なる大藏大臣ロイドジヨーヂを抱込んで千株を持たしめた。そうして議會及び輿論の攻擊を避くる爲に英海軍根據地へ通ずる無電使用權を政府に貢獻した。斯くして英國海軍は無線電信網を以て海洋を覆ひ、又戰略地點は全地球を包容し得るに至った。
後ちロイドジヨーヂの内閣成るや、ルフアス・アイザツクをレヂング卿となして印度總督に任じた。千株の拂込金立替==印度太守==とは頗る巧妙なものである。
八、伊藤公の狙擊は革命派の使嗾に因る
公は帝政露國崩潰の第一犧牲者なり
談者は舊露國官吏にして大藏大臣ココフツォフ氏等と共に哈爾賓まで伊藤公爵を出迎せし人、後ち革命の爲佛蘭西に亡命して餘生を送りつゝあり二十年前を追囘して悔恨の涙に語れるもの左の如し
一九〇九年の秋、國内稍小康を得たるを以て伊藤公爵を迎ふることは此の機を逸してはならぬとて、各方面より手を盡しての懇請が功を奏し愈々十一月大連より特別臨時汽車にて露都に向はるゝことゝなった。
公爵を歡迎する露西亞國民の心事は想像以上で恰かも王者に對する如くであった。是れ大なる期待と尊敬とを以てせるが故で、公爵を殿下と申さずばなるまい、閣下と呼んでは不敬であらうと躊躇した位であった。
公爵乘用の車は善美を盡した貴賓車であった。着驛が早過ぎては國賓の御迷惑と慮って列車を除行せしめ、公爵の夢を乘せて哈爾賓に到着したのは十一月十三日午前九時三十分であった(十三日は露暦日にして陽暦日とは十三日相違あり我が明治四十二年十一月二十六日也)是より先、プラットホームには歡迎者が、北側より露西亞音樂隊次が淸國儀仗兵、露國儀仗兵、次が外交團、哈爾賓市代表者、東淸鐵道副總裁ウェンツェル氏、同長官ホルワット少將、護彊軍團長チヤァコーフ中將、鐵道旅團長フォンデルロップ少將、東淸民政官アファナーシエフ少將、ヒルコフ公爵及支那施道臺日本居留民團體で、此の中に公爵の狙擊者安重根が紛れ込んでゐたのである。
抑も露西亞官憲は公爵の萬全を期せんが爲めに日本人と雖も勝手にプラットホームに出入せしめず、前以て身許鮮明の人々にのみ切符を交附し置かんことを望み其の趣を提言したが、川上總領事は、左程までするには及ぶまいとて、少人數しかなき日本居留民が日本の公爵を迎へるのに露西亞の切符にて制限さるゝも面白からず思はれしものか日本居留民に限り入場勝手たらしめたのである。川上總領事の立塲から見れば一應尤もの話で、よもや朝鮮人が洋裝して日本人の中に紛込むとは思はなかったであらう。吾々露西亞國にては警戒を嚴重にするのが常であって萬一警戒の緩みし時凶變の生ずるは必然であるのである。併し國情も違ひ居ることなれば強いて主張せず川上總領事の意を用ひたのは千慮の一失であった。
特別列車は哈爾賓驛に停車して、暫し其の儘公爵は車中にて、敬意を表し旁日程の打合せに來たれる我が大藏大臣ココフツォフ氏と川上哈爾賓總領事の通譯にて會談し、要談を了へて車外に出で、黑の山高帽を戴き黑の外套を着し、ステッキを携へて、列車最尾の貴賓車より露淸兩國の儀仗兵の整列せる前に降り、之より歡迎員の敬禮を南の端より順次に受けんとて列車に沿ひ南方に歩を移し始めた。是れ公爵が一歩一歩眼前の死に近づきつゝあるのである。斯くて公爵は日本居留民の前に差蒐り更に歩をプラツトホームの中央に轉じて外交團の前を通過する時、爆竹の如き音は前列なる露國儀杖兵が捧銃の敬禮を行ひつゝある肘下より起った。是れ公爵を狙擊せる拳銃の音であった。七發の音の内過半は命中せるものゝ如く公爵は仰向けに倒れんとせらるゝを左右の從者が支へて急ぎ元の貴賓車内に抱き入れたが程なく薨ぜられた。此の日は實に我が露西亞國を亡ぼすべく確定された第一日であった。
一九〇五年の革命擾亂以來引續國内不穩にして、危きこと累卵の如かりしが、遂に一九〇九年伊藤公爵を迎へ治國の要諦を知り又進んで日露協商をも爲さんと頗る期待された。故に露西亞官民は救世主の如く渇仰してゐたが、猶太系マッソン團員等は公爵がサンクト・ペテルブルクに來られては瀕死の露西亞が甦るとて、天主敎徒たりし朝鮮人安重根をして公爵を狙擊せしめたのである。此の朝鮮人を用ひたことが猶太人の最も得意とする巧妙な手段であって、亡國の恨を持って凶行したと世人に思はしめたものである。安重根の用ひた拳銃は自働十二連發の西歐に於いても最新式の物で、中ってから彈丸が自爆すると云ふ恐ろしき凶器であった。到底朝鮮邊りの人間の手にあるべきものではないのである。
公爵の甍去は貴國日本の大なる損失には違ひないが、露西亞に取っては實に致命的一大事であった。予と怩懇なりしマッソン社員は予の熟知せる以外の事實を語りて得々たりしが、彼は更に語を轉じて今後世に處せんにはマッソン結社員ならねば家族を安穩に生活せしむる能ずとて予に入社を勸め、明日を約して別れたるが、愈々革命勃發して再會の暇なく其の翌朝遂に露都を脱出し困苦辛酸漸く此處に亡命して餘命を保ちつつあるが、二十年後の今日當時を囘想し實に斷腸の思ひありと涕涙と共に語った。
編者曰、古來幾多の社稷を覆へせし朝鮮には傳統的に貴族大官の暗殺企てられ之を畢生の業とせる者さへあり、又暗殺遂行者を偉なりとして死後之を祀る奇異なる信仰者尠からず。此處に附込みて使嗾せしものならんか。
支那に於ける資本侵略と排日煽動、今後益々繁からんとす
支那鐵道に五億ドルの募債に應ぜんとする米國
支那鐵道復舊改造の爲め南京政府顧問に聘せられた米國エリー鐵道會社前副社長マンテル氏は技師六名を帶同一ヶ月内に支那に赴き上海に本部を置いて仕事に取りかゝる豫定で米國大統領フーヴア、國務長官スチムソン、支那公使伍朝樞の三氏と五日に會見協議した。南京政府は鐵道改造のため差當り一億ドル次いで數回にわたり合計五億ドルの借欵を米國市場で起すはずだがクーンロエプ商會は率先右の募債の爲め一肌を脱ぐとの情報あった。(昭和四年四月)
排日家を國民政府顧問に任用
米國の典型的排日記者として一流の毒筆を以て常に我が對支政策に大なる阻害を與へ來ったニューヨークヘラルド・トリビユン上海特派員トーマス・ミラード氏を支那政府は顧問に任用した。ミラード氏の排日活動は排日雜誌チャイナ・ウイークリー・レビユーの前身ミラード評論の主筆時代より現在まで繼續され就中平和會議には支那代表隨員として顧維釣、王正廷の二氏を助けて我が牧野全權等を惱まし又華府會議には支那側顧問となり山東問題其他で暗中飛躍した外、米國に於ける支那問題の權威として上院外交委員會に出入し所謂山東條項の内容を素っ破拔き遂に米國をしてべルサイユ條約全文の批准を拒否せしめたなどは彼れの排日活動の尤なるものである。
結論
今や猶太人が全世界を舞臺として、其の大陰謀を逞うして居ることは顯然たる事實である。而も其の世界政策の虎の卷シオンの議定書(プロトコール)は彼等強辯の如き、帝政派の宣傳でもなければ、荒唐無稽の説でもない。從って猶太陰謀を説き、猶太勢力を述ぶることは、空中樓閣を描いて愚民を惑はすものでもない。世界の眞相を知らないで彼等の宣傳に醉ひ、小にして自己を過り、大にしては國家を危難に陷入るゝことなからしめんが爲である。
既に猶太人は近年急に其の勢力を激增して、歐羅巴諸國を自家藥籠中のものとなし、更に凱歌を奏して米大陸に殺倒し、此處にも亦拔くべからざる大勢力を植え付けた。此に於て米國アングロサクソンは遲れ走せながら漸く自覺して對猶太大結束をなし、猶太勢力の膨脹を必死で阻止し始めた。かの米國に於ける禁酒法案の通過の如きは、米人が衛生上酒精の中毒を恐れた爲めではなく、實に米人が猶太勢力に下した大鐵鎚で、事の起りは猶太人が全米國に於ける酒類の販賣を獨占したにある。然し米國猶太人の勢力は最早禁酒法案位でひるむものではない。其の牢固たる威力は本論で述べた如く、凡て世界第一を以て自任するアングロサクソンと對抗して充分である。蓋し此の勝敗は今日迄築き上げた猶太勢力の消長の分岐点であろう。
次に我が帝國の情况を歐米に比較して見ると、猶太人に對して非常に趣を異にして居る。即ち人種が統一されてあって、今日迄一人の猶太人も未だ日本の代議士たり、大臣たりし者はない。之が猶太人に對する我が國の大なる強味である。併し我が國民は、二千年來國際的訓練を經た猶太人と異って、一般に國際的訓練は頗る幼稚である。それも其の筈で鎖國状態から世界の舞臺に乘り出して、僅に六十年にしかならぬから止むを得ない。それであるから我が國民はいくら戰爭には強くとも國際問題では何時も成功した例がない。又第一外國の物質的文明に眩惑されて、外人崇拜病に掛って居る人間が尠からずある。隨って獨り猶太人の宣傳許りでなく、外國人の宣傳には、極めて乘り易い性質を持って居る。それであるから縱令獨逸や米國の如くに國の内部に猶太人が居らなくとも、彼等の口に乘って其の走狗となり、家を忘れ國を賣って飛び廻はる人間が續出しつゝある實に慨嘆すべき状態である。尤も英國人だと自稱すれば、それが假令露人であろうが猶太人であろうが、官憲初め英人として取扱ふ無頓着さ加減であるから止むを得ないが、今後はそれでは駄目である。宜しく國民は世界の眞相を知ると共に猶太民族にも增して團結を強固にし、自ら自重し、それこそ我が神國としての價値を、世界萬民の幸福の爲に發輝すべきである。
夫で私が猶太問題を説くのは、徒らに基督敎國式の排猶太主義を矢鱈に鼓吹せんとするものではない。世界には英・米・獨・佛・露・伊・等の強國が存在するが、此の外に一國をなさない猶太なる一國民があって、此等の國々に散在居住し、その勢力は所在の國民を凌駕し其の國家を繰縱し、而も猶太國民たる自覺を以て相互相聯絡して世界を左右し、今や彼等は大理想の彼岸に到達せんとして勝者の勇を振って奮鬪しつゝある、といふことを一般に知らしめんが爲めである。換言すれば特に歐米列強は相反する二箇國民の合成体即ち二重の國家をなして居るといふのである。即ち今の獨逸共和國は獨逸人の獨逸であると共に彼等の仇敵たる獨逸猶太人の獨逸である。又米國なる一國には、表向きの米國政府と内面的猶太米國政府があることを知らねばならぬ。從って外交、政治、經濟等の國際的問題は、此の二つの觀察のもとにやって行かねばならない。例へば今の露國は世界の猶太人殊に米國猶太人が資本を卸した所である。外の目的ならいざ知らず若し米國と戰爭が起ったなら露國と提携して、などゝ極めて單純な考から、日露の接近をしやうといふ爲政者があったなら、それこそ滑稽が過ぎて泣きたくなる。又今囘我が大和民族に忘るべからざる人種的侮辱を加へた米國の排日運動には、勿論色々の米國人が參加して居るであろうが、排日の巨頭ボラーやジョンソンは猶太人であるところから考へると、或は今度の排日には猶太人が、或る遠大な計畫の下に實行を敢へてさせたのではないかとも思はれる。若しさうとしたならば我が活動寫眞界の米國フィルム不買同盟は、偶然にも排日問題に對する復讎に當って居るといはざるを得ない。なぜならば前に述べた通り、米國の活動寫眞界は凡て猶太人の手にあるからである。其の代り一般米國人は、猶太人の活動寫眞トラストに對して恨を懷いて居るから、日本の不買同盟には兩手を擧げて賛成し感謝の意を表したことであろう。
列強の眞相は斯ういふ有樣であるから、若し英米に對して國防の必要があるならば、猶太政策即ち平和手段の征服に對しても亦之に相應する國防の必要であること勿論である。即ち列強の軍備や政策を常に研究して之に對策を講ずる如く、對猶太策を講ぜねばならぬ。然るに我が國は此の金權や、共産無政府主義者の恐るべき武器を有する偉大なる世界的大潜勢力の猶太民族に對しては、目の當り其の活躍を見ない爲か甚だ無關心である。尤も其の活躍振を直接見たのはヨッフェ位のもので、之さへ露人と思って居る人が多い位で、中には猶太毒酒に醉って新しがって居る人間が尠からずあるのであるから誠に寒心の至りである。此の猶太人に無頓着でありその宣傳に乘る原因は、歐米の出版界の大部が彼等の支配下にある爲め、その新聞や雜誌に依って外國の事情を見て居る日本人には、其の眞相を窺知するを得ないからである。近頃猶太問題が世界に喧ましくなってから、猶太人自身の書いた猶太問題の本を屢々見受けるが、世界一の狡猾な猶太人が自己に不利な猶太の眞相を發表することはあり得やう筈がないではないか。此頃日本にも猶太著者の書いた本を讀んで、彼等の爲に賴まれもしない辯護の勞を取って居る妙な學者がある。從って猶太の眞相は非猶太人のものでなければ捕へることが出來ない。勿論非猶太人の著書で宗敎的反感が伴って、憎惡の餘り猶太人を罵詈讒謗して居るのもある。吾々は之を似ねる必要は毫もない。併し猶太の研究の爲には、大に其の著者の人種に注意すべきである。尚ほ猶太問題の研究に關聯して注意すべきは、猶太人殘らず陰謀に參與し、又何時も其の考を以て仕事をして居る者許りではないことである。從って今猶太隱謀計画を知ったからとて、猶太人とさへ見れば、一から十まで蛇蝎の如くに、之を憎惡敵視すべきではないと思ふ。それは丁度排日の亞米利加にも親日米人あると同樣猶太人の中にも猶太の世界政策に無關係な幾多の淳朴善良な人々があるからである。增して其の手段こそ異なれ、他民族より優越なものにならうと思ふ觀念は、單り猶太人許りでなく各民族共通であるからである。
之を要するに國際關係は日と共に複雜となり、愈々變轉極りない。昨日の同盟者は今日の敵であり、今日の敵は明日の友邦である。增して其の巧妙深遠なる世界政策と大潛勢力とを以て列強を繰つり、時に全世界に波及する大海嘯の原因となり、又世界暴風の管理者となり、將又同時に敵ともなり味方ともなる不可思議な勢力は猶太民族である。故に我が國民一般が猶太人を知ることの緊要なるは、日本人が米國を知り支那を知るの必要なると毫も變りなく、又之に對する覺悟と方策とがなければならない。又實に歐米各國の眞相は猶太問題を閑却しては全く骨拔き同然である。私は此の意味に於て、近來相當に有益な猶太研究書が出でつゝあるが、時局に鑑み薦めらるゝ儘に研究の一部を發表することにした。多少たりとも我が同胞の參考となり、幾分なりと我が帝國の前途に貢獻するところあらば幸甚である。
をはり
大正十三年十二月十七日印刷
大正十三年十二月二十日發行
昭和四年五月八日改訂十三版
世界革命之裏面奥附
定價金參圓
著作者 包荒子
編輯兼發行者 石倉千次
東京市牛込區拂方町 三十五番地
印刷者 鈴木芳太郎
東京市四谷區麴町十二丁目七番地
發行所
東京市牛込區拂方町奧元帥邸横通
二酉社内 二酉名著刊行會
二酉社の振替口座東京四七一〇番
玄眞社印行
(以下、巻末広告)
ウオルター・バヂオット氏著 梶 哲次氏譯 版權所有
『金融市場の具體的研究』
本著を金融市場などと名付けないでロムバード・ストリートと名付けたのは此書に於て私が抽象的な理論ではなく具體的な事實をを論する積りであることを書名で示したいからである。と原著者が謂って居る。又ロンドン・エコノミスト前主筆エツチ・ウイザース氏は『英國の信用制度は英國の政治制度と同じく一の活物である』過去から未來へと發展しつゝある、斯の如く過去、現在及び未來は一の連續せる過程であって何人と雖も其の過去を知らずして其の現在を理解し得る者は無い況んや未來をやである。バヂオツト氏の『金融市場の具體的研究』は氏の天才は炬火を以て我等が經て來た道程を照らして我等を助け、我等が現在如何なる段階にあるか又何處へ行きつゝあるかを我等に知らしめて呉れると謂って居る。本書はエコノミスト記者ライト氏の註及其の他附録をも餘す所なく記載した最近版の全譯書である本書の特色は初學者にも解る平易さを以て專門家の興味に値する内容を盛った所にある。
東京市牛込區拂方町二酉社内
二酉名著刊行會
二酉社の振替 東京四七一〇番
英國劍橋大學敎授 ケインズ氏原著 梶 哲次氏譯述
上製 定價金壹圓 四六判 送料八錢
『金解禁と國民經濟』
曩に英國經濟界は金解禁斷行以來深刻なる不景氣に襲はれ其の翌年遂に炭坑爭議を動機とする總同盟罷業の不祥事をさへ惹起するに至った。此の財界不況の主因は一に國内經濟の關係を無視して人爲的に爲替相場を吊上げて金の輸出を解禁したるに在りと言はれてゐる。今や我國に於て金解禁即行論が漸次其の主張高めつゝあるが其の立論の根據は單純なる體面論か常識的經濟論のみにして、金解禁が國民經濟へ齎らす影響の重大なるに氣附ざるが如くである。此に於てチャーチル藏相の金解禁政策に反對して堂々の陣を張ったケインズ敎授の實證的論述は眞に他山の石として我が財界商工界の人士の繙讀を要す。
高橋是淸閣下の書翰の一節に曰く最も有益なる參考資料として閲讀仕候蓋し此書の現代に稗益する處大なるを疑ひ不申候
東京市牛込區拂方町二酉社内
二酉名著刊行會
二酉社の振替 東京四七一〇番
林茂淳先生著
上製金壹圓八拾錢 官衙學校の註文殺到
送料拾四錢 市内送料不要
『度量衡講話』
四六判 約二百頁
物の長短高低厚薄大小多少輕重等を計量するに標準とすべきものは『ものさし』と『ます』と『はかり』で此の三つのものは貨幣と相並び經濟上必要缺くことの出來ないもので國民の日常生活の上に關係の無いものはありませぬ。『度量衡講話』は我國の『ものさし』『ます』『はかり』の既往現在將來に亙り、平易簡明に講述したもので、併せて便利なる新度量衡即ちメートル法の、成るべく速に實行されたいと云ふ希望を齎らして、世に現はれたものであります。先般、度量衡改正法律が發布され、本年七月一日から實施されることゝなり、換算表類の二三の書籍も出でましたが、斯る書籍は未だ一つも發行になりませぬ。昔の人が指を伸べて寸を知り、手を伸して尺を知ってから、今日メートル法の實行に至るまでの興味に富んだ物語は此書を措いて他にありませぬ。改正度量衡法の全文も掲載してあります。農商務省工務局發表の『度量衡法令改正事項の要旨』も、メートル換算表も附載してあります。速に御講讀を御勸め致します。
發行所
東京市牛込拂方町奧元帥邸横通
振替東京四七一〇番 電話牛込三一六四番
二酉社(ニイウシヤ)
前東京株式株式取引所理事
東京帝國大學經濟學部講師
河合良成先生著
『取引所講話』
上製菊版約四百頁
特價金參圓五十錢
送料十八錢
本書は河合先生が學理と實際との中間に立ち、經濟法律の兩方面より取引所を解説せられたるものに係る。先生は農商務省在官時代より取引所を專攻し、一昨年歐米市場を踏査して歸來激務の傍ら本書を編述せらる。其の取引所論中に於ける一權威たるは勿論、廣く金融業者、商工業者、經濟學者、裁判官、辯護士、學生等の好箇の參考書たり、眞に取引所を理解せんと欲するの士は一讀を怠るべからず。
好評十六版
東京市牛込區拂方町
振替東京四七一〇番
二酉社 電話牛込三一六四番
大學寮、東洋協會大學敎授
宇都宮高等農林學校講師
滿川龜太郎氏著
賜天覽台覽
『黑人問題』
〔問題〕
現帝室内大臣牧野伸顯伯の肖像がリンカーンのそれと共に黒人家庭は併掲せらるゝ理由は何か
『黑人問題』は此の疑問に答へて遺憾なきを得べし。黑人問題は今や單なる米國奴隷の問題に非ず。實に人類史上に一新生面を拓き來らんとする世界的問題也。同時に虐げられたる有色民族解放の大使命は我日本國民の肩上に懸れる國家的問題也。日本帝國が將來太平洋を中心とする第二世界大戰の渦中に立つことあるべき塲合、一億五千萬を算する黑人の向背は、國家の運命に偉大なる影響無しといふ能はず。全日本愛國正義の戰士よ。地球上の距離刻々に短縮せられつゝある今日、黑人問題こそ最も眞劒に考慮し研究して有事の日に備ふべき問題ならずや。著者は『奪はれたる亞細亞』『東西人種鬪爭史觀』等の著述を以て聞ゆるの士なりと雖も、單なる學究に非ずして世界的眼光を有する民族解放運動の一使徒たりされば邦文最初の『黑人問題』全篇十四章六十五節一貫せる志氣頗る旺盛而も精彩敢て具眼の士に薦む。
四六判三百卅餘頁、上製クロース表紙
意匠淸新、附圖及寫眞數葉、箱入美裝
特價金貳圓 送料金拾八錢
發行所 東京市牛込區拂方町奧元帥邸横通
二酉社内 二酉名著刊行會
電話牛込三一六四番
振替東京四七一〇番
今關天彭先生著 人文の淵源此にあり
支那『人文講話』
上製四六判三百七十頁
定價貳圓參拾錢
特價金貳圓
送料十二錢
内容目次
●文字の話●書籍の話●經學の變遷●文學の變遷●書道に就て●宋以前の繪畫●宋以後の繪畫●小説戯曲一斑●道敎の話●三代の金石●山東の壽石●支那最近の思想●淸朝小説(五種)
讀画書院發行
東京市牛込區拂方町
電話牛込三一六四番
二酉社發賣
振替口座四七一〇
賜天覽台覽 杉浦俊香先生著
『畫界の維新』
洋裝幀上製四六版
定價壹圓五拾錢
送料八錢
内容目次
●美を閑却せる世界改造は空想のみ●至上美の本義を明かにす●墮落せる我が畫界●佛國畫界の推移を顧みよ●佛國に於ける十九世紀以後の畫風●迷宮に入れる我が畫界●學校の敎は美術を衰滅す●公設展覽會の多くは國民性を破壞す●畫品の劣惡を嘆じて寸評を試む●美術政策の謬は國家に及ぶ●美術界の腐敗は速治を要す●評畫(十四頁入)
澁澤子爵曰、何人も此の哲理的修養あるを要す
三叉竹越先生著 『惜春雜話』
洋裝幀天金四六版
定價金貳圓
送料金拾錢
●靑春惜しむべし ●人生は美術なり ●凡ての人は失樂園を有す ●戀か家庭か功名か ●政治的功名心 ●友情は戀愛よりも重し ●英雄時代 ●自ら道路を發見せよ ●政治と黄金 ●我が敵は天の星我が友は地の砂子 ●道德臭からざる道德 ●盆栽敎育 ●如何なる書を讀まんか ●志は兼濟にあり ●彈力ある心性 ●選民主義、以上十六編を合して一册とし惜春雜話と題す
此書一道の活氣を國民に吹き込まんとす其の眞氣温味恰も嫋々たる春風に浴するが如し、人草木にあらず人生牢獄にあらず苟も高尚にして意義ある生活を送らんとする者僞君子の虚高や道學先生の出來ない相談を棄てゝ此の書を讀まざるべからず。
二酉社内 二酉名著刊行會
振替四七一〇番
我が史學に一新生面を拓きし空前の大作にして千古不磨の名著
三叉 竹越與三郎氏著
洋裝幀天金總振假名 菊判八百頁の大册
增補訂正『二千五百年史』
定價金七圓五拾錢
特價金六圓五拾錢
送料内地廿七錢
鮮臺滿五拾五錢
建國より幕府の衰亡に至る二千五百年間の史記、骨は文明史、肉は編年史、血は紀傳史、脈は哲學史、記述の筆は靈活明快、炬火の如き眼光、衡量の如き批評、描く所は政治、經濟、英雄、文學、美術、思想、宗敎、社會風俗の變遷、參差錯綜の妙を極む。國民古今のパノラマ此にあり、東西を融合せる日本文學の一大産物日本歴史の大典此に備はる。
永井敎授曰く、竹越氏は恰もマコーレー卿の如し、氏の二千五百年史の如き、これをマコーレー卿の英國史に比ぶればその着眼の奇警にして文辭の雄麗なる點に於ては兩者その趣きを等うす、然もその批評の正しさに至っては遙に彼に優る。
二酉社内 二酉名著刊行會
振替四七一〇番
理學博士 遠藤吉三郎先生著(六版發賣)
『西洋中毒』
定價貳圓參拾錢
特價金貳圓也
送料拾八錢
代金引換便十錢增
思想的にも經濟的にも疲弊せる國力を囘復せんには此書の所論を實踐せざるべからずとて頓に注文殺到す
◇大阪毎日新聞曰
西洋文明の大なる矛盾を説き猶ほ進んで各種の問題に渉りて西洋中毒の弊を一々指摘したるものなるが書中中學英語科廢止論、羅馬字反對論加州問題等を始めとして孰れも相當根據ある議論多く世人の反省に資すべき文字尠からず。
◇國民新聞曰
政治文學人情風俗等百般の事物に現はれたる西洋中毒の弊を具さに論じ來りて甚だ適切なるものあり宜しく我等は之に覺醒すべきなり。
◇時事新報曰
西洋心醉の如何に我國に無意味に有害なるかを指摘し事實の上より最も緊切に其迷想を打破す意氣の熾烈にして論旨の剴切なる殊に一字一句の末にも悉く些の空論を着けざる點に於て何人にも一讀を促すべき價値あり。(以上月日順)
東京市牛込區拂方町
電話牛込三一六四番
二酉社(ニイウシヤ)
振替東京四七一〇番